上野恩賜公園内パンダポスト
よくよく考えてみると、私はこのパンダポストの携帯ストラップを持っていたのだった。
今年4月~6月、東京藝術大学大学美術館で特別展「近代洋画の開拓者 高橋由一」が開催された。
このとき、この美術館2Fミュージアムショップ横に、郵便局上野支店の臨時出張所が開設された。
ここで絵ハガキなどを投函すると、高橋由一の代表作《鮭》をデザインした小型印を押印してくれるという
ものだった。
http://www.post.japanpost.jp/stamp/kogata/index.php?p=18
ここでは、記念切手なども売られていて、ある一定金額以上購入した人には、この
「上野恩賜公園内パンダポスト設置記念 オリジナル・パンダポストストラップ」をくれたのだ。
このパンダポスト、昨年の8月1日に設置されたという。
このポストに、定型サイズの手紙、またははがきを投函すると、ジャイアントパンダや西郷隆盛像が描かれた
風景印の消印を押してもらえるという。
大いに活用したいものである。
パンダ模様の郵便ポスト、動物園前に出現!
http://www.ueno-panda.jp/topics/detail.html?id=64
オリジナル フレーム切手セット「恩賜上野動物園 リーリー&シンシン」の販売開始及びパンダ型ポストの設置
http://www.post.japanpost.jp/about/houdou/press/2011/toky_0715_01_b1.pdf
飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま(その2)
趣旨の記事。
飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま 早大、銅の比率分析
http://www.asahi.com/science/update/0921/TKY201209210237.html
大ホームランと言いたいところだが、専門家の中には反対する意見もあるようだ。
主な反論点は
1.早稲田大学の研究チームは、あまり鋳造技術のことに詳しくなく、誤解がある。
2.銅造の仏像が火災などで溶解した場合は、その溶解した部分を溶かして鋳直す。
だから、銅の比率などの金属組成が古い部分と一致するのは当たり前。
金属組成の一致だけで当初の部分が残っているとはいえない。
ということのようだ。
もちろん、私のようなド素人には判断のできない領域ではある。
ブロッター(吸取器)
ハンコを押したり、万年筆で書いたあと、乾かないうちにこすったりすると大変なことになる。
その大変なことにならないように、余分なインクを吸い取るものがブロッターだ。
黒板消しのような外観で、蒲鉾形の木の曲面の部分に吸取紙が巻き付けてある。
昔は普通に見かけた文具だったが、最近は万年筆を使う人も少なくなって、絶滅危惧種の一つとなった。
このブロッター、価格的にもピンからキリまであるようだが、こんなものに凝ってもしかたがない。
で、コレクト社の木製の安い製品(P-202-BK、\1,275)を購入した。
漆黒で、一見、高級感があるが、裏返すと塗り残しの木目がむき出しで、価格相当品であることがわかる。
が、性能的にはまったく問題は無い。
同時に、同じメーカーの吸取紙のスペア(P-200、20枚入り、\156)も購入しておいた。
当分は安心である。
日付印
必要条件は
1.横一列の日付のみ、上下に不要な枠などないもの
2.スタンプ台の不要なシヤチハタのようなもの
3.西暦4桁+月2桁+日2桁の計8桁表示
ということで、簡単に見つかるだろうと思ったが意外にない。
とにかく、3の条件にかなうものが、ほとんどないのだ。
1の条件を外せば、ないことはない。
が、条件1を厳守して、さらに条件3となると、まったくと言っていいほどない。
これに近いものとしては、「シヤチハタ Xスタンパー回転印欧文日付5号黒」というのが人気らしい。
シヤチハタ Xスタンパー回転印欧文日付5号黒
http://www.shachihata.co.jp/catalog/lineup/010/008/002/00017504/
