あまりにどうでもいい内容の記事ばっかで、自分のおつむの軽さがしみじみと感じられる今日この頃。。。

 

たまーには。

 

学校からもらってきたおススメ図書に載っていたものです。

筆者は早稲田大学の教授というお偉い先生で、近代日本文学が専門らしく夏目漱石の研究者?どうりで。

本文の中に漱石がけっこう頻出。(村上春樹氏も。でもややディスリっぽいかな)

 

絶対毎晩ってことはないですが(わたしも寄る年波には勝てずしんどいので)息子の足の裏を踏みながら読みますよ、音読。読み聞かせって年齢でもないけど、こういう本は自分では読まないんです。はい、甘やかしすぎ笑

 

なかなかディープな内容です。

どうぞご一読ください!

あれ?笑

 

哲学~な学校仕様の作文法の指南書です。

自由に書きなさい、と言われて本当に自由に書くとアウト。

学校空間にはガラスの、見えなくとも歴然とした壁があって、自由とはその中でのみ。

善なるウソはついてよし。例えば、「他人より自分が第一、と思っ」ても「他人の身になって考える人になろうと思います」(!)とか。

 

なんとなくわかるな。

 

また、本当に個性的な人なんて人類の中に滅多にいないから、せめて「個性的に見える」ようにする方法とか。作文、論文、読書感想文においてですヨ。

 

道徳的、倫理的にはまあ無難であり、でも読者には「おッ!?」思わせる意表をつくべし。

とか、ムズカシーことがたくさん書いてます。

作文の具体方法としては二項対立を使う・・なども。実用可。

 

先生たちのぶっちゃけトークというか、現代日本の国語教育の内情みたいな側面もありますかね。

興味深くもややこしい内容です。読みつつたまに息子に話をふってみますが、解ってるよーな、いやそうでもないかも。のような(;^_^A

 

作文好きとか、文学大好きならためになりそうです。

 

ちょっと別の観点になるのですが、この先生の別の著書の中に、『社会学で用いる考え方の一つにハビトゥスがある。習慣と訳されることもあるが、ハビトゥスとはその人の身についた文化の型のことである。ハビトゥスは、ある階層が他の階層とは違っていることを示す徴(しるし)となる一方、自分たちと同じハビトゥスを持つ階層をコピーのように再生産する働きを持つ。

したがって、ハビトゥスという概念は社会階層が存在することを前提としている。日本には階層がないと言われることもあるが、全くないわけではないのである。』(引用終わり)

 

東大生の親もまたかつて東大生であったり、現在は高学歴高収入、専門・管理職だということが往々にしてあるという事実が述べられたりしていて、そのーまあー「蛙の子は蛙」的な?

 

確かに、子供4人を東大に入れた某佐○ママは、ご自分も高校の先生だったし、ご主人は弁護士さんのようですし、うちはふつうの家庭です。といってもそういうことなんですね。

 

この階層のハビトゥスとは学校制度に対する適応力であろう。。。と石原千秋先生も前出のご本の中で仰っている由。

 

うちの息子のアンポンタンさは致し方ありません!。(´д`lll)

 

ちゃんちゃん♪

 

どうです?この本読みたいですか?