最終編(全10編)〜悲しいチョビの最期〜 シロの子 チョビの一生 | ネコときどき孫

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猫を愛するあなたに送るメッセージ
我が家の猫たちの生い立ちから猫の全てに対する思いをぶつけていきます。
文章は長く、エッセー風です。
暇な時に読んで下さい。

悲しいチョビの最期

 腎機能を表すクレアチニンとBUNの数値は退院してから少しずつ下がり、一時期7月頃には4.8と44までもう一息まで来た。

 それをグラフにして楽しみにしていた私であったが、秋口位から徐々に上がり、9月24日には、5.5と79,11月5日には9.0と90、12月17日には10.0と108にまで、7月に比べ、クレアチニンが2.1倍、BUNが約2.5倍にまで上がっってしまった。

 病院にはいつかきっと数値が下がってくれると期待し行くのだが、病院に行く度に腎機能の数値は上がっていく。毎回落胆して病院から帰ることになった。

 病院に行くこと自体が猫にとって大きな負担になることは分かっていたので、家人と相談し、大英断として病院に連れて行くことをこの日をもってやめたのだ。チョビの死を覚悟した本当に辛い決断だった。

 あれ程あったチョビの食欲は暮れのクリスマスイブあたりから急激に落ちた。

前日の半分、また次の日は前日の半分と、12月27日には、既に普段の10%ほどを食べるのがやっとであった。

 下の写真はその12月27日の夜、旅立つ3日前に撮影したチョビの最期の写真である


「最期の顔だよ!」と、まるで写真を撮って欲しいかのようにソファに上がった。
しかし、何とも言えず悲しい顔だ。



12月27日

 夜から、1日に2回しなくてはならない補液であるが、嫌がって暴れて逃げられてしまう。とても注射器を扱う状況ではなくなってしまった。夜は殆ど食事はしない。


12月28日

 食事は全く口にしなくなった。水だけは腎不全のため、たくさん飲むので、おしっこは10回ほどした。補液もできない。

 回復の見込みがあれば別だが、嫌がる事はこの期に及んでまでもはやするつもりはない。

 元気は全くない。目力も弱い。じっとじっと耐えている。
 私にはチョビを撫でてあげるしかない。


12月29日

  7時45分

  泡状のものを吐いた。


  11時30分

  暖房を付けた暖かい風呂場から、少し涼しい洗面所に移りぐったりしていた。

  名前を呼ぶと、しっぽを少し動かしてかすかに答えてくれた。
  その健気さに涙が止まらない。

  洗面所に座り込んで、チョビと最期の時を過ごしたい。



 13時

  風呂場にヨタヨタ歩いて行き、蛇口からこぼれ落ちた水を数滴舐めた。

  その後、一旦冷たいタイルの上に寝転んだが、また洗面所の柔らかい毛布の上に寝た。

  寒いのは嫌うが、暑すぎるのも嫌なようだ。

  今、洗面所の温度は21度。スヤスヤと気持ちよさそうだ。危篤状態に近いはずなのに。そんな風にはとても思えない。


 19時30分

  おしっこは半日ぶりにしてくれたが、水は全く飲んでいない。 

  仕事から先ほど車で帰宅したが、私の車のエンジンの音を知っているので、音を聞き頭を持ち上げたと家内が話してくれた。涙が溢れた。

  帰宅後の久々のおしっこは、ヨタヨタ歩きでやっとであったが、それでもおしっこの位置を前もって穴を掘ってからするのだ。

  ただ以前のように砂をかける事はできない。

そして今は伏せの状態でやっとの感じで頭を持ち上げて私に見せている。
  まだ大丈夫だよと私に元気なところを見せているかのようだ。

室温は20度に下げたが、涼しいところに移動しようとする。体が熱いのだろうか。


 19時50分

名前を呼ぶとシッポを少し動かしてくれるが、目は殆ど開いていない。今顔を下げ、少し穏やかな表情で寝ている。目は少し半開きだ。呼吸は浅くゆっくりしている。

  苦しんでいるようには見えない。それがほんの少し慰めになる

ここ1週間位仕事が忙しくて、チョビのこと見てやれなかった。助けてやれなかった。

  チョビの心の支えになってあげられなかった事が悔しい。

  だけど本日仕事納めをしたので、今日から、これからずっとチョビと一緒にいられる。


 21時

高橋医院長先生の助言を頂き、補液を試みたが、最後の力で動こうとする。
 そして振り絞るように「止めて!」と大きな声で鳴く。とてもする気になれない。

 補液をあきらめると、チョビはケージに行きバタリと寝てしまった。

 以前から気がついていたが、口臭がすごい。魚の腐ったような臭いがする。
 今日はずっと近くにいるため、すぐ判った。

 口内炎でただれているのだろうか、内臓から来る臭いなのか。かわいそうでならない。


 21時30分

何も食べられず、水も飲めず、補液もできない。回復は難しいと思う。
  治療すらも難しい。

  腹膜透析や点滴、或いは人工透析もあるが、通院の度にブルブル震えていたチョビにもうこれ以上怖い思いをさせたくない。痛い思いをさせたくない。

チョビの腎臓はもはや2~3%未満しか機能していないと考えられる。治療しても治る訳でもなく、一旦、いやほんの短い一瞬の回復でしかない。

腎不全で入院してから、約1年間よく頑張ったと思う。

退院したのは雪の降る夜だった。2月14日だった。数日間は大人しくしていたね。

