こんにちは。
コーチングの青井 泉です。

私は、いち私企業は私立高校のようなもの、と思っています。

私立高校って、月に何回か敷地内の教会で行われる日曜の朝のミサに出る、とか
授業の前に運針(針と糸で布を縫う)の時間がある、とか
そこまで目立つことじゃなくても、大なり小なりその学校では常識とされているきまりみたいなものがあると思います。

会社もそれと同じで、
その会社の常識はそのほかの会社の非常識と思った方がいい。
 
 
会社って、すごく狭い世界で(グローバル展開で人材の行き来も活発な企業なら話もだいぶ違ってきますが、それでも)
同じ人間が同じ箱の中で長い間顔突き合わせて同じような仕事をしていることが多いわけです。
そうするとそのムラ社会の中だけで通用する常識みたいなものができてくる。

いわゆるリーディングカンパニー(業界トップなど)はその傾向は薄いかもしれませんが、
それはそもそも優秀な方が多く、社外に学びや出会いの場所を持つ視野の広い方が多いからなだけで、
やはり社内の常識、社外の非常識となることもあるのではないでしょうか。
 
 
でも、所詮は何十人~何千人の(何千人の会社だって所属部署だけ考えたら多くて何百人程度でしょう)同じ場所で同じことをしてきた人たちの集まりで、考え方だって偏りがちになるわけです。
逆に醸成された文化が業務の遂行に都合がよかったりすれば、敢えて内輪の文化を尊重することもある。

そんな中で、例えば何か問題が起こって上司に叱責されたとして、
その叱責が正しいかどうか、(自分の中で)その会社以外の常識、基準を以て判断ができているでしょうか。
 
 
会社人間で会社しか自分の世界、ソサエティを持っていないと、
どんなに自分の知識・経験に自信を持っていても、会社から与えられた処遇が正しいと思い込みがち。
(心のどこかでその会社にしがみついているから。長くそこにいたいと思っているから)

特に自分が憧れて、見上げて入った会社の中で、自分が尊敬する上司にコテンパンに叱責されると
そもそもビクビクしてるから、まず自分を責めてしまいます。
 
 
でも、
ちょっと俯瞰で眺めて、広い視野で捉えてみて、
それでもその叱責って正しいでしょうか。

他に判断基準を持っていると、見当違いな処遇からは、自分を(自分のメンタルを)守ることができる。
 
 
次回は他の判断基準の持ち方を書きます。