何時もそこにある笑顔と、この箱の中に込められた思い。
そうね。
この村に来た時の事が、もう随分前の事のように感じるわ。
家出して、ミストの家に転がり込んで、あんたに出会って、それからお店を出して。
ほんと、あれからもう二年も経ったのが、信じられないくらい。
最初は、随分頼りない人だなって思ったっけ。
全然、あたしのタイプじゃなかったのにな。
真夏のトランルピア湖で、あいつを待ちながら、ふとひと月前の事を思い出した。
あいつの気持ちと、あたしの気持ち。
四角い木の箱の中に、込められた思い。
あれは、春になってすぐの事だった。
確かその時は、ひと月後にこうなる事も考えてなくて、何時ものように、彼の家の出荷箱を覗きに行ったんだった。
そこで、相変わらず一生懸命畑仕事をしているラグナに、ちょっと呆れ気味に声をかけた。
「あんたも、毎日、毎日、よくやるわねぇ」
朝から晩まで、ラグナは働いてばかり。
畑を耕して、水をかけて、モンスター達の世話、遺跡でも探索、鉱物集め、クジラ島の探索、それから村の人達の面倒まで。
ほんと、お人好しにもほどがある。
まあ、そうやって一生懸命働いてる人、あたしは嫌いじゃないんだけどね。
そんな事を考えてると、ラグナは、春の作物を植える為に一心不乱に畑を耕していた手を止め、流れる汗をふきながらこちらに笑顔を向けた。
「ロゼッタさん、こんにちは。何時も、ありがとうございます」
「あら、お礼を言うのはこっちの方よ。あんたが野菜を出荷してくれるから、あたしも商売出来るんだから」
笑いながら、出荷箱の方へ向かう。
ちらりとラグナの家の方に視線を向けると、何時ものようにミストが立っていて、のんきな様子であたし達に手を振ってきた。
ミストは、あたしの幼なじみ。
ちょっと、何を考えてるかわか分からない所はあるけど、悪い奴じゃない。
ぼんやりとしてるようで、あれで結構しっかりしてて、負けず嫌いなのよね。
昔からよく一緒に遊んでて、気がつくと競争になってたわ。
ラグナとは仲が良くて、なにかと一緒にいる事が多い。
こうして出荷箱を見に来る時も、よく畑の前でラグナの事見てるし・・・・。
ミスト、ラグナの事が好きなのかな?
ラグナは、ミストの事、どう思ってるんだろう?
「あんた達、本当に仲がいいわよね。あんたとミストって・・・・どういう関係?」
そこまで尋ねてから、あたしはちょっと言いよどんだ。
「あの、別に、深い意味はないからね!」
もう、何言ってんだろう、あたし。
あたしは別に、ラグナとミストがどういう関係だろうと、どうでもいい筈なのに。
むしろ、あのミストがこいつを好きだっていうなら、応援するわよ。
そうすりゃ、多少はミストも変な癖が治って、まともになるでしょうよ。
うん、そう。ラグナが、誰を好きになろうが、関係ないし・・・・。
ラグナは、少し困ったような顔をしていたけれど、あたしの言葉に返事をする事はなかった。
まるで聞こえなかったように、また畑を耕し出す。
あたしは、気を取り直して、ラグナの家の出荷箱を覗いた。
でも、
「ちょっと、ラグナ、空っぽじゃない!!」
スッカラカンの出荷箱を覗いて、思わず嘆く。
「すみません、今日はずっと春の種を蒔くために、畑を耕してばかりいたので」
また手を止めて、少し疲れ気味にラグナ。
「ちょっと、あんた顔色悪いわよ。大丈夫?」
「大丈夫です。もう少し耕したら、休みますから」
「あんた、働き過ぎよ。しっかり休んで、体調管理する事も、商売人の努めなんだからね」
取り敢えず、出荷箱が空っぽなのは仕方ない。それを、引きずってちゃいけないわ。
それより、お得意さんの体調の方が大事。
この切り替えも、商売人には必要なのよ。
するとラグナは、にっこり笑って、
「ありがとうございます」
と言った。
う~ん、でも、きっと終わるまで休まないんだろうな。
この、笑顔がくせ者なのよね。
こんな笑顔しながら、本当は凄く頑固なんだから、こいつ。
でもまあ、ミストもいる事だし、と思って、あたしは手ぶらのまま、お店の方に戻る事にした。
ほら、大丈夫。
別に二人の事なんて、何とも思ってやしないでしょ?
それから数日後。
「あら、こんなに沢山、凄いじゃない!」
最近少なめだった出荷箱に、いきなり増えた出荷物を見て、思わず驚きの声をあげる。
「春ですからね」
ちょっと自慢気にラグナが言うので、思わず笑ってしまった。
「あんたの総出荷量、計算してみたら凄かったわ。お店としては、ありがたい事だわ。ほんと、感謝してるのよ」
出荷箱からイチゴを集めながら、背後にいる筈のラグナに向かってそう言う。
こうして、作ってくれる人がいるから、あたし達は商売が出来る。
それを、ちゃんと分かってないといけないと思うのよね。
常に、感謝の気持ちを忘れずに、よ。
それが、商売の秘訣でもあるかな。
「ロゼッタさんこそ、あれこれお店を切り盛りして、色々な新しい事を考えて、頑張ってるんですよね。すごいなぁ、って、何時も思ってます」
「やっ、やあね、褒めても何も出ないわよ。それにあたしだって、女の子なんだから、仕事ばっかりって訳じゃないし」
肩越しに、ちらりとラグナを見る。
なんだか、そんな風に言われると、いかにも仕事だけの女みたいな気がしてしまうわ。
勿論、褒められたら嬉しいけど、そうじゃない事も、少しは主張したくなる。
「えっ、そうなんですか?仕事の他に、何をしてるんですか?」
驚いたようなラグナの声に、ちょっとムッとする。
あのね、ラグナったら、あたしには仕事しかないって思ってるのかしら?
