4月27日の朝、父が天国へ旅立ったと妹から連絡があった
82歳だった
日本をこよなく愛し、日本文化と社会に対して興味が薄れることがなかった父
遠く離れていても、私が日本で暮らしていることを心から喜び、応援してくれていた
父のアメリカでの半年間の英語研修を経て、私たち家族が日本に来たのは1965年、父32歳、母24歳だった
海外旅行も珍しいころ、福音ルーテル教会(フィンランドの国教)の牧師だった父は、日本で働く道を選んだ
幼い子どもを抱えて、言葉も文化もわからぬ土地への移住、勇気のいる決断だった
その選択が、その後の私の運命を決定づけることになろうとは、彼は想像もしていなかっただろう
愛情深く、一目惚れして恋に落ちた母には常に揺るぎない愛を注いでいた
口には出さなくても、心の中ではいつも家族のことを大事に思い、祈ってくれていた
遠く離れていても感じることができる彼の愛は、私の心の支えになっていた
しかし躾けには厳しく、頑固で、怒ると怖かった
それでもっていたずら好きで冒険好き、少年のようなやんちゃな可愛いさもあった
信仰深く、どんな時でも「大丈夫、なんとかなるよ」とポジティブ思考
日本に住んでいたころ、長期の休みには家族で旅行し、日本全国の有名な観光名所・お寺・神社などを巡った
10日ほど前、家で転んで頭と身体を怪我をしたと妹から連絡があった
寝室と仕事部屋のある2階への階段も自力で上り下りできていたのに、入院生活が始まると徐々に弱っていった
危篤の連絡が来たのは火曜日、直ぐに飛行機の手配をしたものの、父の最後には間に合わなかった
それでもここ数年は年に数回会えており、今年の1月にも短い時間を一緒に過ごすことができた
お互いそのことを本当に幸せでありがたいことだと感謝していた
癌の治療をしてから14年、父は持ち前の明るさと粘り強さ、そして母の献身的な愛と身体を労る料理のお陰で、こんなにも長く、穏やかで幸せな暮らしができていた
3年前には6人目の孫が生まれ、幸せで充実した日々を過ごしていた
今年1月に撮ったこの写真が最後の1枚となった
帰国時に実家に会いに来てくれた妹と私が、自撮りがあまりにも下手で、何度も写真を撮り直す始末
しかしそんなたわいもない瞬間がたまらなく楽しく、幸せを感じた
それが父との最後の思い出となった
あなたの志を継いで、これからも日本で頑張るから、見守っていてね。
Isä rakastan sinua ikuisesti♡