本当に自分がしたいことってなんなのだろう。

中学生の頃に進路だったりで将来のこそう悩んだときに私の中の答は好きな人と宝物になる子どもちゃんに囲まれて暮らすこと。

愛することを体現することだった。

 

今もその思いは変わることはないし、好きな人においしいご飯を食べてもらいたいし子どもちゃんに、私の元へ産まれてきてくれてありがとう。そう伝えたい。

出来ることなら本と音楽、映画がそばにある喫茶店を開いて一緒にケーキを焼いたりお茶をしたい。

それが私の夢であり実現したい将来なのだが、私はいったい何をしているのだろう。

貯蓄をするために働くことはもちろん大事だが、今の仕事は特別、私のしたいことではないし精神や体に異常をきたしている。

それでも何とか居座っている理由は社長の考え方や理念が好きだからであって、本当にここで仕事をしたい訳でも一生を終わりたい訳でもない。

そもそものギャップを埋める事ができないでいるのに居る意味を見出せないのだ。

 

生きる意味とはなにか?

思い悩んでいた時期はよく考えていたけど、今は考えることをやめてしまった。

当時は「人に必要とされることが生きる意味だと」そう思っていましたが今では、そもそもの生きる意味としての捕らえ方が違うので考え方がかわってきました。

上記のように思っていた時期は「生きているなら誰かに必要とされなければならない」そう受け身な捕らえ方をしていたので、必要とされないなら生きている必要はないとさえ思っていたのでどうやったら早く死ねるのか?そんな事を考えていました。子どもでした。

 

今の捉え方は「生きるにはなにが必要か」そういった考え方をするようになりました。

私が生きていく上で何を必要とし、切り捨てるか、生きているのなら何をしたいか?それが指針に一番近い表現かもしれません。

かと言って、特別生きていることに対して希望を抱いているわけではありません。

死にたいと願った数だけ私の体に傷があるように、心には埋められない溝があり、それは家族でも、友人でも恋人にでも埋めることはできないでいるそれを埋めるために今日も生きている、期待をせずに絶望しながら。

 

自分の夢を一つくらい叶えたい。

そう考えるとなおさら今の仕事は私には向いていないのかもしれない。

夢を叶えるために必要なことがここで補える訳ではない気がしているし、他人と仲良く足並みそろえて暮らしていくのは我儘な私には向いていないのだ。

生きていることが向いていないのだ。

 

 

 

 

しの つばさ