今日はちょっと自由時間を貰ったのですが

ラプラスの魔女は時間が合わず、パルムドール賞受賞でも話題の

「万引き家族」を観てきました。

 

内容を紹介したり、順序立てて何かを語ることはできないですが

ネタバレ含む、私の所感をメモしておこうと思います。

 

まだ観ていない方はここでお別れしましょう!

ネタバレがある上に、観ていない人に親切な書き方もしていません。

 

注意「感想」というまとまった文章でもない、メモ書き散文です。

 

プロモーションサイトからお借りした、チラシの画像を間に挟みますね。

 

 

自分用のメモでごめんなさい。

とりとめなく、箇条書きにします。

 

この作品の俳優さんたち(小さな俳優ふたりを含む)は皆本当に素晴らしかったけれど

安藤サクラの生活感や肉感のリアリティがすごかった。

 

万引きした食べ物は、カップ麺にポテトチップスに、

どれも美味しそうに見えなかったけれど

お金を出して買った手作りコロッケがなんとも美味しそうだったし、

幸せそうだった。それがりんが柴田家に来る契機にもなった。

お鍋も、豪華ではないんだろけど、美味しそうだった。

 

即席カップめんを人数分買うぐらいなら、そこそこの食材が買えるはず。

即席カップめんと、即席家族は、なんだか似ている、と思った。

 

信代(安藤サクラ)と祥太が並んで歩いている時のラムネも

お金を出して買ったもの…に見えた。物理的に万引きしにくそうだし。

無理して「お父さん」と呼ばなくていい、それは大したことじゃない、

並んで歩きながら、そう語るシーンが優しくて、印象的だった。

楽しそうに飲むラムネは本当に美味しそうで、ビー玉はその後もキーになる。

 

信代は自分を「お母さん」と名乗らないし、無理に呼ばせようともしない。

だけど…りんが家族に溶け込み始めた時に、意外なほど嬉しそうに

「私たちは選ばれたんだ!」と語っていた姿。

「子どもは親を選べないというけれど、こういう形で選んだ方が絆は強いんじゃないか」とおばあさんに言いながら徐々に上気していく様は、彼女の寂しさと繊細さも映し出していたように見えた。

 

寒い冬の日でも、りんを迎え入れる気などさらさらなかったのに、

「産みたくて産んだわけじゃない!」という母親の言葉を聞いて

置いていくはずのりんを抱いた手が強張った姿。

 

そのシーンを見た時は、さすがにりんを心配したんだと思った。

自分も虐待された経験があって、母親が許せなかったのかもしれない、とも思った。

しかし映画の後半で、性を売る仕事をしていたこと、子どもが欲しくても産むことができない可能性が示唆される。

だからこそ「産みたくて産んだわけじゃない」という言葉がより強いトリガーになったのかな…

 

祥太は賢い子だった。

勉強を強制されなくても、押入れで、どこからか入手した教科書を自分で読んでいる。

だけど…おそらく小学校高学年相当なのに、読んでいるのはスイミー。

長男も今読んでいるけれど、小学校2年生の国語の教科書だ。

 

柴田家は本当の家族ではないけれど、そこには家族があった。

それが愛情の結びつきだったかというと、利用し利用され、運命共同体としての仲間だったというのが真実かもしれないけれど、それでもやはり共に暮らす仲間としての絆や幸せはそこにあったと思う。

 

 

りんは柴田家の暮らしで、抱きしめられることや「家族」を得られたし

亜紀(松岡茉優)は、言葉にしない自分の気持ちを理解してくれる人がいる。

おばあさんが海で呟いたのはきっと、「ありがとう」。

治も信代も、家と年金をアテにしつつも、誰かに必要とされたい、という気持ちを、あの暮らしで満たすことができていたのだと思う。

 

でも、治には大きな勘違いがある。

祥太を(おそらく炎天下の)パチンコ屋の車から救った。りんを虐待から救った。

家族に迎えて可愛がっている。貧しいけれど、楽しい暮らし方を知っている。

りんを「妹」と言い、自分を「お父さん」と呼ばせようとする。

全て屈託がなくてフレンドリーだけれど、大きな間違いがある。

本人のせいではないかもしれない、愚かさの哀しさ。

子どもたちを、学校に行かせず、万引きをさせている。

それが過ちだということにさえ、気づいていない。貧困の連鎖…。

 

「父親」ではなくて、大人になりきれていないアダルトチルドレンなのかもなあ…。

祥太にとって、悪い友達、というほうがしっくりくる。

 

英語、国語、勉強へのコンプレックスが垣間見えたり、

自分は教えられることが万引きしかない、と治は言う。

車上荒らしの正当性を祥太に問われた後なのに、

祥太に「お前もやれ」と言ってのけ、グータッチをしようとする。

お前も俺と同じになれ、綺麗な世界で生きていこうとするなんて、

と汚く貧しい世界に引きずり込もうとするように。

 

でも、炎天下の車の中から助けた子どもにつけた、自分の本名。

自分の人生がやり直せるなら…

この子はちゃんと生きて欲しい、そう思ったんじゃないのかな…

 

祥太はりんが万引きに加わった時に違和感を感じて、

そして駄菓子屋の店主の「妹にはやらせるんじゃないよ」という言葉で

自分のしていることに段々気づいていく。

わざと見つかる万引きをしたのも、妹より自分が気をひくため。

治よりずっと、大人で賢い子。

死体を家に埋めて「おばあさんなんていなかった」なんて、変だよね。

 

おばあさんが亡くなった後、曝け出される人間性。

追い詰められた状態で、仕方なかったのかもしれないけど…

おばあさんは住処や生活費だけでなくて、あの家族の良心だったんだなあ。

寄せ集めの人たちに軒を貸し、服を縫い、皆を家族にしたのはおばあさんだったんだと思う。

 

スイミーの魚たちのように、弱い1匹1匹が集まって暮らしていた家族。

 

大きな石を持ち上げたら、蜘蛛の子が散るように

一緒に過ごした家族はバラバラになった。

 

運命共同体にも絆はある。情はある。

だけど…。…このことは本当に難しい。

かりそめの家族ごっこだったとしても、彼らはきっと幸せだった。

特にりんちゃんにとっては、その場所が救いだった。

祥太もきっと、最後にバスで呟いたのは…。

 

 

最後は、私は、りんちゃんは柵を飛び越えようとしているように見えた。

祥太がそうするシーンを見ていたから。

叩くことが愛情ではないことも、抱きしめられる世界も知ってしまったから。

 

悲しすぎる。

 

ちょうど最近、5歳の女の子が虐待されて死んでしまう事件もあったから

映画自体はとてもよかったけれど、

投げつけられた社会問題が多いし重いせいか、まだ放心しています。

 

ゆっくり、咀嚼していこうと思います。

 

とりとめなくてごめんなさい汗