ここ3年間で数多くの読書会に出席してきたが、金融経済読書会(Financial Education & Design, FED)に次いで参加回数が多かった読書会がクーリエ・ジャポン朝食会であろう。新宿の会をはじめ、渋谷、日本橋、恵比寿に参加し、一時期は自分自身で海浜幕張の会を主宰していた。なお、FEDの参加回数が突出しているのは、開催回数が年間60回程度とクーリエ朝食会の5倍も開催されているためである。

クーリエ・ジャポンの朝食会は海外志向の強い人が数多く集まり、スピンオフのイベントも充実していることから非常に楽しいものであったし、今なお楽しいものであり続けている。しかし、残念ながらこの3年間でクーリエ・ジャポン自体は、私にとってはあまり面白くない雑誌になり下がってしまっている。ここ1~2年で売上部数自体は着実に伸びており、東京大学の生協で最も売れる雑誌とのことだが、かつての「国際情報誌」としての特徴は失われ、「国際自己啓発誌」ともいうべき内容に堕してしまった。

熱狂的なファンの方もおられるかもしれないが、変化の兆しは瀧本哲史氏が連載を始めたあたりから感じていた。瀧本氏の連載が始まったあたりから、「エリート」特集や「教養」特集のようなものが増えたように思える。本物のエリートや教養人というのはそもそもこの手の特集記事を必要としないだろう。この手の記事をありがたがるのは、エリートや教養人に「憧れ」を持つ人たちだけではないだろうか?クーリエが「自己啓発」的な内容に力を入れ始めたことで、皮肉なことにこの雑誌は売れ始めた。しかしながら、海外メディアの様々な記事を効率的に読めるという価値に注目していた既存の読者は次第に離れて行ったのではないだろうか?

瀧本氏の連載開始以後、「最近のクーリエつまんなくなったな」と思いつつもそれなりに読み続けてきたけど、今回の3月号からはじまった戸塚隆将氏の新連載を見て、「いよいよクーリエもキャリアポルノになったな」と確信した。これまで様々な考える「材料」を提示し、読者に価値判断を委ねていた同誌が、ロールモデルを提示し、価値判断を委ねるどころか特定の価値観を提供する雑誌に変貌してしまった…。

上述の通り、私の認識では瀧本哲史氏の連載開始がクーリエ・ジャポンの転機であったと思う。同氏の主張の一つに、「コモディティ化しない人間になれ」という趣旨のものがあったと思うが、皮肉なことに同氏を起用したことがクーリエ・ジャポン自身がコモディティ化する嚆矢となったというのが私の認識である。

出版業が慈善事業ではなく利益追求型事業であることを考えると、「良い本」とは「売れる本」であろう。そう考えるとクーリエ・ジャポン編集部の編集方針転換の判断が間違っているとは思わない。また、読者の多数が現在の編集方針を支持しているのであればWin-Winの関係にあるとも言える。ただ、かつての編集方針の方が好きだった一人の読者としては今のクーリエ・ジャポンに対して言っておきたいのである。「クーリエ・ジャポンは死につつある」、と。