そりゃ、商売は楽しいし、あたしに向いてるとは思うけど、他に何にもないって訳じゃないわよ。
「何って、色々よ」
あたしだって、浮いた話しの一つや二つ・・・・・、やっぱ、ないか。
でも、これから、きっとステキな王子様に出会えると思ってるんだから!
「そうですか。でも僕は、一生懸命働いてるロゼッタさん、好きですよ」
不意にそんな事を言われて、かっと頬が赤くなるのが分かった。
「あのね、好きだとか、そういう言葉、簡単に言わないの」
もう。
ラグナって、ほんと、天然だわ。
そんな言葉、普通にさらりと言ってしまえる所が・・・。
きっと、何にも考えずに言ってるに違いないもの。
それでもちょっぴり嬉しくて、そんな恥ずかしさを誤摩化すため、あたしは意地悪な笑みを浮かべて見せた。
「って言うかさ、そんな事言って、あんた、まさかあたしに気があるんじゃないわよね?」
冗談ぽく言う。
そうやってからかうと、何時も赤面して照れるのは、ラグナの方だった。
真っ赤になって、しどろもどろになって・・・。
あんまり素直過ぎるから、ちょっとからかってみたくなるのよ。
なのに、今日はやけに真面目な顔で、黙り込んでしまった。
やっ、やだな、調子狂っちゃう。
仕方なくそそくさと出荷箱のイチゴを回収して、パタンと蓋をしめる。
ここだけの話し、実は、イチゴって大好き。
甘くて、ちょぴり酸っぱいけれど、幾らでも食べれちゃう味よね。
食べ出すと、止まらなくなっちゃう。
こんなに沢山出荷してもらったら、ちょっとくらい食べちゃおうかしら、って気になっちゃいそうだわ。
あっ、勘違いしないでね、本当に食べちゃう訳じゃないから。
商売人だもの、商品には手をつけません。
「じゃあ、また明日ね」
相変わらず黙り込んだままのラグナに言って、手を振る。
ラグナは、やっぱり無言だったけれど、不意に顔を上げて、
「ロゼッタさん」
と、真面目な顔で呼び止めた。
「何?」
「・・・・あっ、いいえ、また明日」
何よ。
変なラグナ。
その時は、ちょっと何時もと違うな・・・と思ったけれど、別段深く考える事なく、あたしはそのままラグナと別れた。
次の日の夕方、またラグナの家に向かう。
毎日、毎日、それがあたしの日課。
彼の畑は、何時も沢山野菜や果物がなっていて、綺麗なお花が沢山咲いていて、輝くばかりにルーニーが舞い踊ってる。
今では、一日の仕事の最後に、彼の畑に行く事が、ささやかなあたしの楽しみでもあるのだ。
ほのぼのした空気に、癒されるっていうか・・・・、持ち主と同じで、何時も笑顔をくれるから、あたしも笑顔になれるのよ。
仕事も頑張ろう、って気持ちになる。
そんな事、照れくさくてなかなか言えないんだけどね。
今日は、確かラグナ、昼前にお店に来た時、くじら島に行くので夕方はいないって言ってたっけ。
ミストも、このところ姿を見ないわ。
毎日、毎日、よくそんな暇があるわねってくらい、ラグナの畑に入り浸ってたのに・・・・。
春になってからの、周りに起こった小さな変化を不思議に思いながら、出荷箱を開ける。
すると、今日もまた、溢れるほどのイチゴが出荷されていた。
すごい、またイチゴばっかり。
ラグナが作ったイチゴ、きっと美味しいんだろうな。
今年はほんと、イチゴの出荷が凄いのよね。
あっ、そう言えば、秋のサツマイモも凄かったっけ。
他のものは、そこまで多くないのにね。
ラグナも、あたしと同じで、イチゴとサツマイモが好きなのかしら?
くすっと笑ってから、ふと思う。
あれ?
あたしと同じ?
あたしの好きなもの?
・・・・まさかね。
駄目、駄目、考え過ぎ。そういうの、期待してたら駄目よ。
って、期待してる訳じゃないのよ、本当に。
ラグナはいい奴だけど、あたしは別に・・・・。
好きだけど、特別な意味はなくて。
ああっ、そんな事考えてるあたり、何か変だ。
小さな変化が、やがて広がって、大きな変化へと繋がる。
そんな事も知らず、ただ小さな波に、僅かな揺れだけを感じていた。
それからも、毎日、毎日、祝日以外、あたしはラグナの家に通う。
それが、仕事。
仕事なんだけれど・・・・。
春の間、出荷箱には、やっぱり毎日かかさずイチゴが入っていた。
こんなに沢山、って思うくらい、本当に沢山のイチゴ。
そして、一面のイチゴ畑。
今年は、花も野菜もない。
それが、まるで、あたしへのプレゼントみたいな気がして、胸がそわそわしてしまう。
大好きなイチゴを食べた時のように、甘くて、酸っぱい思いが広がってくる。
ねえ、ラグナ。
これに、意味はあるの?