が、西暦はいちおう4桁だが、「2012」は「'12」というアポストロフィつきの省略形の表示だ。
なんかものぐさな感じで、視覚的によろしくない。
それに和暦とまぎらわしい。
西暦をしっかり4桁で表示したものはないかと探して、ようやく見つけた。
「COLOP mini-dater S120 」というものだ。
COLOPというのは、オーストリアの会社らしい。
他にもいろいろとスタンプを発売している。
この「COLOP mini-dater S120」は、ちゃんと西暦4桁+月2桁+日2桁で印字する。
西暦4桁の部分は半角、月日の部分は全角という雰囲気でバランスが悪いが、許容範囲だろう。
スタンプパッド内蔵で、インクを付けるためにいちいちスタンプ台を使う必要がない。
天井の部分がスタンプパッドになっている。
本体の頭を押すと、スタンプパッドに押しつけられていた文字盤が、180度ぐるりんと回転して押印する。
なかなか面白い。
コンパクトで場所を取らないし、なにしろ安い。
600円程度のものだ。
気に入って、現在、必要のないものにも押しまくっている。
飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま
2012年9月21日(金)の朝日新聞夕刊に、「飛鳥大仏はほぼ飛鳥時代のまま残されていた」という趣旨の記事が
あって驚かされた。
(2012年9月21日 朝日新聞夕刊)
飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま 早大、銅の比率分析
日本最古の金銅仏とされる飛鳥大仏(奈良県明日香村)は、大部分が飛鳥時代の造立時のものと判断できるとの研究結果を、大橋一章(かつあき)教授(美術史)ら早稲田大学の研究チームがまとめた。これまで、鎌倉時代に火事で壊れ、当初のままなのは顔の一部と右手だけとされてきた。
研究チームは7月、X線複合分析装置を持ち込み、銅の比率など大仏の金属組成を調べた。その結果、飛鳥時代とされる部分と、後世の補修とされる部分には違いがなかった。鋳造専門家も調査にあたり、銅の継ぎ目があることから、複数回に分けて銅を流し込んでいたとみられることがわかり、奈良時代以前の技術と判断したという。
飛鳥大仏は高さ2.75メートル。日本初の仏教寺院・飛鳥寺の本尊として609年に完成したとされる。鎌倉時代の1196年に飛鳥寺は全焼し、約40年後にまとめられた書物には大仏は頭と手しか残らなかったと記されていた。明治以降の研究では、その記録が前提となり、大部分は後の時代の補修で造り直されたと考えられてきた。そのため国宝ではなく、重要文化財にとどまっている。
だが、造り直されたとされてきた衣類の部分は飛鳥時代の様式。火事で残ったごく一部を生かし、造り直すことが可能なのかといっだ疑問があった。大橋教授は「聖徳太子の時代に造られた日本最古の金銅仏がほぼそのままで残っていたことが確認できた」と話す。(2012年9月21日 朝日新聞夕刊)
私は、1977年に久野健先生の講義を1年間、拝聴したことがある。
その時、久野先生は、飛鳥大仏について「飛鳥大仏は、顔と右手指だけが当初のものと言われているが、自分が
今回、実地調査したところそれは間違いで、膝前の部分のほか、当初のものがかなり残っていることが判明した」
というお話をされていたことを覚えている。
あの興福寺でさえ、頭部だけになった東金堂の本尊(旧山田寺・仏頭)を復元することはできなかった。
ましてや衰えた飛鳥寺が、頭の一部や、指だけが残された状態から、あのように大仏を復元できたとは考えにくい。
実際には、かなりの部分が残されていたのではないか、というような内容であったと記憶している。
その久野説が、その後どのように評価されたかは知るよしもない。
が、今回、ポータブルな装置によるとはいえ、蛍光X線やX線回折といった分析手法により、大部分が飛鳥時代の
造立時のものと判断されたということは、当時の久野先生の説の正しさが証明されたということなのだろう。
飛鳥大仏にとっても、久野先生にとってもめでたいニュースである。
明日から旅行(海外、6日間)するので、ブログはしばらくお休みします。