  母親のシロにケージ越しに会わせたところ、チョビはすぐ気付き、シロの方にまっしぐら。

  シロは全く気付かず、逆毛を立てて威嚇されたっけ。

  その後も何度か試み、チョビは何とか解ってもらおうとするも、母猫のシロは判らない。

  シロが我が子のチョビを最期まで判らなかったのかどうかはそこは私にも解らない。


 22時

  2回ほど移動した。続けて撫でられるのも落ち着かないようだ。

天国に召される事など考えられないが、もしそうなるのであれば、その瞬間まで撫で続けてあげたい。

少しでもチョビの体が、そして心が楽になってくれるように。

  退院し、我が家の一員となったチョビは母親と会えたが、判ってもらえず悲しい思いをしたかも知れないが、チョビはそれまで一度も味わった事の無かった「人間」という異種の動物に可愛がられ、愛される事を知った。

  チョビはたっぷりと愛されたと私は自信を持って言える。いや、そう思いたい。それはチョビにしか判らないことだから。

チョビが高橋先生に命を助けて頂いたのも、きっと神様が人に愛される事を1年間の期限付きで与えられたのだと思う。

  1年間、補液を始め、チョビにしてきた事は決して楽なものではなかった。
  もちろん宿泊はできない。ただの一度もお酒で酔えない。一日たりとも朝寝坊できない。
  仕事でも何にしても遅くに帰宅できない。犠牲になった事は数知れない。

しかしそれらを自分の天命と感じていたのでなぜか辛くは感じなかった。
  そして何よりも猫という動物のかわいさを教えてくれたチョビや母猫のシロに感謝したい。

  チョビは1年間幸せだっただろうか。外に出たくて逃走までしたけど、狭い家の中で飼われて、窮屈ではなかったか。

  だけど、きっと解ってくれたと思う。私たちの愛情を。人の優しさを。

  おとといの夜、元気な最期の姿を見せに2階に上がって来てくれたね。本当にかわいい顔をしているものだから、写真を撮ってあげたよ。

だけど今は本当に苦しし顔をしているね。

辛いだろう。何もできないのが悔しい!楽にしてあげたいのに。


12月30日

 1時30分

一晩中チョビと共にいたいのに、チョビは体が熱いのか、涼しいところに行こうとする。  
  自分の部屋に行き、冷たいガラス窓にお尻を付け、苦しそうに耐えている。気持ちよさそうではない。

 

 4時44分

   チョビは頭や体を撫でられるのが苦痛と感じるのか、私から離れようとする。
   私も疲れもあり、ついウトウトし、ふっと目が覚めたのが4時44分。

   嫌な予感のまま、チョビの部屋のガラス窓のところに行ったがいない!2階にもいない!

   何と玄関のタイルの上で、横向きで倒れていた。

   硬直していて、一目で旅立ってしまった事を感じた。

  まだ暖かさが残っていた。死に目に会う事はかなわなかった。

   最後を看取ってあげたかった。この腕の中で逝かせてあげたかった。

   だからずっと一緒にいたかったんだよ。

   だけど、苦しむ姿を見せたくなかったんだね。

   それでお前はパパから離れようとしたんだね。

   少しだけ一人でいさせてあげようと思ったパパも疲れていたせいか、3時間も寝てしまった。

   そうしたらその短い時間に、一人で勝手に逝ってしまうなんて!

   玄関の冷たいタイルの上で手足を伸ばして横たわっていたお前を見つけた時はこの世の終わりと思えた。

   しばらく茫然と立ち尽くした。

   目を半開きにし、歯を食いしばっていたその顔は苦しんで逝ったのではと、とても辛かった。

   本当の悲しみが来たのはまだまだ後のことだった。その時は気が動転して悲しみの感情は湧かなかった。

   まだ身体の温もりが残っているのに、もう全く動かないお前を抱いてもまだ悲しみが来ない。なぜだか解らない。

   生前、お前が逝ってしまうことを想像し、涙をボロボロ流していたパパなのに、現実に遭遇し、動揺が大きすぎたのだろうか。

   後で散々泣くはめになるくせに。

   お前を一人で淋しく死なせてしまったことがどうしても悔やみきれないでいる。

   お前の身体を柩に納め花を添えた。

   それから五日間、保冷剤を替える時、硬くなったお前を抱き上げる度に声を上げて泣いていたよ。

   だけど日を追うごとにお前の顔が安らかに変わっていくのがわかった。

   そして安らかな顔を見ているうちに徐々に自分の心がとても穏やかになるのを感じた。

   もう戻らない!生き返ってはくれない!という寂しい気持ちは残るが、絶望感からは少しだけ立ち直れた気がした。そんな気がした。

    だけど・・・家ではいつもパパに甘えて、パパに頼って鳴いてばかりいたけど、その気持ちに応えてあげてやれていたのだろうか。

   きっと、もっともっとかわいがってあげることはできたはずだと、どうしても考えがそこに行き着いてしまう。情けない。



    平成23年12月30日 午前4時40分

    チョビ天国に旅立つ

    1年間という短い時だったけど、
幸せをくれてありがとう。チョビ!


    安らかに眠って欲しい。

    チョビの事は一生忘れないよ。

    決して忘れはしない。

    心から愛していたから。

  
                                   パパより