世界的に知られたフレンチのシェフ、ジョエル・ロブションが8月6日、73歳で死去しました。
フィガロによると、ロブション氏は6日、がんのためスイスで亡くなりました。
膵臓(すいぞう)がんの治療を、1年以上受けていたということです。


ロブションはその料理によって、多くの人々の記憶に残されています。
ですが、その重層的なビジネス戦略もまた、彼が提供してきた料理と同様に、素晴らしいものだったと言えるかもしれません。

1989年に美食ガイド「ゴーエミヨー」から「今世紀の料理人」に選ばれたロブションが手掛けるレストランは、「ミシュランガイド」でこれまでに合計31個の星を獲得しています。

ロブションが立ち上げた中には、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」と名付けたよりカジュアルなレストランもあります。
カウンター席で気軽に、新鮮な食材で用意されたアラカルトのメニューを楽しむことができる店です。

「ラトリエ」のコンセプトの基本にあるのは、長時間をかけて何皿もの料理を堪能するコースではなく、日本の「弁当」やスペインの「タパス」などのように、小量ずつ提供する料理を試してもらいたいとの考え方です。

レストラン業界に「ファインカジュアル」のトレンドが広まる何年も前にこのコンセプトを取り入れたロブションはよく、「ラトリエ」のビジネス戦略は自身が手掛けた中で最も冒険的なものだったと述べていました。


ジョエル・ロブション( Joël Robuchon)は、1945年4月7日生まれの「危宿」です。

「危宿」は十二宮の中では、論理的で冷静な面もありながら、エキセントリックな部分を持つ「瓶宮」の影響を最も強く受けます。
十惑星では、豊かな想像力で変換をもたらす「天王星」の影響を受けて、上昇志向と自己研磨の精神に恵まれています。

ペガサス座に属する二等星に該当する姿は、敏感でありつつも自由な精神を追求する様を象徴しているかのようです。

そんな「危宿」は、自己研磨の精神と上昇志向にめぐまれています。


平凡を嫌って逆に風変わりなものを好む「危宿」は、自分を偽らないイノセントな人。
多面的な魅力を放ち、知的好奇心の塊とも言えるような、鋭い感覚と勢いに裏打ちされています。

とても進歩的で、周囲の視線をさらうスタイリッシュな魅力に恵まれていると同時に、他人の目や思惑を気にしたり、歩調を合わせたりすることは滅多にありません。
「危」の字が示すように、物怖じすることなく危険な道を歩んで行く強さと、人と違うといわれると心底喜んでしまう天邪鬼な面があります。


好奇心旺盛で新しいものが大好きですが、その興味の対象がコロコロと変化する気分屋さん。
そして、知的思考も強く、自分のスタイルや生き方に強いこだわりを持っているので、現実の世界より夢や幻想の世界を好む夢想家です。

未来志向かつ革新的で、フレキシブルな融通性を持っており、都会ならではの仕事で成功する可能性が高いでしょう。

慎んでご冥福をお祈りいたします。




ロブション氏は1945年、仏西部ポワティエで、石工の父と主婦の母の間に生まれた。

アカザエビとトリュフのラビオリ、フォアグラと共にじっくり火を通したハト。ロブション氏が後に創作した豪華な料理には、そのつつましい出自の兆しも見られない。

しかし、ロブション氏考案の中で最も有名で、愛されているレシピの1つは、ポム・ピュレと呼ばれる素朴なマッシュポテトだ。噂によればこのマッシュポテトは、ジャガイモとバターを1:1の割合で混ぜたものという。

世界最高のマッシュポテト作りに、ロブション氏は献身的に取り組んだ。その熱意は、驚きではないかもしれない。完璧主義者として有名で、材料を使いすぎず、下ごしらえもシンプルに、極端なヌーベル・キュイジーヌ(健康志向なフランス料理の調理法)から距離をおいた姿勢でも名声を得た。

