ふと思ったのですが、
被害者意識って気をつけないとな~と。



例えば、
“常識的に考えて誰が見ても相手が悪いと言われること”を
されたとします。

例えば、何かを盗まれたとか、浮気をされたとか。

それで自分は被害者なんだから、
加害者は自分に対して
あんなにもこんなにも尽くしてくれて当然と思うようになる。


その状態って、実は被害者にとって
とても危険で難しい思考だなと思います。


人は、人に与えることによって幸せになる。
なのに、搾り取って当たり前と思ってしまう。

だって、その前に相手は
自分から大切なものを奪ったり
気持ちを裏切ったりしたのだから、
それと釣り合うだけのものを返してもらってるだけだと。



でも、そもそも“常識的に考えて誰が見ても相手が悪いと言われること”が、
本当に悪いことかどうかはわかりません。

常識なんて時代や国によって変わるし、
人によって“悪いこと”の定義も変わるし、
受けた時の傷つきかたも違います。

(例えば、私は場合によっては浮気されても傷つきません。
愛する人が誰かと楽しい時間を過ごせたなら、
よかったなと思いますから。
だから、浮気=悪いこととは定義できません。)



なにより、被害者意識に囚われて
憎しみや悲しみを長い期間持ち続けていることが
一番もったいない。

今はもう“その時”じゃないのに、
いつまでも“その時”に縛り付けられて、
今をそのまんま生きられない。

『君が悪いんだ!君は私にひどいことをした、ひどい人間だ!』
と相手を非難し続けることに
大切な時間を使ってしまう。

それこそが奪われたものの中で
一番大切なものでは⁈

そしてそれを奪っている(費やしている)のは自分です。



よく『許しましょう』と言われますが、
福島原発事故で家族を失った人たちに、
平和に暮らしている私は
許しましょうなんてとても言えないですし、
私が当事者なら難しいだろうなと思います。

そういうことはかなりハードルが高いけれど、
平和に暮らしている私たちが
たまに出会う辛い出来事は、
せめて早く手放したほうがいいなと思います。

(きっとハードルの高い被害者になってしまった人たちは、
神様にあなたなら乗り越えられると
その人間性の成熟度を見込まれたのかもしれません。)


被害者でいるということは、
自分を苦しめるだけ。
自分が幸せになるのを遠ざけているだけで、
相手から奪い返しても幸せにはならないように思います。


人は、与えることで幸せになる。
人は、誰かに喜んでもらって幸せになるのだから。


相手のためには許せなくても、
自分のために相手を許し手放し幸せになるのが
一番自分のためかなと思います。