現在、テレビからは何かと「過保護」という言葉が聞こえてくる。過保護で育った子どもは、自分一人になった時に、正しい行動をとることができない。その結果、事件を起こしたり、多額の借金をしたりすることにもなる。その代表例が、高畑裕太であり、坂口杏里である。
   しかし、彼らの母親たちは、一体いつから「過保護」という道に迷い込んでしまったのだろうか?今回は、私なりの考えを示したい。

   結論から言うと、過保護は「母子分離」の失敗から始まるのだろうと考えられる。「臨界期」と言われる0歳から1歳半までの時期に母親との愛着(愛の絆)が形成されると、その次に訪れる子育ての作業は「母子分離」である。つまり、いつまでも子供を母親の一部のように受容し続けると、子供は精神的な自立ができない。そのために母と子供は分離、つまり一定の距離を置き、新しい社会へと旅立つ準備をしなければならないのである。
   実は、その「母子分離」は母親一人ではできない場合がある。つまり、「子供を受容する」という母性の働きが邪魔をして、いつまでも子離れできないでしまうことがある。実は、この「母子分離」をスムーズに行うには父親の導きが必要とされている。母親に受容された子供を母親から離すのは「父性」が果たす役割なのである。

   高畑裕太と坂口杏里の2人は、いずれも母子家庭で育った。母子家庭が全て悪いということではなく、父親がいないという環境と、忙しい女優業のために子どもと接する時間に飢えていた二人の母親による「溺愛」という名の「受容の連続」が重なった結果、母子分離に失敗し子離れできない母親となり、その結果、保護が過ぎる、いわゆる「過保護」という子育ての様態を生んだのであろう。