マンハッタンのバスターミナルで、わたしはもう1時間近くもバスを待っていた。
薄暗い待合スペースにはわたし以外に黒人の女性が二人いて、たまに目を見交わしては「困ったわね」という表情を交換しあっていた。時刻は8時を過ぎている。針の進みが異様に早い。
「遅いわねぇ。」
若い方の女性が誰ともなしに話しかける。そうだね、とわたしも応えて、ふたり同時にため息をついた。
その日の夕方にわたしはワシントンからニューヨークに帰ってきた。
ロサンゼルスから移動して、ニューヨークに3日ほど滞在してミュージカルをみたりベタにニューヨークを楽しんでから、学生時代からの知り合いがいるワシントンへと小旅行をしていた。これからもう数日ニューヨークを観光してから、バンクーバー経由でメキシコに入る予定になっていた。
ワシントンへ出かける前はマンハッタン島に宿をとっていたのだけれどやはり宿泊費が高く、残りの滞在はマンハッタンの宿を諦め、ハドソン川の向かい側、ユニオンシティ地区にある安宿に決めていた。
ユニオンシティ地区へはマンハッタンから直通バスが24時間運行で走っている。
地下鉄42st駅近くにある Port Authority Bus Terminal には、中距離バスや市バスなど何十本というバスが発着していて、マンハッタン近郊に向かう拠点になっていた。いくつも並んだ待合所は一つ一つが独立していて縦に細長く、さながらSF映画に出てくる宇宙施設のようだった。
時計の針が8時15分を越えようというところで、バスがぶおっという音とともに現れた。仏頂面の運転手が降りてきて、無言でバスチケットを確認していく。バスが遅れた理由など誰も尋ねないし、運転手も特に説明するとこともなかった。
バスはネオン輝くマンハッタンの夜を通りすぐに地下道路に入っていった。ハドソン川の下を通るその道路は意外と長く、満杯のバスに揺られながらどこかへトリップしていくような不思議な感覚を楽しんでいた。
バスは20分ほどでユニオンシティ地区の停留所に到着した。バス停から歩いて10分ほどの宿は新しく綺麗で、いかにも欧米人バックパッカーが好きそうなカラフルな内装をしていた。目の前にはバーがあり、歩いて数分のところに24時間営業のセブンイレブンもあって、マンハッタンからバスを使うという点に目をつむればとても快適な立地だった。
ワシントンからの移動の疲れもあって、少しぐったりしながらチェックインを済ませた。ヒスパニック系の男性が陽気に対応してくれて、わたしがバスをだいぶ待ったと愚痴ると、それは災難だったね、といってバスの路線図と時刻表をくれた。これを見ればもう大丈夫といって、ガハハと笑った。こちらまでつられて笑顔になるような爽快な笑い方だった。
宿に荷物を置いてから、近くのセブンイレブンに夕飯を買いに出た。朝からなにも食べていなかったので、とてもお腹が空いていた。2ドルのハンバーガーとチップスを買って店を出ると、道の向かい側にリキュールショップがあるのを見える。中を覗くと、地元民と思しき人で随分と賑わっていた。
地元民が集まるということは安いに違いない。わたしはなるべく堂々としているように見せながらビール会社のポスターが貼られた引き戸を開けて入っていった。
店は狭く人がすれ違うのにやっとな狭さだった。入って右側にビール用の冷蔵庫が3つあり、右手はレジとタバコ売り場になっていた。奥の飲酒スペースでは地元のおじさんたちが缶ビール片手にちびちびナッツをつまんでいた。
冷蔵庫にはアメリカンビールはもちろん、ヨーロッパビールや中南米のビールまで、実に様々なビールが取り揃えられていた。値段がわからなかったので、わたしはハイネケンの缶ビールとアルゼンチンのビール、キルメスのビンをとってレジへ持って行った。
