なぜ、人は神社に行くのか?

 

僕が聞いた体験談で、
多かったのは

 

「心が折れたから」

 

自分での力では
どうにもならないと

 

降参した、

あきらめてしまった時に

 

ふと目に止まる所がある。

 

それが神社だったという

ことですね。

 

それはよく分かります。

 

僕自身、折れたときは

 

ずっと京都御所にいました。

 

正確には、御所を囲む

京都御苑ですね。

 

「神社じゃないやん!」

 

と言われそうですが😀

 

東京の皇居もそうですが、

 

神道の最高峰である

天皇陛下・天皇家の

おられる/おられた

御所は、

 

別格のパワースポットです。

 

御所の中では

宮中祭祀といって、

 

神々がお祭りされ、

天皇家による祭祀が

神社のように
おこなわれています。

 

だから神社と呼ばれて

いないだけで、

実際は神社でもあるんです。

 

そして京都御苑の中には

我々が参拝できる

小さな神社もいくつか

あって、

 

宗像神社とか厳島神社とか、

京都御苑に隣接して

梨木神社があります。

 

あとこれは最も

大事なことですが、

 

京都御苑の少し北、

烏丸上立売にある

 

フルーツ・パーラー

「ヤオイソ」の

フルーツサンドが

僕は大好きです。

 

神社参拝後の

「直会」(なおらい)

にぜひご活用ください。

 

京都市内だと、

 

平野神社に参拝した後、

フルーツ・パーラー

「クリケット」の

フルーツサンドで

直会するコースも

お気に入りです。

 

平野神社は

全国唯一である

皇太子殿下の守護神。

 

心が折れたときは

やっぱりフルーサンドが

いちばんですね☆

 

ん? 

 

話しがズレたか?!😀

 

人生山あり谷あり、

いろいろハプニングも

起こりますからね。

 

そんな時、人は

今まで目に

とまらなかった

 

「神社の存在」

 

に気づく。

 

自分の状態を

ニュートラルに

戻してくれるからです。

 

ネガティブな時こそ

神社参拝をおすすめ

したのは、この本↓↓

 

『ネガティブでも

開運する神社参拝』
(日本文芸社)

 

 

 

ネガティブの第1人者!

メンタルコーチ

MACOさんとの共著です☆

 

心が折れたときに

参拝する神社といえば、

 

熊野もいいですね。

 

熊野三山、熊野古道。

 

熊野の神様といえば

 

「信不信を選ばず」

「浄不浄を問わず」

 

あらゆる差別をせず、

神を信じる信じない

関係なく、

どなたでも受け入れるのが

熊野の神様「熊野権現」です。

 

有名なエピソードは


参拝目前で生理になった

和泉式部が

 

「生理だと穢れている

から参拝できないよね、

ここまで来て悲しい」

 

と嘆いていると

熊野の神様が枕元で

 

「おれもみんなと同じで

穢れの中にいる神だよ。

だから生理とかも気にしないよ」

 

と歌ったという故事です。

 

熊野の神様の歌

「諸共に 塵に交じはる神なれば 月の障りも 何か苦しき」

 

女性は生理中に参拝

したらいけないは

昔からよく聞く話ですが、

現代はそんなことありません。

 

ましてや、熊野の神様だけは

絶対に嫌わない。

 

もっと差別の多かった

古代より


誰も差別しない

誰のことも嫌わない

聖地が熊野なんですね。

 

逆に、もし

熊野の神様は

生理を嫌うよと

言う人がいたら、

熊野の神様のあり方を

根底から否定する発言です。

 

ただそんな人たちも

受け入れるのが

熊野の神様。

 

みんなに開かれた

聖地ですから、

心が折れたときに

いちばん定番の場所

かもしれません☆

 

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