名医と山伏の間で死のダッチロール

名医ががんの見落とし→STAGE IV →名医の標準治療拒否 → 忌まわしき気功 →名門慶応・放射線 →名医の水素 → 名医の違法な免疫療法 → 死

 

死の3点セット

名医、山伏、感動のブログ

 

ITを駆使して、情報を判断できない夫は、生死の岐路で、名医による最先端の水素、免疫療法を選ぶ。

 

■小林麻央さんの命を奪った忌わしき「民間療法」

 乳がんとの2年8カ月の闘いの末、天に召された小林麻央さん(享年34)。病院での再検査を急ぎ、名医による標準治療を受け入れ、命を奪うことになる忌わしき「民間療法」を拒絶すべきだったのだが……。

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 去る6月23日、市川海老蔵(39)が自身の舞台公演の合間に、麻央さんがよく話していた言葉について問われ、時に震える声でこう答えている。

 あの過ちを消すことができるなら。あの日に引き返すことができたならば……。

 事実、麻央さんが昨年9月に始めたブログには、こんな記述もあった。

〈あのとき、/もっと自分の身体を大切にすればよかった/あのとき、/もうひとつ病院に行けばよかった/あのとき、/信じなければよかった〉(9月4日)

 ならば、彼女の病歴を振り返っておかねばなるまい。

 

■標準治療を受けず

 2014年2月、PL東京健康管理センターで人間ドックを受けた際、左乳房に「しこり」が見つかった。「精査すべし」と判断が下り、虎の門病院へ。診察を受けたところ、腫瘍の存在が確認されたうえで、

「若い女性に多い良性の乳腺線維腺腫に見受けられたようです。全く問題がなさそうなら半年後と言うのですが、白黒はっきりしないので“3カ月後に来てください”と伝えたのです。彼女のブログには〈「授乳中のしこりですし、心配いらないですよ。半年後くらいに、念のため、また診てみましょう」と言われました〉と綴られていますが……」

 と、虎の門関係者。ところが、麻央さんは多忙だったためか、受診が遅れ、再検査を受けたのはその8カ月後だった。

「その時にがんが見つかり、針生検の結果、脇のリンパ節への転移がわかった。比較的、進行が速かったけれどこの段階で治療に取りかかれば5年生存率は90%超。当然、標準治療を勧めたのですが、麻央さん側は首を縦に振らなかったと言います」(同)

「標準治療とは、がんのタイプとステージを見て、手術と放射線、抗がん剤にホルモン療法、そして分子標的治療薬を組み合わせて治療していくものです。麻央さんの場合、抗がん剤を先にやって小さくしてから手術するという方法もありました。乳房を温存できればそうするし、無理でも再建という手がある。ですから、標準治療を受けなかったのなら、その点は疑問です」

 いずれにせよ標準治療から遠ざかったのは事実だが、その理由は定かではない。

 つまり14年10月から、16年6月9日にスポーツ報知が〈麻央夫人 進行性がん〉とスクープし、これを受けた会見で海老蔵が乳がんだと認めるまで、いや、その後も含めて、どこで何をしていたのか判然としなかったのだ。

■小林麻央さんの命を奪った忌わしき「民間療法」

 先月22日に乳がんとの闘いの末に亡くなった小林麻央さん(享年34)のブログには〈あのとき、/もうひとつ病院に行けばよかった/あのとき、/信じなければよかった〉(9月4日)という言葉が綴られている。麻央さんのがんが発見されたのは2014年後半。だが、当初、放射線や抗がん剤を組みあわせる「標準治療」を受けることは拒んだという。
 その後、16年6月9日にスポーツ報知が病状を報じるまでの間の動きは判然としないが、「気功に頼っていたのです」と告白するのは、事情を知る関係者である。
 ウェブ検索すると、「気功でがんが小さくなりました」などと掲げるページが少なくない。そのひとつを主宰する人物に尋ねると、
「50代の女性で“末期の乳がん”と1年前に宣告を受けた方を受け持っています。患部が真っ黒でボコボコ、いまにも“噴火”というか中身がこぼれ出そうな状態になっていました。さる病院で、“もう手術ができないので抗がん剤治療だけやりましょう”と言われたそうです。でも、“治らないのに抗がん剤治療を受けてつるっぱげになって亡くなりたくない。免疫力を高めて欲しい”と、私のところへやってきた。昨年の8月から通っておられるのですが、いまだに仕事もされ、元気に過ごしていますよ」

 どんな施術なのか。

「ベッドで仰向けの患者さんに私の掌をかざして気を通していきます。大きなエネルギーが通る背骨の真ん中を目がけてね。結局、すべての物質は波動から成っている。病気になるのは身体の波動力エネルギーが落ちているから。シータ波が……」

