窓から見えるその景色にわたしは一人、高揚していた。「海外」という場所が自分の中で日常になりつつあるわたしであっても、やはり遠くに眺めるマンハッタンのビル群はその「慣れ」を一瞬で吹き飛ばすほどの迫力があった。


LAの空港を飛び立ってから、2回も飛行機を乗り継いでやっとこさ着いたニューヨークは、心沸き立つ魅力に溢れていた。街並みは雑誌やテレビで見ていた通り刺激的で、行き交う人は白人や黒人、ヒスパニック系やアジア系など多岐に渡り、わたしは街を歩き回るだけでわくわくし、手当たり次第、写真をとって回った。


「アジア人ってほんとよく写真を撮るよね」なんて欧米人によくバカにされるし、自分も実際、無駄な写真というか「とりあえず撮っておこう」と思って押すシャッターを多少嫌悪してきたところもあったのだけれど、この時ばかりはそんなかっこつけた自分はどっかへ打っちゃって、心ゆくまま写真をとった。






わたしが泊まっていた宿はマンハッタン島の北部、アッパーイーストサイドのさらにアッパー、ハーレム地区のすぐ手前に位置していた。セントラルパークの北端が目の前にあるのだが、部屋の窓からはうす寂れた隣のビルの壁しか見えなかった。



古いアパートを改装したようなその宿は、ドミトリー形式ではあったのだけれど、アパートの狭いワンルームに無理やり二段ベッドを詰め込んだ二人部屋で、清潔ではあったけれど、かなりシンプルなものだった。部屋には先客がいて、これからニューヨークで新しい生活を始めようというところの、才色兼備な韓国人女性だった。




「この街は、素敵よね。なんでもあるし、なんでも手に入る。もちろん、自分の努力次第でね。」



こんなエキサイティングなことってないでしょと、彼女は綺麗なブルーのワンピース姿で目をキラキラさせながら言った。一週間ほどこの宿に滞在してアパートなどを探しながらマンハッタンでの生活基盤を整えていくという。くたびれたGパンとTシャツ姿のわたしは、「そうだね」と曖昧に返事をして、なんだかいたたまれなくなってしまった。


韓国で英語と翻訳の博士号まで取った彼女は、8月からニューヨーク国連本部の通訳士として働きはじめたそうだ。わたしと出会ったのはまさにその初出勤日だったらしく、夜10時頃に帰ってきた彼女は少し興奮したように彼女の夢が叶った記念すべき1日について話してくれた。


「本当にすばらしい日だったわ」

そう言って、それがどこまで許されているのかわからないのだけれど、彼女が新しい職場で撮ってきた写真を見せてくれた。国連本部はニューヨークにきたらその外観だけでも見に行きたいと思っていたので、彼女の写真と話をとても興味深く聞いた。

なによりも、彼女がそれはそれは楽しそうに仕事のことを話すのでこっちまでわくわくしてきてしまったのも事実だった。



「リカはどうして旅をしているの?やりたい仕事とかはないの?」

一通り彼女の話が終わったあと、化粧を落としながら彼女がなんとなしに聞いてきた。とくに深い興味があるとうのではなく、こちらがしゃべったのだから次はあなたがしゃべる番ね、というふうに自然にその質問はなされた。



「仕事というほどでもないけれど、文章を書くことが好きだから、これを続けてはいきたいとは思っているよ。」

とわたしは簡単に応えた。ただ自分の楽しみのために旅をしているわけだし、肩書きは住所不定無職のわたしにとって、バリキャリの彼女との差は少し恥ずかしいものがあって、ただ趣味で文章を書いていることを、なんだが「生涯をかけてやっていきたい仕事」のように控えめを装って伝えてしまっている自分がなんとも情けなく思えた。



「あら、いいじゃない!素敵ね!!」

彼女はくったくなく笑う。いつか、英語でも書いてね、と笑う彼女はどこまでも快活で、わたしはなぜか彼女が羨ましかった。それは、アメリカにきてから、とくに観光をするでもなく、ただダラダラと時間とお金を浪費しているだけの自分が、彼女と比べてひどくしょうもない人間に思えたからで、わたしは「いつかね」とこれまた曖昧に応えながら、いそいそと自分ベッドに逃げるように潜り込んだ。


翌朝目が覚めたとき、彼女はもうすでに出勤の準備を整えていて、「よい一日を」と言って颯爽と部屋を出て行った。残されたわたしは部屋の窓から入ってくるニューヨークの真夏の日差しを眺めながら、今日はなにをしようかと考えていた。


ハリウッドで感じていためんどくささはそのときは全く皆無だった。きっと彼女のおかげだなと思って、わたしは久しぶりに一眼レフのカメラを肩にかけて意気揚々とマンハッタンの街に繰り出した。





マンハッタンの街は魅力的だった。


ミュージカルシアターが立ち並ぶマンハッタンの中心街から地下鉄で5分程度離れたこの地区は、ダウンタウンの喧騒とはまた違った下町の活気で溢れていた。ダウンタウンとは反対のアッパータウン。ヒスパニック系の人が行き交い、どでかいスピーカーを肩に担いだドレッドヘアーの黒人がヒップホップを爆音で聴いていた。


わたしはスペイン語が飛び交うその街を、カメラを首にぶら下げながらもの珍しげにキョロキョロしながら歩いていた。眼に映るすべてがおもしろく新鮮で、わたしは久しぶりに旅本来の高揚感を心底楽しんでいた。


カメラを携えたアジア人がキョロキョロしながらあっちに行ったりこっちに行ったりしていても、この街に住む人たちにとってそれは大して興味を惹かれる存在ではない。肌の色も、言葉も、生い立ちも、住人も観光客も、ごちゃまぜになってはっきりとした輪郭をもたない。この街ではだれも皆、等しく、誰もが同じで、特別ではなかった。


その見事なまでの混沌具合に、わたしはひどく心揺さぶられたし、なによりも居心地がよかった。とくに特別視されるわけでもなく、特別フレンドリーというわけでもない。すべてが同じ人間であり、そしてそれがすべて独立していた。



「この街は、すてきだよ、本当に」

今夜宿に帰ったら、韓国人のあの子にそう言おうと思った。彼女の気概に満ちた素敵さとはきっとまた違ったものであると思うのだけれど、わたしにとってもまた、この街は素敵に映った。



わたしはアッパータウンからダウンタウンまで歩いていくことにした。一通り街を見て回り、マンハッタンという場所をしっかりと感じたいと思った。思っていたよりもマンハッタン島は広く、わたしはスターバックスで途中休憩をとりながら、ゆっくりと中心街の方へと進んでいった。



8月のニューヨークは不快な暑さを感じることもなく。わたしは意気揚々とブロードウェイのはずれを歩いていた。写真で見たまんまのイエローキャブが何台も通り過ぎていく。



「この街、すてきだな。」


わたしは誰にともなくつぶやいて、なんだか駆け出したい衝動にかられながら反面ゆっくりゆっくり歩いていった。






つづく。


カイワレ



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