皆さん、昨日まで長い連載のようなブログに

お付き合い頂き、ありがとうございましたニコニコ

よくよく考えてみたら、本当に色んな方々に支えられた

舞踊生活40年間だった、と

出会った全ての皆様に感謝しております。

実は舞台復帰のきっかけは、ずいぶん以前にあったのです。

そのきっかけがこちら。

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ホセ・カレーニョさんの通訳として

講習会で働いたとき、私もバーを一緒に受けて

その後調子に乗り、ホセとピルエット大会で遊びました。

そして皆がいなくなり、更衣室でホセが一言

「Ken,どうして踊らないんだ?踊りながら教師できるんだぞ」

と。そして

「僕だって踊りながら教えてるんだ。Kenだってそうすればいい!」

と。でもそのときは

「冗談やめてよ!」

と思いつつ、ホセの言葉が引っかかっていました。

しかし当時はバレエスクールは様々な問題を抱えて

自分が踊る以前に、どうにかして

正しいバレエの心、習うという姿勢

を生徒に限らず、親御さんにも理解してもらう必要がありました。

東京のバレエ団も、ましてや

海外のバレエ団もツアー公演をほとんど開催されない仙台。

コンクールはかろうじて開催されても

プロの人々と接するのと

アマチュアの生徒だけの競い合いでは意味合いが全く違います。

コンクールは満員御礼のお客様が集まるわけではないですから

お客様が育つ環境も、この仙台は乏しいと感じておりました。

決してこの町が悪いわけではなく

ただきっかけがない。プロのバレエ団が納得して来てもらえるだけの美しい劇場がないんです。

いまにも崩れ落ちそうな唯一バレエ団が使う古い劇場には

オペラカーテンすらもないんです。

その劇場すら、今は閉鎖。

震災もありましたので、今後新しい劇場建設なんて

そんな贅沢もご法度だと思います。

そこで、私は私の現役時代を共に過ごした仲間を仙台に呼んで

踊ってもらい、指導してもらうことで

生徒たちに変わってもらいたい一心でここまでやってきました。

表面上は進歩しました。しかし

私自身、何かが欠けている感じがいつもありました。

それが

「皆と一緒に踊ること」

だと気づいたのが去年の震災後でした。

ホセには本当に感謝しています。

毎年見にきてくれているお客様から

「今までとは比べ物にならないくらい、素敵な舞台だった!」

と言われ、それは私が踊ると決断したことが

生徒にとって決してマイナスではない、という証明にもなりました。

確かに幕が降りたあと、落ちてきた紙吹雪を

私に生徒たちがキャーキャー騒ぎながら

かけていたくらいですから(笑)

何かが吹っ切れて、何かが育まれた瞬間でした。

諦めなくて、本当によかったです。

バレエが育つには、根付くには本当に本当に大変な15年でしたが

私を信頼してついてきてくれた生徒

そして親御さんたちのおかげで

全ての苦労が報われました!

ありがとうございます。

今年は私にとっても充実した年になります。

明日から鹿児島に行ってきます。

とにかく、誰かのお役に立ちたい。

それだけの気持ちを持って、日本国内

そして海外にも出向きたいと思います。

もちろん、私が出張先で獲得した知識は

惜しみなく、生徒たちに提供したいです。

震災のあの日からもうすぐで一年。

皆様に支えられた分、今度は私が何かを行動する番です。

頑張ります!

左右木健一

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