この四角い箱の中に、こんなに溢れるほどイチゴばかり入れるのは、どうしてなの?
聞きたくて、でも聞けない。
あたし、怖い・・・のかな?
聞いたら、この気軽な友達関係が、崩れてしまいそうな気がして。
それなのに、何処かで期待してる。そんな、訳の分からない気持ち。
やがて、トランルピア湖の小島にそびえるソレッソの花が散り始め、美しい花吹雪と共に強い太陽の光で湖面が輝き出すと、もうすぐこの村には夏がやってくる。
春も好きだけど、夏も好き。
この村は、何時だって美しいけどね。
春も最後となる日の夕方、あたしは何時ものようにラグナの家へ向かった。
この春の間、ずっとかかさずに入っていたイチゴも、もう明日からはない。
結局、その意味も分からないまま、夏を迎える事になるのかな?
聞きたいけれど、聞けないまま。
畑に行ってみると、相変わらずラグナは忙しそうに、ひたすら畑の水まきをしていた。
今年の春、一面に植えられたイチゴ畑。それも、今日で見納め。
大好きなその味と、甘酸っぱい匂いとも、またしばらくお別れだ。
「ロゼッタさん、こんにちは」
何時ものように、ラグナが声をかけてくる。
「こんにちは。今日も、頑張ってるわね」
あたしも、何時ものように答えた。
このやりとり、ずっと、二年間も続けてきたのよね。
ラグナは、ちょっと手を休めると、思いついたように身をかがめて、畑に残っていたイチゴを一つ摘んだ。
それを持って、あたしの方へ近づいて来る。
「どうぞ、これは、何時も頑張ってるロゼッタさんに。」
「あら、ありがとう。あたし、イチゴ大好きなのよね」
「知ってますよ」
ラグナの言葉に、一瞬ドキッとした。
「あんた、なんであたしの好きなもの知ってるの?」
「それは、ロゼッタさんが好きな人だからです」
言われて、少し沈黙した。
と言うか、その意味を考えるのに、少し時間が必要だったのだ。
ラグナの好きって、考えてみたらよく分からない。
誰にでも、平気で好きとか、言っちゃいそうじゃない、この人。
きっとラグナの事だから、全然何も考えず、そういう事を言ったんじゃないだろうか?。
「もう!」
多分、からかわれたのだと思ったあたしは、少し怒ったフリをして、そう言った。
「それより、最近ミストを見ないわね。あんた達、凄く仲良かったじゃない。もしかして、喧嘩した?」
「ロゼッタさんって、一見冷たそうに見えるけど、本当は優しくておせっかいですよね」
「どういう意味よ」
ムッと顔を顰めると、ラグナは困ったように笑った。
「だって、僕とミストさんの事、心配してくれてるんですよね?作物の事とかも、頼む前から色々教えてくれて、ちょっと気が強そうだから、キツい人に思われがちだけど、本当は他人の事ばっかり考えて、気を使って」
「そんな事・・・・ないわよ」
「いい子だなって、ずっと思っていました」
「いい子って、あんた、あたしの事バカにしてる!?」
いい子なんて言われて、なんだか腹が立ってきたので、そのまま出荷箱の方へ向かおうとしたのだけれど、ぐいっとラグナに腕を掴まれた。
「なっ、何?」
「怒らないで、僕の話し、最後まで聞いてください」
だって、ラグナが悪いのよ。
いい女とかならまだしも、いい子なんて、まるで子供扱いじゃない。
そんなの、嬉しくないわ。
あたしはもっと、ラグナに・・・・。
あっ。
そこまで考えてから、なんとなく全てが合致していくような気がした。
なんだ、そうか。
ものすごく、簡単な事。
あたし、ラグナが好きなんだ。
この、本当にバカで、バカ正直で、どうしようもないくらいお人好しで、優柔不断だけど、優し過ぎるくらい優しいこの人を、あたし、いつの間にか好きになってたんだ。
友達じゃなく、一人の男の人として。
だからきっと、ずっと、この春の間、期待してた。
小さな箱の中に込められた思いが、あたしと同じであるように・・・って。
「心配しなくても、喧嘩なんかしてませんよ。ミストさんには、少しお願いして、ここには来ないようにしてもらいました」
「どういう事?」
掴まれた腕の力が少し強くて、あたしはちょっと眉を寄せる。
それに気づいたのか、ラグナは手を離して、少し身を屈めながら、あたしと真っすぐに視線を合わせた。
「僕の好きな人が誤解をするので、少しの間来ないで下さいって」
その意味に気づいた途端、顔から火が出るような気分になった。
それって、あたしの事?
