お金を払ってでも、話を聴いていくれる人が必要なのかもしれない。

人と話をする時に自分の経験から語る人がほとんどであると思う。もちろん私もそうだしそれを否定しようとは一切思わない。

それがコミュニケーションの形なのだから。

 

けれど私がいつも疑問に思うのは、人が話した内容に対して共感や相槌、否定の言葉でもいい。

何故、その人の言葉へ対する返答を返さないのか…?

聞いていると話の内容に被せるように「自分はああだった、こうだった」、「あなたの方がマシ」、そういった言葉やニュアンスを発している人が多いなと私は思うのです。

それが正しいコミュニケーションの仕方なのか?私が変な事を気にしているだけなのか?それともただの被害妄想なのか?

そう考えてきた結果、私はその人の話題に対する返答をする様になったため自分から話を振ることがとても下手になりました。

上記の事を言い訳にするつもりはありませんが、とにかく受け身で居る事が多いので話を聴いてほしい人には好かれますが、被せて話す会話を好む人とは話が弾まないので輪の中から自然と弾き出されるようになりました。

 

声が他の人に比べ、少し高めである事が理由にぶりっ子だと決め付けられることも多く、一部の女の子には嫌われていました。笑

今の会社でも、声が高いことで小学生がする嫌がらせのような好意も受けました。その行為をしてきたのは40前の方で正直、絶句してしまいました。

私が勤める会社の理念は立派なものなのにどうして代表すべきおとなが、こんなにも子どもなのだろう。

おとなこども、なんていう言葉がありますがそれを遥かに通り過ぎて身体だけ大きくなって知識のある子ども。純真さの欠片もない悪意の塊でしかない行為に笑いも出なかったのが懐かしいです。

 

そんな事もあり、余計に人とのコミュニケーションをとるのが苦手になり煩わしくなってしまった私は考えるのでした。

もちろん答えなんて見つかりません。放棄してしまったようなものなのですから…。

 

ただ、聞いてほしい時があるんです。

相槌をうってくれるだけでいい、あなたの経験談を聞かせてほしい訳ではないんです。

けれど、こう思っていることが求めることが傲慢なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

しの つばさ