余談だけれど、わたしはキルメスが大好きだ。その味が好きというよりも、キルメスを飲むことによって思い出されるアルゼンチンという国とそこに住む人々が大好きなのだ。日本では最近めっきりその姿を拝む機会は減ってしまっていて、久しぶりにその青いラベルを見つけたときのテンションの高ぶりといったら、自分でもびっくりするほどだった。
ビールは二つで5ドルもしなかった。意外な安さに少し面食らいながら「thank you 」とにこやかに言って店を出た。レジを離れるときに右隣にいたおじさんが飴をくれながらウィンクしてきた。お前も好きだねぇ。そう言われている気がした。ニューヨークの夜はそう悪いもんでもないらしい。
宿の共有スペースは離れのような造りになっていて、宿泊スペースがある建物を出て左にある駐車場を抜けると共有スペースの入り口があった。広々としたリビングスペースにはソファーが三つあり、背の低いテーブルを囲むようにコの字型に並べられていた。隅には申し訳程度に小さなキッチンと冷蔵庫があってそこにも一つダイニングテーブルが置かれていた。
ソファーにもダイニングテーブルにも先客が何人かいて、壁にかけられたテレビでオリンピックの競泳競技を鑑賞していた。
いまはもう昔ほどの泳力はないけれど、わたしは学生時代、水泳一筋20年の競技歴を持つスイマーだった。競技を離れて久しいが競泳に対する気持ちは今も変わらない。
こんな旅の途中だからと諦めていたオリンピック観戦を、まさかニューヨークの片隅の安宿でできるとは思っていなかったので踊り出したいほど興奮した。周りは欧米人ばかりだ。完全なるアウェーであることはまったく気にせず、わたしは空いているソファーに腰掛けた。
オリンピック・競泳・ビール。
役者は揃った。
ニューヨークの夜のはじまりだと、意気揚々としごく個人的な宴をはじめようとしたのだけれど、その段になって栓抜きを持っていない事に気がついた。自分の部屋に戻ればバックの中にある万能ナイフに栓抜きがついているのだけど、これだけ準備が整っている中で部屋に取りに戻るのは正直億劫だった。
あたりを見渡せば、大多数の人がビールを片手にしている。一人くらい栓抜きを持っていてもおかしくはない。わたしは近くに座っていた50歳くらいのおじさんに栓抜きはないかと尋ねた。
ごめん、持ってないんだと、おじさんはすまなそうに応えた。それならと、その隣にいたおじさんにも聞いてみたのだけれど、彼も持っていなかった。困ったなと思って部屋に戻るか否か思案していると、最初に尋ねたおじさんがスプーンを持ってきてわたしのビール瓶の蓋をあけようとしてくれた。
優しいなーと思いながら、おじさんの奮闘を眺めていると、なんだかおじさんの顔に見覚えがあるような気になってきた。どこかで見た顔だ。どこだっけか・・・。
ほら空いたよっと、おじさんがビールを手渡してくれる。お礼を言って受け取りながら、おじさんの顔をもう一度しっかりと見た。記憶の筋がぴっとつながりかけていた。
どこかで見たことある。どこだろう、どこだろう・・・・。
頭の中でぐるぐるしながら、記憶を辿っていたとき、おじさんがぐいっとビールを一飲みした。
ビール・・・ビール・・・・おじさんと、ビール・・・。
・・・あ!
「おじさん、4年前の8月にスペインのマドリードにいませんでしたか?」
わたしはとっさにそう尋ねた。それは質問というか確認作業で、わたしの中ではその疑問はすでに確信に変わっていた。
「4年前の夏、8月終わりか9月の頭に、スペインのマドリードにいましたよね?」
訝しげに首をかしげるおじさんに、さらに畳み掛けるように質問を投げかける。おじさんは、「確かにいたと思うけど・・・」と不審げで、わたしのことは一切覚えていないようだった。
わたしはフェイスブックかなにかにアップしたはずの写真を探して、スマートフォンをあさった。この偶然に少し指が震えていた。「こんなことってあるんだな・・・」興奮に満ちた驚きで胸がいっぱいだった。
つづく。
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