「ちょっと、何勝手な事、言ってるのよ!あたしは、別にあんたの事なんて・・・」
・・・・・・・。
好きじゃないって、言えなかった。
だって、分かってしまったから。
あたしが、あんたを好きな事。
好きじゃないって言ったら、あんたはきっと本気にするわ。
あたしの小さな嘘を、今まで本気にしてきたように。
言葉の裏に秘めた、自分でも気づかなかった思いを。
「好きよ」
と、小さな、小さな、本当に小さな声で憮然と答える。
するとラグナは、
「えっ?」
と、聞き返して来た。
「二度も言わない!」
言える訳ないじゃない。
すると彼は笑って、手にしたイチゴをあたしの方へ差し出して来た。
「どうぞ、僕が丹誠込めて作ったイチゴです。きっと、どんなイチゴより美味しいって、自信があります。あなたの為に、作ったイチゴですから。最後の日まで、あなたが好きなこのイチゴが実ったら、僕の気持ちを伝えようと、そう思っていました」
差し出された手と、ラグナの目を見つめて、少しため息を吐く。
ラグナって、結構ロマンチストだったんだ。
あたしだって、こう見えて、実はロマンスの本なんかこっそり読んじゃってるけど。
だから、本当は嬉しい。
でも、素直に嬉しいって言えなくて、どうしていいのか分からなくなる。
それでも、黙ったまま、彼の手にあったイチゴを一口かじった。
きっと、あたしの顔も、このイチゴのように、ものすごく真っ赤だったと思う。
大体、ラグナにそんなに真っすぐに言われたら、冗談にして突っ込む事も出来ないじゃない。
こういうの、駄目だわ。
もう、恥ずかしくて、涙が出そう。
でも、ドキドキする気持ちが、ちょっぴり嬉しい。
嬉しくて、悔しくて、恥ずかしくて、ドキドキする。
そんな、相反する気持ち。
夕日を遮るように、不意にラグナが顔を寄せ来たので、あたしはびっくりした。
彼の唇の触れた感触に、益々頭が沸騰しそうになる。
硬直したまま、言葉も返せず、ただその唇が離れるまで、棒のように突っ立っていた。
そんな自分が、嫌になる。
あたし、こう見えても、全然恋愛経験少ないんだから。
今まで、仕事ばっかり頑張ってきたから、彼氏を作る暇もなかったし。
それに、ラグナが、いきなりそんな事するなんて、想像もしてなかったわ。
こんな所で、誰かに見られたらどうするのよ!?
なんか、ラグナじゃないみたい。
思わず、口を押さえて彼を睨むと、当の彼も真っ赤になっていた。
「すっ、すいません、僕の作ったイチゴを食べているあなたを見たら、無性に触れたくなってしまって」
しどろもどろになって言う姿は、何時ものラグナ。
彼はボリボリと頭をかいて、
「それに、ロゼッタさんに近づく為には、僕ももっと行動しゃきゃいけないって、そう思ったんです。きっと、待ってても、あなたは振り向いてはくれないでしょ?」
と、少し照れたような笑顔で言った。
まだ顔が赤いままなのは、彼も出来る限りの勇気を振り絞った、って事かしら?
でも・・・・。
あたしに、近づく?
何言ってんのよ。
あんたは、もう十分過ぎるくらい、あたしに近づいてる。
それどころか、追い越しちゃってるかもしれない。
こんなにドキドキして、自分じゃどうしようもないくらい、あたしがあんたを好きなのは確かだから。
ミストにまで、焼きもちやいちゃうくらい・・・・。
ラグナだって、もう知ってる筈。
「ソレッソの花は散ってしまったけれど、夏に入ったら、一緒にトランルピア湖まで行って涼みませんか?」
「いいわね、たまには仕事も忘れて、涼しい所で、のんびり過ごしたいものね。って、それって、デートのお誘い?」
「はい、そうです」
やっぱり照れくさそうに笑って、ラグナは手に持っていた、あたしの食べかけのイチゴを、自分の口に放り込んだ。
それだけなのに、なんだかとっても恥ずかしい。
ドキドキして、甘酸っぱい気持ちが広がる。
「いいわよ、楽しみにしてる。自分で言ったんだから、忘れないでよ」
「大丈夫ですよ、絶対に忘れません」
少しだけ何時もの調子に戻って、あたしとラグナは笑った。
約束の日、約束の時間、トランルピア湖でラグナを待ちながら、あたしはラグナがいる時間を振り返る。
きっとこれからも、全てを赤くする夕日の中で、あたしは何時も通り出荷箱を開け、彼の作ったものをお店に持って帰るんだろう。
彼は、あたしの店から種を買って、作物を育てる。
育てた作物を、あたしが回収して、お店で売る。
なんだか、ちょっといいコンビよね。
子供の頃から夢みてた、白馬にまたがった王子様は来なかったけれど、それよりもっとステキなものが見つかった。
だから、それでいいわ。
あたしお店の種を大事に育てて、沢山の実りをもたらせてくれる。
何時もそこにある笑顔と、そしてこの箱にこめられた彼の思いが、あたしにとって一番の宝物だと思うから。
「すみませ~ん」
時間より少し遅れて、ラグナがやって来た。
多分きっと、仕事に熱中して、時間を忘れてたに違いない。
「遅い!!時間に正確なのも、商売人には必要な要素よ!」
ちょっと厳しく言ったけど、すぐにそれは笑顔に変わった。
だって、あんたとこうしている事が、楽しくて仕方ないんだもの。
ちょっと天の邪鬼なあたしだけど、この気持ちは嘘じゃない。
だから、これからもよろしく。
ねっ、ラグナ。
END
そうね。
この村に来た時の事が、もう随分前の事のように感じるわ。
