「スピリチュアルな領域に

エビデンスは無い。

将来、科学がさらに発達して

エビデンスが出てくる

かもしれないけど、、、」

 

なんて聞きますが、

この主張に対して

2つ異論があります。

 

ひとつめ。

スピリチュアル領域

にも特有のエビデンス

があります。

 

ふたつめ。

ただし、そのエビデンスは

科学のエビデンスである

客観データとは異なります。

なのでいつか科学で正しいと

証明されるものではありません。

 

そもそもスピリチュアルとは

正しい・間違いが無い領域です。

 

では、スピリチュアルの

エビデンスって何だ?

 

と問われれば

「個人的体験」です。

 

たとえば、朝、お豆腐を

食べてこんな味わいがした。

肉を食べたら歯の詰め物が

ちょっと削れて、違和感がある。

 

こういうのは

「本当のこと」

ですよね。

 

しかし、例えば朝テレビを

見て、ニュースに対して

こんな感想や意見をもった

というのは、違います。

 

当事者として直接体験を

していない人に

「本当のことは分からない」

からです。

 

つまり、どんな意見を

持とうと、

それは本当では無い。

 

同時に、ニュースを見て

何か私の体に反応が

起こったのなら、

その反応は

スピリチュアルエビデンスです。

 

「このニュースを見たら、

胸が苦しくなった」

 

この胸の苦しさは

「本当」です。

 

私の心身という現場で

起こっている

「本当のこと」が、

スピリチュアルエビデンスです。

 

この心身の現場で

起こっていることを

他人に伝える時は

誇張や事実のねじ曲げも

よく起こります。

 

なので、体験の仕方を

哲学で教えている次第。

 

その体験の仕方とは

「ジャッジしない」

 

ジャッジとは、

「正しい」とか

「間違い」とかの

判断です。

 

この正誤や真偽の

判断をしないで

体験します。

 

科学は正誤や真偽を

ジャッジするものです。

 

だから

「いつか科学で証明を」

なんていう事柄は、

スピリチュアルな

領域とは異なります。

 

スピリチュアルとは

誰かに正しさ(や間違い)を

証明するものでは無く、

 

ただ純粋に

私の心身で起こっている

ことを感じること。

 

ある哲学者は

「純粋経験」

と名付けましたが、

 

この

「私の純粋経験」こそ

スピリチュアルな

エビデンスであり、

他人には関係ない

本当のことです。

 

科学の思考に染まると、

スピリチュアルな領域に

「正しい・間違い」

を持ち込む癖が

付きがちですが、

正しいも間違いも無い。

 

ただ

「私にとっての本当」

があるだけ。

 

それぞれが

自分の体験をし、

自分のご飯を

味わって食べれば

いいだけのことです。

 

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