ロブション氏は2014年、米メディアのビジネス・インサイダーに対し、「年をとればとるほど、何が真実か気づくようになった。食べ物はシンプルであればあるほど、特別なものになる」と語っている。

「3種類以上の味を1つの皿で合わせようとは、決してしない。調理場に入れば、どういう料理で、使われているのがどういう材料か、すぐに分かるのが好きだ」

ロブション氏は1981年、36歳で自分のレストラン「ジャマン」を開き、1980年代初めに名声を確立した。オープンから1年もしないうちに、ジャマンはレストランガイドブック「ミシュラン・ガイド」で1つ星を獲得した。そのキャリアを通じて、ロブション氏はミシュランで31の星を集めた。1人のシェフとして、過去最多の星の数だ。

「ジャマン」開店から10年足らずの1989年、ロブション氏はミシュランと並ぶレストランガイド「ゴー・ミヨー」に「世紀のシェフ」と紹介された。

意欲的なスコットランド人シェフ、ラムゼイ氏がロブション氏の調理場に加わったのがこの頃だ。

ゴードン・ラムゼイ氏について、ロブション氏は後に英紙テレグラフに対し、才能あるシェフだったが「気難しい」態度があったとも語っている。ラムゼイ氏がアカザエビのラビオリを正しく作らなかったと指摘されると、素直に受け入れないように見えたと。

「私がそう言うと、ゴードンは非常に横柄な態度で反応してきた」とロブション氏は回想した。「この時は、とてもいらついたので、皿を投げつけたんだ」。 

キャリアを通じて皿を投げたのは、この時一度きりだったと、ロブション氏は付け加えた。

ラムゼイ氏はかつて指導を受けたロブション氏の死を知ると、インスタグラムに追悼文を投稿した。「ミシュランのゴッドファーザー、世界で最も多くの勲章を受けたシェフを失った。僕たちは決して気が抜けなかった!  寝ているときも!  メルシー、シェフ。神のご加護がありますように」と書き、ロブション氏と共に写った写真を投稿に添えた。ラムゼイ氏の側に、皿を投げられたことによるわだかまりは見られなかった。

ロブション氏は1995年、50歳のときに引退を決めた。だからと言って、のんびり過ごすつもりはなかったようだ。調理場を引退した代わりに、ロブション氏はテレビに関心を向け、仏テレビ局でいくつかの料理番組の司会を務めた。

しかしロブション氏は、調理場から離れてはいられなかった。引退から数年後、ロブション氏は日本のカウンター寿司から発想を得た、より手ごろな飲食店を開く計画を披露した。

時間と共に、流行は変化する。ロブション氏は2018年6月、ミシュラン・ガイドに対し、より健康的な料理を作るようになったと語った。ロブション氏は昨年、高コレステロール、高血圧、高血糖に対策するため食事からバターと油をなくし、27キロ以上も体重を落としたと明かしていた。 

ロブション氏が財産を残したのは、ロンドン、東京、ラスベガス、北京などに現在12店舗を構える「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」といったレストランにだけではない。ロブション氏は生まれた町の近くに、料理学校も建てた。

ロブション氏はミシュランガイドに、料理学校は自分にとって非常に重要だと話した。

「『老人が死ぬのは、図書館が焼け落ちるのと同じだ』というとても有名なことわざと同じようなことだ」とロブション氏は述べた。「私は、有名無名を問わず、実に大勢のシェフを見てきた。1人が姿を消すと、それと共に知識や伝統の一部が失われた。誰もそれを取り戻すことはできない」。

訃報を知った大勢が、ロブション氏の功績に思いを寄せた。6日にはたくさんの人が同氏を追悼した。

世界のレストランを紹介するサイト「ラ・リスト」はツイッターに、「一世を風靡(ふうび)した伝説的なフランス料理人、シェフ・ジョエル・ロブションが73歳で亡くなった。美食の世界に対する足跡と貢献は、今後も常に称賛され、記憶される。安らかに、ムッシュ・ジョエル・ロブション」と投稿した。