家出して、ミストの家に転がり込んで、あんたに出会って、それからお店を出して。
ほんと、あれからもう二年も経ったのが、信じられないくらい。
最初は、随分頼りない人だなって思ったっけ。
全然、あたしのタイプじゃなかったのにな。
真夏のトランルピア湖で、あいつを待ちながら、ふとひと月前の事を思い出した。
あいつの気持ちと、あたしの気持ち。
四角い木の箱の中に、込められた思い。
あれは、春になってすぐの事だった。
確かその時は、ひと月後にこうなる事も考えてなくて、何時ものように、彼の家の出荷箱を覗きに行ったんだった。
そこで、相変わらず一生懸命畑仕事をしているラグナに、ちょっと呆れ気味に声をかけた。
「あんたも、毎日、毎日、よくやるわねぇ」
朝から晩まで、ラグナは働いてばかり。
畑を耕して、水をかけて、モンスター達の世話、遺跡でも探索、鉱物集め、クジラ島の探索、それから村の人達の面倒まで。
ほんと、お人好しにもほどがある。
まあ、そうやって一生懸命働いてる人、あたしは嫌いじゃないんだけどね。
そんな事を考えてると、ラグナは、春の作物を植える為に一心不乱に畑を耕していた手を止め、流れる汗をふきながらこちらに笑顔を向けた。
「ロゼッタさん、こんにちは。何時も、ありがとうございます」
「あら、お礼を言うのはこっちの方よ。あんたが野菜を出荷してくれるから、あたしも商売出来るんだから」
笑いながら、出荷箱の方へ向かう。
ちらりとラグナの家の方に視線を向けると、何時ものようにミストが立っていて、のんきな様子であたし達に手を振ってきた。
ミストは、あたしの幼なじみ。
ちょっと、何を考えてるかわか分からない所はあるけど、悪い奴じゃない。
ぼんやりとしてるようで、あれで結構しっかりしてて、負けず嫌いなのよね。
昔からよく一緒に遊んでて、気がつくと競争になってたわ。
ラグナとは仲が良くて、なにかと一緒にいる事が多い。
こうして出荷箱を見に来る時も、よく畑の前でラグナの事見てるし・・・・。
ミスト、ラグナの事が好きなのかな?
ラグナは、ミストの事、どう思ってるんだろう?
「あんた達、本当に仲がいいわよね。あんたとミストって・・・・どういう関係?」
そこまで尋ねてから、あたしはちょっと言いよどんだ。
「あの、別に、深い意味はないからね!」
もう、何言ってんだろう、あたし。
あたしは別に、ラグナとミストがどういう関係だろうと、どうでもいい筈なのに。
むしろ、あのミストがこいつを好きだっていうなら、応援するわよ。
そうすりゃ、多少はミストも変な癖が治って、まともになるでしょうよ。
うん、そう。ラグナが、誰を好きになろうが、関係ないし・・・・。
ラグナは、少し困ったような顔をしていたけれど、あたしの言葉に返事をする事はなかった。
まるで聞こえなかったように、また畑を耕し出す。
あたしは、気を取り直して、ラグナの家の出荷箱を覗いた。
でも、
「ちょっと、ラグナ、空っぽじゃない!!」
スッカラカンの出荷箱を覗いて、思わず嘆く。
「すみません、今日はずっと春の種を蒔くために、畑を耕してばかりいたので」
また手を止めて、少し疲れ気味にラグナ。
「ちょっと、あんた顔色悪いわよ。大丈夫?」
「大丈夫です。もう少し耕したら、休みますから」
「あんた、働き過ぎよ。しっかり休んで、体調管理する事も、商売人の努めなんだからね」
取り敢えず、出荷箱が空っぽなのは仕方ない。それを、引きずってちゃいけないわ。
それより、お得意さんの体調の方が大事。
この切り替えも、商売人には必要なのよ。
するとラグナは、にっこり笑って、
「ありがとうございます」
と言った。
う~ん、でも、きっと終わるまで休まないんだろうな。
この、笑顔がくせ者なのよね。
こんな笑顔しながら、本当は凄く頑固なんだから、こいつ。
でもまあ、ミストもいる事だし、と思って、あたしは手ぶらのまま、お店の方に戻る事にした。
ほら、大丈夫。
別に二人の事なんて、何とも思ってやしないでしょ?
それから数日後。
「あら、こんなに沢山、凄いじゃない!」
最近少なめだった出荷箱に、いきなり増えた出荷物を見て、思わず驚きの声をあげる。
「春ですからね」
ちょっと自慢気にラグナが言うので、思わず笑ってしまった。
「あんたの総出荷量、計算してみたら凄かったわ。お店としては、ありがたい事だわ。ほんと、感謝してるのよ」
出荷箱からイチゴを集めながら、背後にいる筈のラグナに向かってそう言う。
こうして、作ってくれる人がいるから、あたし達は商売が出来る。
それを、ちゃんと分かってないといけないと思うのよね。
常に、感謝の気持ちを忘れずに、よ。
それが、商売の秘訣でもあるかな。
「ロゼッタさんこそ、あれこれお店を切り盛りして、色々な新しい事を考えて、頑張ってるんですよね。すごいなぁ、って、何時も思ってます」
「やっ、やあね、褒めても何も出ないわよ。それにあたしだって、女の子なんだから、仕事ばっかりって訳じゃないし」
肩越しに、ちらりとラグナを見る。
なんだか、そんな風に言われると、いかにも仕事だけの女みたいな気がしてしまうわ。
勿論、褒められたら嬉しいけど、そうじゃない事も、少しは主張したくなる。
「えっ、そうなんですか?仕事の他に、何をしてるんですか?」
驚いたようなラグナの声に、ちょっとムッとする。
あのね、ラグナったら、あたしには仕事しかないって思ってるのかしら?
