思わぬ事で時間ができてしまった。
リーダー(けけたん)に続いてDioも昔(Noah's ark時代)を振り返ってみよう

去年、シズクと初めて一緒にステージに立った時。
ちまたでは結構話題を呼んだDioのアイメイク。
当時のメイクさんに“Dioさんはメイクアップアーティストとしてやりたい放題やれるからメイクしてて楽しい”って言われたのを覚えてる。

去年の六月頃。
Dioは当時、Liveラストの閉めジャンプをすべてお立ち台から『バク宙』していた。
よく間違われていたが『バク転』ではない。『バク宙』である。空中で一回転である。
これはそれで失敗して頭から落ちた。いやー
痛かった。
悶絶して運ばれた。一緒のステージ立ってまだ二度目のシズクと当時のベースが担ぎ出してくれた。
その後はエライ吐き気に見舞われ、ずっと意識が朦朧としていた。
翌日病院でCTスキャン。脳に異常がないかスタッフに連れて行かれた
論外である。異常はあるに決まっている!笑
これを最近スタッフに見せたらDioさん史上最高にカッコイイです!と言われた。
いやだわ!笑 死ねと?笑
ウチのスタッフはめっちゃイイ奴なんだが時折頭が完全にファーラウェイしちゃってるのが玉に傷だ。(笑)
当時俺は、“ああ、ロックやって死ぬんだなぁ~”って毎晩悩んでた。

九月。
日本の中心“東京”はただゲロ臭い張りぼての街だったけど
世界の中心。ってどんなだろ?と思ってニューヨークに行った。
帰って来たら頭がピンクになっていた(笑)
日本各地、世界各地からメッセージが届いたのを覚えている。
“私は金髪のDioが好き!”
はいはい出来心ですよ

次のライブ(笑)。
全身ピンクでLiveしてやった(笑)
10月の初エリアLiveだな。
確かDir en greyの『凱歌、沈黙が眠る頃』をコピーしたんだ。
ジャージはニューヨークのソーホーにあるアディダス専門ショップで買ったもの。
今でも大事な宝物。
その後は写真がない。
後は、、、

こんなん(笑)。
髪が紫だった頃。
Dioは学校とかにまともな格好をして行った事がない。ポケットにはライター型の拳銃。足にはカエルのティッシュケースを嵌め、サングラスは常に顔より三倍くらいデカイやつ。
他は大体ジャージ(笑)。
いやぁ、有意義な大学生活だった。卒業できなかったけど(笑)。
今休学中です。いつか必ずします。お母さん。
まぁ
そして12月26日。
あれは記憶に残るLiveだった。
俺は、自分が生まれてから今に至るまでのすべてを
“一つの線”にしたい。と思って生きてる。
犯した過ち。自分という人間。出逢った者、別れた者、すべて。
そのすべてに意味があって、今がある。そのアイデンティティが欲しい。
それを感じた最初で最後の瞬間が、この日最後に演奏した“Masquerade”。
一音一音が、その時点での俺の人生すべてだった。
あんな演奏またできるのだろうか?
たぶん初見で何も知らなくても泣ける一曲だったと思う。
全員、今まで、すべての為にあの曲は演奏された。
そうやって始まったSIN。
まだ入り口にすら立てていない。俺はそう感じてる。
何がNoah's arkの頃から変わったって、そんなにないんだよ。
単に12月26日にすべての決着がついたってだけだと思う。
また1から。
すっげー色んなコトがあると思う。っていうか
もうありすぎてシャレにならん。
またすべての闇を拭い去る時は来るのか?
お前等は目撃者であって欲しい。
俺は絶対に辿り着く。そういう未来にね。
だから忘れない。
愛してるよ みんな。