寛大さ | あしたもいっしょ

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生きてりゃ誰もが通る道「わたし編」

母が癌の診断を受けてから毎日電話で話をした。
治療はしない、という母の決断は揺るぐことはなかった。

苦しむことなく安心した気持ちで人生を終えたい、
それだけが母の望みだった。

よく余命3か月とか1年とか、数字で宣告を受ける話を聞くが、
母の場合は「月単位」とぼかした表現だった。

つまりいつどうなってもおかしくない状態。

私の弟夫婦も地元で、私の自宅から車で5分ほどの所に住んでいる。
「弟夫婦のところでお世話になれないの?」と母に聞くと、
「いや、それは嫌。行きたくない。」との返事。

私は焦った。
できることなら、私達の元へ呼んであげたい。
でも私がそれを主人に言えるわけがなかった。
これまでの両親の気まぐれで何度となく主人の心は踏みにじられた。
それでも主人はその度に私の両親を許してくれたし、助けになってくれた。

私は板挟みの状態の気分だった。
結婚した以上、最優先すべきは主人のこと。
頭では分かっていても、親は親だ。

2020年5月15日に癌宣告を受けてから数日後、
主人がぽつりと言った。

「お母さんお父さんをこっちに呼んでいいよ。」

母に電話で伝えると、これ以上の喜びはないというほど喜んでくれた。