【今回の記事】
叱責後の自殺、防ぐ道は 全国の遺族ら集う 中区 /広島

    記事によると、遺族でつくる「『指導死』親の会」の主催で、学校での行き過ぎた指導について考える「指導死」シンポジウムが開かれたとのこと。まず、同会代表世話人の大貫隆志さんが「生徒指導によって子供が心に深い傷を負い自殺をすることはまだ知られていない。もっと知ってほしいと『指導死』という言葉を作った」と説明した。
   大貫さんが報道や寄せられた相談を分析すると、それらの事例の共通点として、長時間の指導▽複数教員による指導▽暴言▽冤罪(えんざい)型▽密告の強要▽連帯責任▽目的外指導への発展▽不釣り合いに重い罰則▽指導中に生徒を1人にする▽指導後のフォローの欠如−−があった。暴力が伴わないケースが大半だったという。その上で大貫さんは「感情的になったり、無計画に長時間行われるものではなく、教育的配慮に基づいた助言であるべきだ」と訴えた。
   長崎市の安達和美さん(54)の次男雄大さん(当時14歳)は、たばことライターが担任教師に見つかり、担任と1対1で狭いトイレ用具入れや、窓やドアを紙でふさいだ「お仕置き部屋」で指導を受けた直後、校舎から飛び降りたという。

   私は、この記事を読んで、心が苦しくなった。本来、子供を正しい道に導くための「生徒指導」が、結果的に子供を自殺に追いやっているという事実の多さである。「指導死」という言葉まで作られているのである。
   今回寄せられた事例の中で、教師による指導のあり方について気になった事は、まずは、「暴言」である。これは言葉を変えれば、“子供の心に傷を残す、感情的になった教師の言葉”である。“感情”的になった指導は「指導」とは呼ばない。指導には、常に“理性”が伴わなければならない。
   さらに感情的になった教師たちは、とにかく子供をどん底に突き落とそうとする。それによって猛省を求めようとするのだ。私が以前、ある教師の指導中の言葉として聞いたものに「あなたは取り返しのつかないことをしてしまった」というものがあった。その言葉を浴びせられた子供はどんな気持ちになっただろう。「取り返すことができない」ということは、「自分の罪は消えない」という意味でもある。その子供は“自分の先に光が見えない状況”に追い込まれるに違いない。
   また、「冤罪」も多い。「この子供が悪事を働いたらしい」という情報を聞けば、正確な事実確認もせず頭ごなしに叱るのだ。子供にとっては、「先生は自分を信じてくれない」という絶望感に襲われ、そして、やってもいない罪で罰則を受けるのである。子供にとっては一番辛いのは、罰則そのものよりも、むしろ周りからの目である。「あいつ何か悪い事したらしいぞ」という友達からの冷ややかな目が突き刺さる。場合によっては、そのことが基で周囲からのいじめに発展する場合もあるのだ。

   私も校内で生徒指導主事を務めたことがある。次回は、その頃私がしていた指導のあり方を述べたいと思う。家庭での子ども指導にも役立てていただければ幸いである。