そりゃ、商売は楽しいし、あたしに向いてるとは思うけど、他に何にもないって訳じゃないわよ。
「何って、色々よ」
あたしだって、浮いた話しの一つや二つ・・・・・、やっぱ、ないか。
でも、これから、きっとステキな王子様に出会えると思ってるんだから!
「そうですか。でも僕は、一生懸命働いてるロゼッタさん、好きですよ」
不意にそんな事を言われて、かっと頬が赤くなるのが分かった。
「あのね、好きだとか、そういう言葉、簡単に言わないの」
もう。
ラグナって、ほんと、天然だわ。
そんな言葉、普通にさらりと言ってしまえる所が・・・。
きっと、何にも考えずに言ってるに違いないもの。
それでもちょっぴり嬉しくて、そんな恥ずかしさを誤摩化すため、あたしは意地悪な笑みを浮かべて見せた。
「って言うかさ、そんな事言って、あんた、まさかあたしに気があるんじゃないわよね?」
冗談ぽく言う。
そうやってからかうと、何時も赤面して照れるのは、ラグナの方だった。
真っ赤になって、しどろもどろになって・・・。
あんまり素直過ぎるから、ちょっとからかってみたくなるのよ。
なのに、今日はやけに真面目な顔で、黙り込んでしまった。
やっ、やだな、調子狂っちゃう。
仕方なくそそくさと出荷箱のイチゴを回収して、パタンと蓋をしめる。
ここだけの話し、実は、イチゴって大好き。
甘くて、ちょぴり酸っぱいけれど、幾らでも食べれちゃう味よね。
食べ出すと、止まらなくなっちゃう。
こんなに沢山出荷してもらったら、ちょっとくらい食べちゃおうかしら、って気になっちゃいそうだわ。
あっ、勘違いしないでね、本当に食べちゃう訳じゃないから。
商売人だもの、商品には手をつけません。
「じゃあ、また明日ね」
相変わらず黙り込んだままのラグナに言って、手を振る。
ラグナは、やっぱり無言だったけれど、不意に顔を上げて、
「ロゼッタさん」
と、真面目な顔で呼び止めた。
「何?」
「・・・・あっ、いいえ、また明日」
何よ。
変なラグナ。
その時は、ちょっと何時もと違うな・・・と思ったけれど、別段深く考える事なく、あたしはそのままラグナと別れた。
次の日の夕方、またラグナの家に向かう。
毎日、毎日、それがあたしの日課。
彼の畑は、何時も沢山野菜や果物がなっていて、綺麗なお花が沢山咲いていて、輝くばかりにルーニーが舞い踊ってる。
今では、一日の仕事の最後に、彼の畑に行く事が、ささやかなあたしの楽しみでもあるのだ。
ほのぼのした空気に、癒されるっていうか・・・・、持ち主と同じで、何時も笑顔をくれるから、あたしも笑顔になれるのよ。
仕事も頑張ろう、って気持ちになる。
そんな事、照れくさくてなかなか言えないんだけどね。
今日は、確かラグナ、昼前にお店に来た時、くじら島に行くので夕方はいないって言ってたっけ。
ミストも、このところ姿を見ないわ。
毎日、毎日、よくそんな暇があるわねってくらい、ラグナの畑に入り浸ってたのに・・・・。
春になってからの、周りに起こった小さな変化を不思議に思いながら、出荷箱を開ける。
すると、今日もまた、溢れるほどのイチゴが出荷されていた。
すごい、またイチゴばっかり。
ラグナが作ったイチゴ、きっと美味しいんだろうな。
今年はほんと、イチゴの出荷が凄いのよね。
あっ、そう言えば、秋のサツマイモも凄かったっけ。
他のものは、そこまで多くないのにね。
ラグナも、あたしと同じで、イチゴとサツマイモが好きなのかしら?
くすっと笑ってから、ふと思う。
あれ?
あたしと同じ?
あたしの好きなもの?
・・・・まさかね。
駄目、駄目、考え過ぎ。そういうの、期待してたら駄目よ。
って、期待してる訳じゃないのよ、本当に。
ラグナはいい奴だけど、あたしは別に・・・・。
好きだけど、特別な意味はなくて。
ああっ、そんな事考えてるあたり、何か変だ。
小さな変化が、やがて広がって、大きな変化へと繋がる。
そんな事も知らず、ただ小さな波に、僅かな揺れだけを感じていた。
それからも、毎日、毎日、祝日以外、あたしはラグナの家に通う。
それが、仕事。
仕事なんだけれど・・・・。
春の間、出荷箱には、やっぱり毎日かかさずイチゴが入っていた。
こんなに沢山、って思うくらい、本当に沢山のイチゴ。
そして、一面のイチゴ畑。
今年は、花も野菜もない。
それが、まるで、あたしへのプレゼントみたいな気がして、胸がそわそわしてしまう。
大好きなイチゴを食べた時のように、甘くて、酸っぱい思いが広がってくる。
ねえ、ラグナ。
これに、意味はあるの?