 ……要するに、そうやって免疫力を高めてがんの増殖を抑え込むのだという。

 麻央さんに気がどんどん送られ、免疫力も高まる……そんなはずはなかった。

■気功から聖路加国際病院へ

 それが証拠に病状は悪化の一途を辿る。そんな中、変化があったのは16年2月のことである。事情に明るい関係者は、

「北陸地方の小林家と縁の深い医師が現状を知り、“とんでもない”と。繋がりのある聖路加と連絡を取り合って入院させたんです」

 と話す。虎の門での標準治療を拒んでから、優に1年4カ月が経過している。聖路加の関係者によると、

「気功療法というか、全く療法にならないことを続けたせいで、瀕死の状況でした。リンパ腺が瘤のように腫れあがっていたのです」

 海老蔵自身も当時の会見で、

「比較的深刻であり、いま抗がん剤治療をやっている。ずっと探りながら、良かったり良くなかったりを繰り返しながら、手術をする方向です」

 と打ち明けている。ただ、

「医師と夫婦側のコミュニケーションが不調で手術にまで至らなかった」(先の聖路加関係者)ようで、バトンは再び北陸地方の医師に戻された。

■足を引っ張るエセ医学

 改めてそこから頼った先が、他ならぬ北島政樹国際医療福祉大名誉学長である。
「慶應の医学部長や大学病院長もやった北島さんは王貞治さんの胃がん手術で主治医を務めるなど、重鎮です。既にステージ4だった麻央さんのQOL手術が喫緊の課題である中、様々な状況に鑑みて慶應病院がその受け入れ先にふさわしいと判断し、小林家と縁の深い医師に推薦したのです」(前出・事情に明るい関係者)

 海老蔵は過去に、「夏を越すのは絶対無理だと思った」と語っていたが、慶應でのQOL手術の結果、秋、冬を越え、そして春を迎えるに至ったのである

 その後も夫妻はうんと高額な米国での治療を希望し、本格的な調査を重ねていたという。
セカンドオピニオン医師の見解は、「“治りたい!”と願いながらも、重要な意思決定を惑わしたり、足を引っ張るエセ医学の影響が、ひょっとしたら麻央さんの周辺にも忍び寄ってきたのではないでしょうか。利益と不利益を勘案しながら、治ることを目標としてベストを尽くす方向になぜ、麻央さんを導いてあげる事が出来なかったのでしょうか。『切らずに治す身体に優しいがん治療』『食事療法でがんが消える』『免疫力でがんを治す』『がん自然治癒力アップ』等々。藁にもすがりたい心理につけ込むエセ情報が氾濫しているわけですが、現実にそのようなうまい秘訣は存在しないのです」

近藤誠医師のセカンドオピニオンは、受けていない(近藤氏による)。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170714-00523432-shincho-ent&p=1

 

エセ医学

近藤誠(慶応大病院)、がん治療のウソ、日本はがん治療後進国である、別冊宝島2000、(2013)宝島社

近藤誠、免疫療法に近づくな、(2013) 亜紀書房

    医師の免疫療法は詐欺だ

近藤誠、ひろさちや、がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな、(2005) 日本文芸社

近藤誠、大病院「手術名医」の嘘 (2004) 講談社

http://kondo-makoto.com/

 

川嶋朗(東京有明医療大学)、医者にはがんは治せない (2013) 宝島社

http://toyoigaku.or.jp/natural/

 

大村恵昭(NY大医)、O-リングテスト (2008) 主婦と生活社

http://www.bdort.net/

 

安久津政人(東大医博)、村井徹(医博)、十次式健康法、

http://www.jujishiki.co.jp/

 

オバマが任期最後に発効させた「ガン戦争」法案http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/12/post-6625.php

アメリカがん研究費を6400億円投入、日本のがん研究費400億円。日本は、がん研究費がないのに、全て、がん名医ばかり。保険診療費に群がる名医は、アメリカのエビデンスを自分のエビデンスとして粉飾医療に勤しむ。保険が使えないエセ医療、忌まわしき宗教(O-リングテスト)としして、日本から駆逐(大村恵昭NY大教授)。

 

45年間、10兆円を使った米国「ガン戦争」の悔しすぎる顛末とは|イングリッシュ・ニュース・ブリーフ(2016_12_17)

https://courrier.jp/news/archives/70624/

2016年には米国で160万人以上がガンと診断され、60万人がガンで死亡するという現実がある。
残念ながら、米国がガンとの戦いに勝利または優勢であるとはとうてい言えない状況だ。