スーツをビシッと決めたサラリーマンに、作業着姿のおじさん、青い目をした女の子とアジア人のカップル。マンハッタンの昼下がり、中心街から少しはずれたアッパーウェストサイドの通りには多くの人が出ていて、都会的な活気に満ち満ちていた。わたしは行き交う人や通りを埋める車、店先に並んだ果物などを眺めながら、ダウンタウンに向かってひとり歩いていた。時刻は12時近い。太陽が心地よく照っていた。


とくに目的を決めずに気ままに歩いていたわけだけれど、通りを進むごとに、少しずつ街の色に変化が感じられるのも歩いていてとても楽しかった。スペイン語を話す下町風な雑貨店の角を曲がって少し行くと、いかにも高級そうなイタリアンレストランに行き着いた。窓から中を覗くと綺麗に洗濯された白いテーブルクロスが光っている。その窓越しのテーブルクロスに映るのは、道の反対側でスケボーの練習をしている若者たちだった。


気色はコロコロ変わり、その色は各々独立している。その反面、それらはぐちゃっと混じり合っているわけだけども、決して不快ではない。わたしはなんだか物語の中に迷い込んだかのような不思議な気分になりながら、ふわふわと漂うように歩を進めていった。




30分ほど歩いたところでひときわ大きな通りに出た。標識を確認すると「ブロードウェイ」となっている。そうか、ここもブロードウェイなのかと、なんだか少し嬉しくなった。
わたしは天下のブロードウェイに沿って南へとあるいていった。先ほどまでとは少し行き交う人も洗練され、おしゃれな人が目立つなと感じた。それはきっと自分が『ブロードウェイを歩いている』ということから働く、変な先入観からきているのだと思うけれど、わたしはその浮き足立っている自分をそのままにしておいた。ニューヨークにきて、ブロードウェイを歩いて、うきうきしている自分。大いに結構じゃないか。



どれくらい歩いたのかはわからないけれど、ブロードウェイを歩き始めて少しして、通りに面した場所にエスニックの雑貨屋さんがあるのが目に入った。ニューヨークにきてまでわざわざアジアの小物を買う気はなかったのだけれど、表にかかっていたタイパンツがとてもかわいく、久しぶりに嗅ぐお香の匂いも魅力的だったので、わたしは吸い寄せられるように店の中へと入っていった。


外観からはわからなかったけれど、そこはかなり奥行きのあるお店で、店内は予想以上に広かった。狭い通路の両側にはところ狭しと棚が並びをその棚を埋めるようにアジアから中にはアフリカのどこかかと思われるような国のものまで、なかなりバリエーションにとんだお土産が雑然と置かれていた。


店内に入るとお香の匂いがさらに強くなる。わたしは壁にかかった絵をしげしげと眺めながら自分がどこにいるのかわからなくなるような感覚に酔っていた。



「いらっしゃい。」

店内をしばらく眺めているとふと声が聞こえた。最初、空耳かと思ったのだけれど、レジカウンターの奥で半分隠れるようにして、年配の女性がこちらを見ていた。


こんにちは、と軽く挨拶してお店を出ようと思ったのだけれど、おばさんが続けて、どこから来たの?と質問を投げてくれたので、自然とカウンターの前で店主のおばさんとの会話がはじまった。


「ほー、世界旅をね。あんたもようやるね。」

ケラケラとおばさんが笑う。最初の印象に反しておばさんはとても明るくくったくがない。


「ニューヨークははじめてなの?そうなの。ここは必ず行っておけってとこと、ここは危険だから行くなってとこがあるから、ちょっと教えてあげるわよ。」


わたしが旅の計画を一通り話したあと、おばさんはそう言ってカウンターに置いてあったノートの一枚をべりっとやぶりとり、手書きで大雑把な地図を書き始めた。合間、合間に、ここは行くべきところ、この地区は夜近づいちゃだめね、とほぼ独り言のようなトーンで言いながら、その手書きの地図に丸やらバツやらを書き加えていった。


「できた!はい、これであなたもニューヨーク通よ!」

10分かそこらして、出来上がった地図を満足げな表情を浮かべておばさんが渡してくる。それはお世辞にも上手とは言えなかったけれど、おばさんの気持ちがとてもうれしかった。




