「夢や志を語る人間は高潔で清貧でなければならない」

 

 

というイメージが世間にはなぜか蔓延っている。

 

 

子供が児童向けの伝記を読んでそう思うのであれば可愛いものだが、大の大人がこのイメージを語るのは無知にも程がある。

 

 

にもかかわらず、夢や志について子供のような幻想を抱いている人間は多い。

 

 

そういう人間が夢や志を語る人間にその幼稚なイメージを押し付け、結果他人の才能を潰すこともある。

 

 

だから私も、私の夢を理解しようともせず幼稚な幻想を押し付けてくる人間は大っ嫌いだ。

 

 

「顔を洗って出直してこい」

 

 

彼らを幼稚な幻想から醒ますために、私はそう言い放つこともある。

 

 

ただ、SNSなどで誰もが自分の夢や志を語れるようになった今、この幻想について別のことを感じることが増えた。

 

 

「夢や志を抱いている本人が、この幼稚な幻想に縛られていて自分の思いを遂げられずにいる」

 

 

そういう瞬間を目の当たりにすることは多い。

 

 

本来ならば世の中のほとんどの人間は相手の動機がどうだのその過程がどうだのと語ることはできないはずなのだ。

 

 

動機や過程での取り組みを把握できるのは身近なごく少数の人間のみ。

 

 

SNSを通して他人を見ていると、いかにも他人の夢や志の動機やそれを実現させる過程が見えているような気になってしまいがちだがそれは錯覚だ。

 

 

本当に相手の夢や志の本質を知るためには相応のエネルギーが必要になってくるため、コスパ重視でSNSを見ているだけの人間に相手の夢や志の本質を理解できることではない。

 

 

どんなに動機や過程を語ったところで、世の中のほとんどの他人にとってはそんなことはどうでもいいのだ。

 

 

そうなれば自分以外の人間にとって重要なのは結果を出すことだけであって、動機や過程など実はどうでもいいものということになる。

 

自分だけが動機や過程を意識していればいい。

 

 

例えば「作家になりたい」にしても、別に他人のためを考えなくてもいい。

 

 

「お金が欲しい」

「他人から尊敬されたい」

 

 

名作を世に出しさえすれば動機など何でもいい。

 

 

むしろ他人は名作を生み出すかどうかにしか注目していない。

 

 

確かに夢や志を語る際に幼稚な幻想を押し付けてくる人間はいる。

 

 

しかし夢や志を抱いている本人がそんなものに縛られてはいけない。

 

 

目的を果たすのであれば動機や過程ではなく結果を出すことにこだわるべきだ。

 

 

そもそも「高潔で清貧な人格」という幼稚な幻想を押し付けてくる人間は、その方が自分にとって都合がいいから押し付けているだけだ。

 

 

よく考えないまま「高潔で清貧な人格」を追い求めている人間からは、あらゆるものが絞りとれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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