さくらライフクリニックの創生期、初めて常勤で入ってくださったのは日本医大出身の飯田竹美先生だった。



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この本の作者でもある。

今の在宅医療はシステマチックで研修医でもバイトの医者でもマニュアル通りにやらせて数字を上げているところもあると聞く。

が、昔はもっと赤ひげ的な、医者は家族になりきって寄り添いまくって患者に向き合っていくのが在宅医療であった。

なので望まない亡くなり方をした時や、入院先で変な扱いを受けていると聞いた時は怒鳴り込みに行ったりしたものだ。

若かった。

そういえば研修医の時、二回も暴○事件を起こして警察のご厄介になった俺だ。真面目な社会人になってからも曲がったことには徹底的に反抗していた。考えたら今は随分大人になったが生き方としては格好悪いな。


僕も朝から晩まで1日15人ほどの患者を診察し、飯田先生も同じくらい診察していた。

今のように大きな組織でなく、事務も二人、看護師も2.3人。もちろん人事も総務もましてや事務長などいない。医者と看護師とワーカーと医療事務のみのいわゆる町医者の構成だった。全てのバックオフィスは職員が兼任であった。

シンプルなぶんだけ全てを把握でき、医療に集中できた時期だ。

もちろん時代が違うので昔を懐かしむ事はあっても、昔の組織のままでは生き残れなかったのも当然理解している。が、医療というものは今も昔も変わりがないものだ。


飯田先生の事は今も忘れることが無い。今も一緒にやっていたらどうなってだろうなあと想像することもある。

僕は当時口をきくだけで妊娠させると言われていた男だし、飯田先生もまだ独身であったため、プライベートの事はあまり話すことがなかったが、その真面目で明るい診療スタイルは誰からも愛されていた。

常勤医師ももう一人入り、ますます充実してきた矢先、誰にも一言も言わず病をおして仕事を続け、クリニックの更衣室で倒れた。いつ何があっても良いようにロッカーは片付けられていた。

まさに自己犠牲、患者のために死んだ医者だ。

患者のために死ねるなら本望、そう思って医業に取り組んでいるので、自分さえ良ければ良いと思ってる人や、金のために医者をやっている人を見ると本当に悲しくなる。

今回再読し、どんだけ医者が足りなくなっても職員がいなくなっても、理念が合わない職員と一緒に歩んでいくのはやめようと再確認させられた。

1月には古巣のさくらライフ錦糸での訪問がついに再開。

それもあり情報収集しているが、さくらなんとかクリニックとか、何とかライフクリニックとか、当時は日本中にどこもなかったのだが、今は多いこと多いこと。

これら全てうちのマネである。というのは冗談で、「さくら」や「ライフ」という言葉と医療とは良いイメージがついたのだろう。そもそもスーパーあげ○んの俺に名前だけでも似せれば成功間違いなしだ。仮にこの名前で潰れそうなら連絡ください。一言で経営改善させてみせます。