丁寧にお礼を言ってその場を去ろうとしたわたしに、最近インスタグラムもはじめたから、よかったらフォローしてねと、おばさんは言ってきた。齢60を過ぎているであろうおばさんがインスタをやっていることがわたしの興味をそそったので、わたしは一度店を出るのを止めて、その場でおばさんのインスタのアカウントを見せてもらうことにした。


アップされた写真を見て驚いた。てっきりお店やアジアン雑貨についての写真をアップしているのかと思ったけれど、意外にも彼女のインスタグラムのテーマは「壁」だった。



「カラフルだったり、なにかおもしろい壁を見つけると写真を撮らずにはいられないのよ。」


おばさんがハニかんだように笑う。
素敵だなと思った。


「わかります。わたしも壁、大好きなんです。」
そう、わたしがそう答えると、おばさんは驚いたような、また恥ずかしいような笑みを浮かべて、偶然てすごいわね、と言った。


あまり友達には理解されてこなかったけれど、わたしも大の「壁好き」だ。町歩きをするときには、多くの壁の写真を無意識のうちに撮ってしまう。彼女のインスタには、カラフルな壁やおもしろい形にひび割れた壁など、実に様々な壁の写真があって、別に上から目線でものを言いたいわけではないけれど、なかなか素敵な壁センスの持ち主だった。


ちょっと恥ずかしいんだけど、と言いながらおばさんはインスタグラムに上がった写真について一枚一枚、解説をしてくれた。これは5番街で撮ったやつ、これはセントラルパーク、これはちょっと加工してみたの。ほらこうやってね…。おばさんの壁への情熱はけっこうなもので、わたしは時間が経つのを忘れておばさんと壁談義に花を咲かせた。



「いやー、まさか壁について語れる人がくるとは思わなかったよ。楽しかったわありがとう」

30分、いやもっと時間がたっていたかもしれない。一通りアップされた写真の説明が終わると、おばさんは満面の笑みでサンキューといってきた。それはこちらのセリフです、とわたしも返して、どちらからともなくぎゅっと握手を交わした。シワが目立つおばさんの手は、見た目と違って少しゴツゴツとしていて逞しかった。



「それではこんどこそ、さようなら」

そう言ってわたしは店を出た。いつでもまた寄ってらっしゃいと、おばさんの声が肩越しに聞こえた。わたしは振り返って会釈をしてから、8月の日差しの中へと戻っていった。少し薄暗い店内から一歩外へ出ると、太陽がてっぺんからぎらっとした光をこちらに投げていて、わたしはその光りを手で遮りながら空を仰いだ。


「素敵だな、ニューヨーク」

もう何度目になるかわからないけれど、そう思った。ニューヨークは思っていた以上に、素敵なところだ。これはもう揺るぎようがない


歩き始める前に振り返ってもう一度店を外から眺めてみた。空いた入り口のドアの、いまは裏側になっている表側に『close』と書かれた看板が下がっている。「おい、おい、おばちゃん」と思わず笑ってしまった。


ニューヨークの片隅で、全く予期せずに、お腹がいっぱいになってしまったわたしは、その日ダウンタウンにいくのをやめた。ダウンタウンに行かずともとても満ち足りた気分になってしまたのだ。


わたしはマクドナルドでダブルチーズバーガーセットをテイクアウトして、セントラルパークへ向かった。平日の昼間だというのに、セントラルパークは人で溢れていて、老若男女、多くの人がランニングをしたり、広場で野球や日向ぼっこをしていた。わたしはそんな人たちを遠くに眺めながら、Lサイズのコカコーラを片手にダブルのチーズバーガーを頬張った。お腹がひどくすいていたわけではないのだけれど、なんとなくアメリカンサイズのジャンクフードが食べたい気分だった。


そうして、ポケットからおばさんが書いてくれた地図を取り出す。ボールペンでためらいなく引かれた線は、おばさんの力強い握手を思い出させた。



また、会いたいな。


もらった地図をもとに観光計画たてながら思った。また会いたい人、また会いたい場所が増えていくこと、それがきっと旅の醍醐味の一つだと、これもまた何度目かわからないけれど、思わずにはいられなかった。




つづく。


カイワレ





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