この四角い箱の中に、こんなに溢れるほどイチゴばかり入れるのは、どうしてなの?
聞きたくて、でも聞けない。
あたし、怖い・・・のかな?
聞いたら、この気軽な友達関係が、崩れてしまいそうな気がして。
それなのに、何処かで期待してる。そんな、訳の分からない気持ち。
やがて、トランルピア湖の小島にそびえるソレッソの花が散り始め、美しい花吹雪と共に強い太陽の光で湖面が輝き出すと、もうすぐこの村には夏がやってくる。
春も好きだけど、夏も好き。
この村は、何時だって美しいけどね。
春も最後となる日の夕方、あたしは何時ものようにラグナの家へ向かった。
この春の間、ずっとかかさずに入っていたイチゴも、もう明日からはない。
結局、その意味も分からないまま、夏を迎える事になるのかな?
聞きたいけれど、聞けないまま。
畑に行ってみると、相変わらずラグナは忙しそうに、ひたすら畑の水まきをしていた。
今年の春、一面に植えられたイチゴ畑。それも、今日で見納め。
大好きなその味と、甘酸っぱい匂いとも、またしばらくお別れだ。
「ロゼッタさん、こんにちは」
何時ものように、ラグナが声をかけてくる。
「こんにちは。今日も、頑張ってるわね」
あたしも、何時ものように答えた。
このやりとり、ずっと、二年間も続けてきたのよね。
ラグナは、ちょっと手を休めると、思いついたように身をかがめて、畑に残っていたイチゴを一つ摘んだ。
それを持って、あたしの方へ近づいて来る。
「どうぞ、これは、何時も頑張ってるロゼッタさんに。」
「あら、ありがとう。あたし、イチゴ大好きなのよね」
「知ってますよ」
ラグナの言葉に、一瞬ドキッとした。
「あんた、なんであたしの好きなもの知ってるの?」
「それは、ロゼッタさんが好きな人だからです」
言われて、少し沈黙した。
と言うか、その意味を考えるのに、少し時間が必要だったのだ。
ラグナの好きって、考えてみたらよく分からない。
誰にでも、平気で好きとか、言っちゃいそうじゃない、この人。
きっとラグナの事だから、全然何も考えず、そういう事を言ったんじゃないだろうか?。
「もう!」
多分、からかわれたのだと思ったあたしは、少し怒ったフリをして、そう言った。
「それより、最近ミストを見ないわね。あんた達、凄く仲良かったじゃない。もしかして、喧嘩した?」
「ロゼッタさんって、一見冷たそうに見えるけど、本当は優しくておせっかいですよね」
「どういう意味よ」
ムッと顔を顰めると、ラグナは困ったように笑った。
「だって、僕とミストさんの事、心配してくれてるんですよね?作物の事とかも、頼む前から色々教えてくれて、ちょっと気が強そうだから、キツい人に思われがちだけど、本当は他人の事ばっかり考えて、気を使って」
「そんな事・・・・ないわよ」
「いい子だなって、ずっと思っていました」
「いい子って、あんた、あたしの事バカにしてる!?」
いい子なんて言われて、なんだか腹が立ってきたので、そのまま出荷箱の方へ向かおうとしたのだけれど、ぐいっとラグナに腕を掴まれた。
「なっ、何?」
「怒らないで、僕の話し、最後まで聞いてください」
だって、ラグナが悪いのよ。
いい女とかならまだしも、いい子なんて、まるで子供扱いじゃない。
そんなの、嬉しくないわ。
あたしはもっと、ラグナに・・・・。
あっ。
そこまで考えてから、なんとなく全てが合致していくような気がした。
なんだ、そうか。
ものすごく、簡単な事。
あたし、ラグナが好きなんだ。
この、本当にバカで、バカ正直で、どうしようもないくらいお人好しで、優柔不断だけど、優し過ぎるくらい優しいこの人を、あたし、いつの間にか好きになってたんだ。
友達じゃなく、一人の男の人として。
だからきっと、ずっと、この春の間、期待してた。
小さな箱の中に込められた思いが、あたしと同じであるように・・・って。
「心配しなくても、喧嘩なんかしてませんよ。ミストさんには、少しお願いして、ここには来ないようにしてもらいました」
「どういう事?」
掴まれた腕の力が少し強くて、あたしはちょっと眉を寄せる。
それに気づいたのか、ラグナは手を離して、少し身を屈めながら、あたしと真っすぐに視線を合わせた。
「僕の好きな人が誤解をするので、少しの間来ないで下さいって」
その意味に気づいた途端、顔から火が出るような気分になった。
それって、あたしの事?
