誰がなんと言おうと
(例えば「どこが?」「そうは見えない」と言われても)
どうでもいいんやけど、
声を出してる時のバランス感覚(私にしか分からないもの)と、
ここ最近の私が書いてるもの発信してるものは
とても比例してる。
ま、それは当たり前の普通の話やけど。笑
感覚を言語化する
っ事を自分なりに試したいのかな~
なんて。
でも、言語化する事が目的
ではなくて
さらに感覚に戻っていくことをしたい。
で、なんかある場面では
それらがドバーーーッと無意味な様に感じられる場面ももちろん繰り返し起こるんやろうけど
ちょうどいいものが来るんやろうから
やっぱり全てが大丈夫でしかない。
で、それはそれでそれなんやけど(あるんやけど)
「私は知らない」という事もとても大事なポイント。
今、なんかその両方を
どうなのかずっとみて感じてるかんじ。
私はそもそもが図々しいということ、
私は人の身体が触れるということ、
そこに何かある気がする。
と、してみる。
違ったら違ったでいいし。笑
身体を触れるというのは、
バレーボールしてきた中で、ペアになってトレーニングとかストレッチしてきた
ただそれだけのこと。
あと、整体やエステを学んでた事や、
一年くらいではあるけど、それでお金をもらってたってこと。
で、その知識とかはもう覚えてない。笑
でも、何かは残ってるハズというか、
そこらへんって私のやりたいことかもしれん。
と、してみる。
新たに学びなおさないといけないわけでもなく
今のところ、固定の場所がないといけないわけでもなく。
直接的にそこに繋がらないにしても、
「出来るもの」を「ない」にしなくていいよな~
なんてところから。
スポーツでの頑張りは飽きた。
(それはそれでいいんやけど)
身体を触っての癒しは飽きた。
(それはそれでいいんやけど)
問題ではない事(悩み)を聞くつもりはさらさらない。
(やりたい人はやりたい方法で)
私は私だ。
残ってるのはそれで。
なんやろ、ワクワクしてたのに書いてたらやっぱり怖くなってきた。笑
巧妙すぎる。
巧妙を感じてて正解。
みんな、
自分で自覚してようが自覚してなかろうが、
何かの部分では全ての人が常に成長してて進化してる。
言葉を変えると
変化してるし
一つとして同じではない。
だから、その自分
(変化してる自分)
に合わせるのが理にかなってるとしか言いようがない。
だって、それがその時の一番いい状態だから。
それが、どんな状態であれ。
そこから始めないと予測不可能なことは生まれない。
というか、それをしたい私です
ということだけ。
さて、今日もこれから歌ってきます。