私たちがいまやっているようなある種ベンチャー企業の場合、もともとやりたいことをやっているわけですから、「24時間仕事漬け」になったからといって不満を持つわけがない。何時間働こうとも、モチベーションを維持することは可能です。
問題はサラリーマンです。宮仕えの身で、どうやってモチベーションを維持するのか。今回の電通の新人女子社員のケースでいうと、その仕事の重要性すら理解しているかどうか怪しい新入社員に「モチベーションを自分で維持しろ」というのは困難を極めます。
サラリーマン世界の上司の責任とは?
なぜこういうことを言えるかというと、われわれ当時を振り返るに、丸紅の上司はきちんとモチベーションを与えてくれたので、われわれは何一つ不満を持つこともなく、むしろ夜中の12時に終電で帰るとき、「ここまで仕事をやり遂げた」、という大変な満足感があったのです。
素振りに意味を持たせる上司の責任は、われわれのような会社と違ってサラリーマン世界においては非常に重いのです。マネジメントのみなさん、本当にそれを理解していますか?
■顧客側や消費者に回ると傍若無人に振る舞う日本人
2つ目の本質的な問題を考えて見ます。マネジメントのミスコントロールという点以外に問題があるとすると、それはやはりクライアントの問題だということです。電通、というと一見大会社で華やかなイメージがありますが、関係者などの仕事ぶりを見ていると、はっきりいって広告を出すクライアント企業のいわば「奴隷」になっているのではないでしょうか。これははっきり言っておきます。要するに「お客様は神様です」を言葉のまま、究極まで行ったような姿が電通などの広告代理店の仕事だといえるでしょう。
亡くなった女子社員が気の毒だな、と思うのは「そういう業界だ」ということを知らずに、広告がやりたいから、という純粋な理由で入社してしまった可能性があることです。
あなたは飛行機やタクシーでどう振る舞っていますか?
何をいいたいかというと、日本人は普段はすごく優しくて気遣いもできるのに、いったん消費者、つまりお客様に回ると傍若無人に暴れまわる傾向があるということです。アメリカなどでは考えられない振る舞いをします。会社では自分たちがサービスする側にいるにもかかわらず、いざ消費者となった途端に、そんなことをすべて忘れて「モンスター消費者」やクライアントに変身する。俗にいう「モンスターペアレント」も同じルーツだと思います。
つまり電通における過剰労働の裏には、まさにこういうモンスタークライアントとでもいうべき存在がいるのです。どうでもいい仕事を「明日までに仕上げてこい、今日中に絶対に必要だ」、などとかいって電通社員を奴隷のごとく扱う企業を、私はたくさん知っていますよ。
「無自覚のモンスター」から身を守ることも必要
そういうひどいクライアントがいるからこういう深刻な問題が起きる、という認識がどうしてできないのでしょうか。電通も必死になんとかしようとしているようですが、このクライアントによる過剰圧力を何とかしない限り、この問題は際限がありません。
「この過剰な要求はいつまで続くんだろうか」と考えた新入社員がいて、それを明確にガイダンスできない上司、クライアントに対し無理なことは無理、と毅然と断れない上司、そして圧力をかけまくるクライアントと3拍子そろったら、それは新入社員、いや社員全員を殺そうとしているのと同意義でしょう。
こうなってくると、われわれの社会の中にある、そういう意識……「組織なんだから上司の命令は絶対だ」「女なんだから女らしくしろ」的なセンスがいまだにあちこちに残っていることに気が付きます。そういう組織の中にいたら、声を上げるにも挙げようがない。どれだけのサラリーマンがそういう閉塞的な状況に置かれているのかと思うと、これほどの不幸はないというしかありません。
若い人たちにいいたいのは、そういう「無自覚のモンスターたち」に襲われることがあるなら、直ちに人間が破壊される前にその組織を出るべきです。
しかしながら現状はそういう自立した人間としてどう生きていくべきか、という教育がなされているとは言い難い。組織の中の一員としてどれだけ効率を上げられるか、という目標を掲げている教育があったとしたら、そのものを根本的に変えなければこの問題はなくならないと思います。
いかに人間は一人で自立して生きるべきか、という哲学と実際に独立して食っていける手法を徹底的に教えることが教育の現場では重要なのではないか、と思います。最終的には日本の教育制度そのものに問題がある、という結論になってしまいますが、結局はそういうことでしょう。
くどいようですが、今回の電通事件を単なる時短問題ととらえてはいけない。事の本質はそこにはありません。その裏にある日本の社会システムとわれわれの意識、はっきりいえば消費者に回った途端に相手を思いやれないというそのことが大問題なんだ…という、実に根の深い問題まで至らねばこの問題は解決不可能なのです。