人の悪口は、言ってはいけない。


家族の愚痴は、人様に言わない。


夫には逆らってはいけない。


姑の面倒は最後までわたしがみなければならない。


お盆はたくさん人がくるから、手作りのお料理でおもてなしをする。


お正月のおせちやお料理は、必ず手作りしなければならない。


自分のことよりも、他人のことを優先する。


危ないことは、やってはいけない。


世間に恥ずかしいと思われることは、やってはいけない。





わたしが幼いときから実母を見て感じていたこと、


そして実際に母が結婚をして40年以上、リアルに続けてきたこと。


お母さんの生活の「コンセプト」みたいなもの。






母はいわゆる


「優しくて良い人」


の模範のような人でした。


当然わたしの中の人生の正しい価値観、というか

生き方は


母のように生きること↓

「他人を一番に思い、悪口(愚痴)を言わず、やるべきことをやっていれば

必ずその人は安全に平和に暮らすことができる」



=いろんな我慢や努力なしには幸せになれないのだなーと思っていました。






今から5年前の春

母は59歳の若さで「若年性認知症」という病気を医師から宣告されました。


正直、まったく信じることができず、


この若さでボケちゃうなんてありえないでしょ。けっ(-_-メ


と、無知でおバカな当時のわたしは

「誤診?」

くらいに本気で思っていました。



なにより、母が、

このわたしの中で世界一良い母で、

真面目で、

優しく、

他人を思い

人の嫌なことをせず、

生きてきたこの母が

そんな無情な病気になるわけがない!

(神様、ひどすぎる・・・)


と、強く信じていた、と言ったほうがしっくりきます。


それくらい、わたしは

「真面目に生きていれば⇔嫌なことを我慢したり努力したりすれば、きっといいことがある!」

という価値観の中で生きてきたので、

それをひたすら守ってきた母が

まさかの病気にかかってしまったことを余計に受け止められなかったのですね。



6年たった今

母の認知症はかなり進行し、要介護も3になりました。


母は父のサポートの元、実家でまだ生活できております。


ただ、生活するのに当たり前のことがどんどん出来なくなってきてます。


着替え、洗面、入浴、

食事もお箸やスプーンがうまく使えないことも多々。


夜間せん妄で父を夜中にたたき起こしては訳のわからないことを言って興奮したり

トイレに何十分もこもったり、お腹をさすりすぎてアザになったり。



冬を越すたびにどんどん進行していく母を見ていくうちに

わたしの価値観もどんどん変わっていきました。












おかしいなー。


お母さん、なんにも悪いことしてないのに。

してこなかったのに。


あんなに

わたしのため、

お兄ちゃんのため、

お父さんのため、

おばあちゃんのため

仕事先の人のため、親戚のため、ママ友のため・・・


あんなに

あんなに

たくさん

人に優しくしてきたのに


自分のこと、なんにもしないで。


自分のこと、なんっにもしてこなかったのに。


どんなに考えても絞り出しても

おかあさんの好きだったことも、

好きな食べ物も、これ!というもの、

全然思いつかないの。



・・・。



ん?

まてよ。

なにか引っかかる。

なんだろ。



あ、そっか。


全部、他人だ。


お母さんが、いない。


お母さんの「自分」、

お母さんは「春子さん」って、わたしのお母さんの前に

春子さんって一人の女の人がいるはずなのに、

それがどっこにもいない。

 

まるで消去しちゃったみたいに、

○○さんのお母さん

○○さんの奥さん、

○○さんに嫁いできた人・・・


そっかー

お母さんは、我慢してきたんだねー


ずっとずっと私たちのために、自分を目立たなくひっそりと生きてきたんだね。

それが良かれとおもって、ずっとね、そうだったよね。

いつもどんなときも、わたしたち家族を率先してくれてたもんね。



そうしているうちにさ、

びっくりすることにね、

頭の細胞もひっそりしちゃって


頭の中がゆっくり壊れてしまって


ほんでもって気がついたら認知症って病気になっちゃってたんだね。


一生懸命だったんだよね

一生懸命自分から目を逸らして、みんなのためにね


でもそしたら

頭の中もね



そっかー

そっかー




じゃあね。


人の悪口は、(言う人を選んで)言ってもいい。


家族の愚痴は、(言う人を選んで)言ってもいい。


夫には逆らってもいい。


姑の面倒は最後まで看なくてもいい。


お盆はたくさん人がくるけれど、手作りのお料理でおもてなしをしなくていい。


お正月のおせちやお料理は、必ず手作りしなくていい。


自分のことよりも、他人のことを優先しなくていい。


危ないことは、やってもいい。


世間に恥ずかしいと思われることも、やってみてもいい。



こんなふうに少しでも、

一個でも、なんかができてたら


頭壊れなくてすんだかな。

すんだかも。


今更考えてもどうにもできないけどね。



真面目に生きなくてもいい。

好きなことをしてもいい。


自由に生きて、いいんだね、おかあさん。



教えてくれて、ありがとう!!!











どんどんこんなふうに考えるようになり、

わたしの価値観はあの頃と比べてずいぶんと、変わりました。


「楽しく生きていい♪」

「わくわく、してていい♪」

「自分を優先(大事に)してもいい!」


だめなことって、あるのかな?


それはその人の価値観が決めること。


そういうことだよね、お母さん♪



春子さんのおかげで、わたし、本当に生きるのが楽しくなったよ♪


孫も見せられてないけど、それも前みたいに責任感じなくなっちゃったけど

それでいいかな?

今はすごく楽チンだ♪



こんな開放感、あったんだね。


自由に生きて(思って)いいんだ♪


わたしはわたしらしく、人を想い尊い、愛していけばいいんだ。

わたしはわたしらしく、自分で選択した仕事や環境にいていいんだ。


春子さんはやっぱり偉大です。

どんなことをしても越えられない存在です。


病気でどんどん出来ないことや

人格も変わっていってしまうけど


今も変わらずわたしの母として


「当たり前のことに、当たり前にできることに、感謝しなさい」


と、存在するだけで示している偉大なる母です。




母が認知症と診断されてから数ヵ月後にできた「癒しサロンSpring」は

母の病気と同時進行に丸5年を迎えることとなりました。


今、アロマやエステサロンなどこの業界では

5年続くところは、5%しかいない
(100人開業して、95人が辞めていく)

ということを、今日はじめて教えてもらいました。


母の教えの通り、当たり前のことなんて何一つ、ないです。

今わたしがこのお仕事を続けていられるのは、出会いというひとつの奇跡の

延長線上です。

本当に来てくださっている皆様のおかげなのです。


本当に、ありがとうございます!!!





自由に生きて、いいんだね♪

自由にお仕事、最高だね♪


今日も

胸いっぱいに深呼吸ができる

自分の意思で自分の足で行動できる

蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば明かりが付く


そんな当たり前のことに感謝。

いっぱい。


ね!

春子さんっ♪





自由でいいにゃ。



つい先日

母に会って、またそんな想いを再確認しながら帰路につきました。、

なので、今日はその気持ちをふっと書いてみました☆


長くなりましたが、

本日も最後までお付き合い、ありがとうございました!


癒しサロンSpringでした☆



ペタしてね



本日の一言。


自分を信じる、と書いて、「自信」!


                              Springでしたっ♪