最近のこと、私のピアノの先生のこと | 野坂ひかり official blog “Sing with Piano”

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ピアノ弾き語り“切実系”シンガーソングライター

昨日はレーベルのオーナー(ナチュラルハイテックの林さん)と一緒に、 野坂ひかり セカンドアルバム「 バスルームの人魚 」の音源と資料を持って新宿のライブハウスにご挨拶巡りへ。



新宿marble、新宿motion、新宿MARZ、新宿LOFT、新宿SACT!、新宿SAMURAI、新宿レッドクロス、などなど、ライブハウスのご担当者さまご対応頂きありがとうございました。m(__)m

B型野坂とO型オーナー林さん、何とも絶妙に馬が合うので、何だかお互いのんびりしていてこんなに苦じゃない人間関係珍しい、、、

新宿サムライの店長おんぺさんは、昔セカオワと対バンした時にイベント組んでくれたオーガナイザーで、再会出来てとても嬉しい!!

他にも昔からの知人が共通の知り合いだったり、やはり業界は狭いと言うか、点と点が繋がってく感じがとても面白いです。

帰りに新宿タワレコ寄ってみて、もうさすがに試聴機は外れてたんだけど、自分のCDがちゃんとCDショップに置いてあると言うのは、何とも感慨深いです。



帰ったら弟にTwitterでレシピ見つけた、カルボナーラそうめんを作って食べさせたら、いつの間にか深夜で、疲れていたのかばたりと寝てしまって朝だった。
(自分は納豆とお味噌汁と卵焼きだった)
右足の甲が虫に刺されたのかすごく腫れていて痛くて、きんかんを塗りたくってそのまま就寝。起きてもまだ膨らんでいるみたいに腫れている。


弟が体調が悪いようで会社を休んでいて、まあ心配してもしょうがないので、お姉ちゃんは最近ひたすらごはんを作って食べさせています。





二十歳くらいの時にやりたかったことを、今やっとやらせてもらっている感じ。

しかしレーベルのオーナーも休みなく働いているので(睡眠時間三時間くらい)、何だか大変だなぁ。

朝から母が飼っている亀の甲羅干し(日光浴)をさせていて、二時間くらい日に当てたらボロボロと甲羅が乾いて剥がれ落ちて脱皮する。

一度台風の日にうちの亀は体調を崩して死にかけて(傾いて名前呼んでも反応しなかったし下痢してた)、手厚く看病されてから、今ではすっかり家族の一員のように扱われている。
(母がタロットで、亀の気持ちを見てみたら、「うちらのことを家族だと思っている」と出て、「泣ける」とLINEが来た(平和)。)

先月は、CDが初めての全国流通リリースだったし、ライブが7本もあったし、仕事も行っていたので、精神的にパンクすれすれだったと思う。
そして、20年ピアノを習っていた先生が、ゴッホのようにニルヴァーナのカートコバーンのように亡くなってしまった。

音楽家はとてもセンセーショナルなものだから、私のピアノの先生は誰選りも音楽家だった訳だけれど、まさか自分にこんな日が来るなんて思っていなくてびっくりしている。
たぶんつい先日まで心が体に追い付いていなかった。
そんな中後れ馳せながら宇多田ヒカルの「Fantôme」と言うアルバムを思い出して(タワレコ新宿店に試聴機のお礼ご挨拶回りに行った時に買った)、これは今聞くしかない、と思ったら、その通りだった。

一曲目の「道」の歌詞が、私と先生の間柄にぴったりの曲だったのだ。
余りにもぴったりすぎて、電車の中で聞いて泣きながら出勤し、働き、その日は一日中その曲を聞いて過ごし、余りにも気持ちが解りすぎて苦しくて聞かない方が良いかと思ったくらいだ。
それでも曲の魔力には逆らえないもので、繰り返し繰り返し聞く内に、
いつの間にか涙は出なくなっていた。
これが、「音楽の力」なのか、と思った。

私のピアノの先生は、小さい頃暮らしていたマンションの隣の部屋に住んでいたので、正に親代わりのような側面も持っていたのだ。
先生のお家にレッスンに行った帰り、ごはんをごちそうになって帰ったこともある。
一人暮らしをしていた頃の私に、「炊きたてのごはんを、潰さないようにふわっとラップをかけて包めば、冷凍しても美味しいままだよ」と教えてくれたことも思い出す。

色々と怒ってくれたし、私は先生のお陰でレッスンが一度も苦じゃなかったし、ピアノの事を嫌いにならなかったのだ。

つまりは、本当に、大切なひとだった。
人生の中で本当の意味での恩師だ。忘れる訳がない。私のピアノにとっての、母親代わりのような人だ。

まさかゴッホのように、カートのように、居なくなってしまうとは、もう会えないなんて信じられない。

私は告別式の日に出席してからライブに出演したのだけど、母は仕事だったため、先生のご自宅に御供えとお線香を上げに、四十九日前にご挨拶に伺わせて頂いた。
それくらい、家族ぐるみの付き合いをさせてもらった。

ああ、どうしよう、言葉にし切れない。
泣きながら今これを書いている。
書き出したら止まらないから、長く書きたいから、今日のライブが終わってからにしよう。

今日は渋谷のセブンスフロアでライブなのだ。
セブンスは「天国に一番近いライブハウス」と言う異名を、ファンの方から教えてもらった。

天国まで、ちゃんと届くだろうか。

こんなに吐くように何度も何度も泣く日が在るのだと、大切な恩師のピアノの先生が亡くなって初めて知った。
貰ったものが多過ぎて、私は世話になりすぎた。
これだから、人と人が深く関わると言うことは、と泣きながら鼻を咬みながら、思わずある晩の深夜に母に吐露した。

遺された側の人間は、悲しいとか切ないとか通り越して、無力だ。
何か力になれたのでは、話してくれたなら、と思ってしまう。

私はこの先生の死を通して、ピアノをずっと弾いていくこと、ずっと音楽をしていくこと、が何か運命的に決定付けられた気がする。
そうでなければ、やっていけない、この気持ちや心や人生の重荷の置き所なんて、音楽以外には救えないのだ、と悟った。

そして先生の命日となった日は、私のCDが初めてCDショップに並んだ日だった。その日も私は歌っていた。忘れられない、と思う。

お母さんを亡くした宇多田ヒカルの作った歌が、私に深く寄り添ってくれた。
音楽と言うのは、それだけで意味があるのだと思う。
音楽は最初は神に捧げる祈りのための歌や踊りだったから、私が音楽に祈りを込めるのも、決して間違ってはいない。

先生、先生、先生、
私は今日もあなたに習ったピアノを弾いて歌います。
欲を言えば、本当はもっと一緒に居たかった、
でも、ピアノを弾く時、私の心はいつもあなたを想います。
ピアノを弾けば思い出す、忘れる筈ない、ずっと覚えている。
それが私に出来る、唯一の一番の供養だと思う、あなたの弟子として。

今日は天国に一番近いライブハウスだって、
あなたに向けて音を飛ばします。

どうか先生が、心安らかに、安らかに成仏出来ますように。
ご冥福を心から祈っています。




杉本先生、私にピアノを教えてくれて、ありがとう。

先生のお陰で、私は生きて来れました。

こんなに晴れたお天気の日だから、気持ちよく歌えるはず。

今日も準備をして、私は歌を歌いに、ピアノを弾きに行くんだ。