ともたん伝達

息子の出産に立ち会ってから一年が経ちました。

(ともき。誕生日おめでとう!!)


毎日毎日 色んな成長が見られます。

今、やっとつかまり立ちができる状態です。


ある程度の簡単な言葉を少しずつ理解してきているようです。



今日ある一つの変化が起きました。


いつも叩いて遊んでいるオモチャの

青いコップを僕のところに持ってきて何かを訴えています。


「だぁー まぁー」


僕と妻は何を言ってるんだろうと色んなことを試しました。


まずコップふって笑いかけてみました。

ダメという表情。

まだ何かを訴えている。


コップをたたいて音を出してみました。

手を横にふってダメという仕草。

まだ何かを訴えている。


伝わらないくやしさで ともきがぐずり始めました。


その後色々とやりましたが、とうとう大声で泣き始めました。


まさか!


と思って、急いでコップにともきの大好きな

お茶をくんであげるとすごい嬉しい表情で機嫌がよくなりました。


僕は思わず涙が出てしまいました。



それくらいでなんだよ。。と、

他の人から見ると何でもない、他愛のない出来事ですが、

これが僕にとって見れば、感動の事件なのです。


説明すると、

もちろん、コップの形を見てこれが飲み物を飲む道具であるということを認識できたことも嬉しかったのですが、それ以上に嬉しかったことは、


「今までにはなかったコミュニケーションがとれた感触」 でした。


これまでは親子としての以心伝心はありましたが、

何と言えばいいのでしょう


「意思を伝達しよう」という発信側と

「その意思を理解しよう」とする受信側


が成り立ったとでもいいましょうか。


生まれて1年しか経ってない赤ちゃんが、

意思を伝えようとしたこと、

それを父親として理解してあげられたこと。


「人間同士で伝達ができること」

(人の間(人間)には「伝達」が必要なのですね(^^) )


この素晴らしさに気付いたのです。

当たり前のことに、再度ハッとさせられました。



僕は書道家として、

「伝えたい」という想いで様々な作品を発表しては、

多くの人に見てもらってきましたが、これがなかなか伝わらない。


たくさん書いたからといって伝わるものでもない。

うまいから伝わるものでもない。

強くわかりやすく書いたからといって伝わるものでもない。


「自分の持ちうる美意識」を使って、

最も伝わりやすい表現方法を模索した結果

作品集「たのしか」のように、一文字+短いポエムとなりました。

今、自分の個性を考える中で最も適した表現方法でした。

ともきのおかげで、


今までは意志を伝達する側に偏っていた僕の視点が、

放たれた意思を受け止めようとする側に移動できました。


意思をうけとることの難しさと大切さ


を教えてくれた我が息子よ。

ありがとう。これからもご指導のほど、よろしく。





伝達