「ちょっと、何勝手な事、言ってるのよ!あたしは、別にあんたの事なんて・・・」
・・・・・・・。
好きじゃないって、言えなかった。
だって、分かってしまったから。
あたしが、あんたを好きな事。
好きじゃないって言ったら、あんたはきっと本気にするわ。
あたしの小さな嘘を、今まで本気にしてきたように。
言葉の裏に秘めた、自分でも気づかなかった思いを。
「好きよ」
と、小さな、小さな、本当に小さな声で憮然と答える。
するとラグナは、
「えっ?」
と、聞き返して来た。
「二度も言わない!」
言える訳ないじゃない。
すると彼は笑って、手にしたイチゴをあたしの方へ差し出して来た。
「どうぞ、僕が丹誠込めて作ったイチゴです。きっと、どんなイチゴより美味しいって、自信があります。あなたの為に、作ったイチゴですから。最後の日まで、あなたが好きなこのイチゴが実ったら、僕の気持ちを伝えようと、そう思っていました」
差し出された手と、ラグナの目を見つめて、少しため息を吐く。
ラグナって、結構ロマンチストだったんだ。
あたしだって、こう見えて、実はロマンスの本なんかこっそり読んじゃってるけど。
だから、本当は嬉しい。
でも、素直に嬉しいって言えなくて、どうしていいのか分からなくなる。
それでも、黙ったまま、彼の手にあったイチゴを一口かじった。
きっと、あたしの顔も、このイチゴのように、ものすごく真っ赤だったと思う。
大体、ラグナにそんなに真っすぐに言われたら、冗談にして突っ込む事も出来ないじゃない。
こういうの、駄目だわ。
もう、恥ずかしくて、涙が出そう。
でも、ドキドキする気持ちが、ちょっぴり嬉しい。
嬉しくて、悔しくて、恥ずかしくて、ドキドキする。
そんな、相反する気持ち。
夕日を遮るように、不意にラグナが顔を寄せ来たので、あたしはびっくりした。
彼の唇の触れた感触に、益々頭が沸騰しそうになる。
硬直したまま、言葉も返せず、ただその唇が離れるまで、棒のように突っ立っていた。
そんな自分が、嫌になる。
あたし、こう見えても、全然恋愛経験少ないんだから。
今まで、仕事ばっかり頑張ってきたから、彼氏を作る暇もなかったし。
それに、ラグナが、いきなりそんな事するなんて、想像もしてなかったわ。
こんな所で、誰かに見られたらどうするのよ!?
なんか、ラグナじゃないみたい。
思わず、口を押さえて彼を睨むと、当の彼も真っ赤になっていた。
「すっ、すいません、僕の作ったイチゴを食べているあなたを見たら、無性に触れたくなってしまって」
しどろもどろになって言う姿は、何時ものラグナ。
彼はボリボリと頭をかいて、
「それに、ロゼッタさんに近づく為には、僕ももっと行動しゃきゃいけないって、そう思ったんです。きっと、待ってても、あなたは振り向いてはくれないでしょ?」
と、少し照れたような笑顔で言った。
まだ顔が赤いままなのは、彼も出来る限りの勇気を振り絞った、って事かしら?
でも・・・・。
あたしに、近づく?
何言ってんのよ。
あんたは、もう十分過ぎるくらい、あたしに近づいてる。
それどころか、追い越しちゃってるかもしれない。
こんなにドキドキして、自分じゃどうしようもないくらい、あたしがあんたを好きなのは確かだから。
ミストにまで、焼きもちやいちゃうくらい・・・・。
ラグナだって、もう知ってる筈。
「ソレッソの花は散ってしまったけれど、夏に入ったら、一緒にトランルピア湖まで行って涼みませんか?」
「いいわね、たまには仕事も忘れて、涼しい所で、のんびり過ごしたいものね。って、それって、デートのお誘い?」
「はい、そうです」
やっぱり照れくさそうに笑って、ラグナは手に持っていた、あたしの食べかけのイチゴを、自分の口に放り込んだ。
それだけなのに、なんだかとっても恥ずかしい。
ドキドキして、甘酸っぱい気持ちが広がる。
「いいわよ、楽しみにしてる。自分で言ったんだから、忘れないでよ」
「大丈夫ですよ、絶対に忘れません」
少しだけ何時もの調子に戻って、あたしとラグナは笑った。
約束の日、約束の時間、トランルピア湖でラグナを待ちながら、あたしはラグナがいる時間を振り返る。
きっとこれからも、全てを赤くする夕日の中で、あたしは何時も通り出荷箱を開け、彼の作ったものをお店に持って帰るんだろう。
彼は、あたしの店から種を買って、作物を育てる。
育てた作物を、あたしが回収して、お店で売る。
なんだか、ちょっといいコンビよね。
子供の頃から夢みてた、白馬にまたがった王子様は来なかったけれど、それよりもっとステキなものが見つかった。
だから、それでいいわ。
あたしお店の種を大事に育てて、沢山の実りをもたらせてくれる。
何時もそこにある笑顔と、そしてこの箱にこめられた彼の思いが、あたしにとって一番の宝物だと思うから。
「すみませ~ん」
時間より少し遅れて、ラグナがやって来た。
多分きっと、仕事に熱中して、時間を忘れてたに違いない。
「遅い!!時間に正確なのも、商売人には必要な要素よ!」
ちょっと厳しく言ったけど、すぐにそれは笑顔に変わった。
だって、あんたとこうしている事が、楽しくて仕方ないんだもの。
ちょっと天の邪鬼なあたしだけど、この気持ちは嘘じゃない。
だから、これからもよろしく。
ねっ、ラグナ。
END