子育ての中で圧倒的に

感じないようにされがちなのが


 

悲しさ

寂しさ

 だと思う。


 


子どものサポートに携わらせてもらって

18年目

 

 

「子どもがかわいそうだから」

「子どもがさみしがるから」

という言葉を沢山聞いた

 



かわいそうだから、しない

寂しがるから、やめる



だからの後には、必ずやめる、しない

という言葉を聞く

(私も過去沢山言ってきた)


 



寂しい、悲しいを

子どもにも感じさせてあげてほしい

 

 


感じた後に、それとの付き合い方を

知っていけばいいんじゃないかな〜

 

 

 

感じること自体を

禁止したり無かった事にしようとすることは

結果的に感じてよ!をより大きく強くする。

 


 

例えば、汚い生ゴミ

みたくなくて蓋をすると発酵→腐る→臭う

見たくないし触りたくないから

更に密閉性の高い物に入れて覆い続ける

次開けたとき激臭い

ドロドロになって袋から出てきたり

見たこともない虫がわいていたり...

 

 

 

ただ、捨てれば良いだけだったものが

臭わないように(隠すために)

お金を使い

手間を使い

逆にずっと気になって仕方なくなる

 

 


 

感情もその場で感じて対応するだけ

扱い方が分かってるととてもシンプル。

 

 

 

 

書いてる私はつい数ヶ月前まで

自分に感じることさえ許可ができてなかった人

 

 

 

でも、子ども達は素直に言う

悲しいと泣くし拗ねるし

寂しいと腕や脚にひっついて離さない

 

 



その姿をみてると愛おしくなる。

 

 

ストレートに出た感情は濁ってなくて

すごく軽くてきれいだと思う。

(悲しいとか寂しいとかでさえ)

 

 

 

そして最近ようやく気づく

 

 

子どもが寂しそう、悲しそうに見えて

自分の心がぎゅっとなるときは

私の方に必ず感じたくなかった何かがある

 


 

前もって子どもが悲しまないように

寂しくならないようにしたくなるときは

過去の私が感じたくなかったその感情を

また子どもで見ないように予防線を張っている時


 

 

子どもの達の姿は

過去の癒やしきれなかった私であり

抑えて無かったことにしている本来の私

 

 

 

子育てって子どもを通して

新しい自分を作っていく

(本来の自分に戻っていく)

親と子の人生かけた一大プロジェクトだと思う。

 

 

遊園地を作っていくみたいな感じ

 

 

遊園地ってほのぼの遊べるゾーンと

わざわざドキドキしたり恐怖を感じるゾーン



 


怖い、悲しい、寂しいゾーンも

ある方がより楽しめるってことね~




 

乗り方や楽しみ方がわかってると

必要以上に怖がらずに体験できる

どの感情も安心して感じたい。

 

 



自分で書いて自分で納得

 

 

 


 私も寂しさ悲しさを感じてもいい

言葉にして出してもいい