ハト派と言われる宮澤首相も閣僚もマスコミの攻勢に防戦一方の姿勢もあり、調査にあたった内閣外政審議室や外務省の官僚達の意識の問題もある。竹下内閣から宮澤内閣、細川、村山内閣で(事務方の)官房副長官を努めた石原信雄氏を2014年2月国会に召喚し証言を得ている。「 」は日本維新の会(現自民)の山田宏議員の質問要旨。

2014年2月20日 衆議院予算委員会会議録

山田宏委員の質問にこたえて(下記 175 山田宏より)

175 山田宏「2007年辻元清美議員質問主意書に安倍内閣は「強制連行の記述がなかった」と答弁」

(参照資料:国会会議録より)
2007年3月 辻元清美議員の質問主意書と答弁

「お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」

 

177 「石原元官房副長官の河野談話に果たした役割」

 

 河野談話が発出される経緯について申し上げます。

 実は、この問題が起こりました発端は、一九九三年、二年でしたか、東京地方裁判所に従軍慰安婦と称する人たちが、自分たちへの侵害に対して日本国政府の謝罪と損害賠償を要求するという訴えを起こされたわけです。

 その訴訟に関連いたしまして、当時、宮沢内閣発足直後でしたけれども、日本国政府としては、一九六五年の日韓国交正常化条約によりまして、戦中の、戦前のいろいろな問題は全て最終的かつ完全に決着しているということが明らかでありましたので、加藤官房長官から、日本国政府としてこれに対応する余地はないという趣旨の談話を発表いたしました。

 これに対して韓国内ではいろいろな反発があったようでありますが、その翌年、盧泰愚大統領になってからですが、宮沢総理と盧泰愚大統領の首脳会談がソウルで行われまして、これからは過去の問題にこだわらずに未来志向で両国関係を発展させましょうという趣旨でこの会談が持たれたわけですが、実は、その会談の場に従軍慰安婦と称する人たちが押しかけまして、会談が静かな雰囲気でできる状況でなくなってしまったわけです。

 それで、そのときに、この従軍慰安婦問題について、実態はどうだったのかということを日本政府として調査してほしいという韓国側からの要請がありまして、政府として検討した結果、では事実関係を調べてみましょうということで、初めは、これは戦中の、戦後処理の問題は主として厚生省の援護局が担当しておったんですが、援護局に話したところ、そのような資料はなかなかないと。もう戦時中の資料でありましたので、非常に散逸しておりまして、なかなか集まらないということであったんです。

 しかし、何としても事実関係を明らかにする必要があるというので、当時の厚生省だけでなくて、労働省や、あるいは警察庁や、外務省、防衛省、非常に幅広く関係が広がっておりましたので、最終的に官邸の方で、官邸の外政審議室が中心になりまして、各省に資料の調査の要請を行いました。

 その過程で、私は各省に対して、できるだけ努力して、戦時中の資料であるけれども、努力してその種のものを集めるようにという要請を行いました。再三再四、これは協力要請をしたわけですが、その結果を加藤官房長官から発表になりました。

 それは確かに、慰安所の設置だとか、あるいはそれに従事する慰安婦と称する人たちの輸送とか、あるいは衛生管理とか、そういう慰安所の存在を前提とするような通達とか連絡とかというのは文書で明らかになりました。しかし、女性たちを強制的に従事させるという種のものは発見できなかったわけであります。

 それで、その段階でそういう事実関係を加藤談話として発表いたしましたが、その後、やはり関係者が、自分たちは自分の意に反して強制されたんだということを非常に強く言っておりまして、韓国側が加藤談話ではもうおさまらないということで、引き続き、ではさらに調査しようということで、官房長官が河野さんにかわられたわけですが、河野さんにかわってからも引き続き調査を行いました。

 しかし、アメリカの図書館まで行って調べたんですけれども、女性たちを強制的に集めるというふうなことを裏づける客観的なデータは見つからなかったわけです。

 それで、当方としてはそういうことだと言ったんですけれども、韓国側が、やはり彼女たちは自分の意に反して強制されたということを強く訴えているので、何としても彼女たちの話を聞いてもらいたいと。

 そこで、話を聞くか聞かないかということで政府としても種々協議いたしましたが、最終的に、日韓両国の将来のために、彼女たちの話を聞くことが事態の打開になるのであればということで、最終的には、十六人の慰安婦とされた方々からその当時の状況をいわば客観的に公正に話していただくということで、調査官を派遣してヒアリングを行った。

 そして、そのヒアリングの結果、どうも募集業者の中には、かなり強引な手段で募集した、あるいはだまして連れてきた、それから、その募集の過程で当時の官憲がこれにかかわった、かなりおどしのような形で応募させられたということを証言する慰安婦の人がいまして、それらの証言内容を全部とってまいりまして、それを総合的に、我々聞きまして、調査官から話を聞いて、それをもとにして、最終的な河野談話としてまとめたものであります。

 したがいまして、当方の資料として直接、日本政府あるいは日本軍が強制的に募集するといったものを裏づける資料はなかったわけですけれども、彼女たちの証言から、どうも募集業者の中にその種のものがあったことは否定できない、そして、その業者に官憲等がかかわったこともまた否定できないということで、河野談話のような表現に落ちついたところでございます。


179「16人の慰安婦の証言の裏付けはとったのか」

 十六人の方の証言を日本側の担当官が聞いて、それを記録して帰ってきたわけでありますが、その後それを、証言の事実関係を確認するための裏づけ調査というものは行われておりません。

181「河野談話は日韓の合作ではなかったのか」

 私は、この談話の原案を、ヒアリングの結果を踏まえて、外政審議室を中心に文案を作成してまいりまして、その文案を最終的には官房長官のところで推敲して最終談話になったわけでありますけれども、その過程で韓国側とどのようなやりとりがあったのか、私は承知しておりません。

183「実務を担当した内閣外政審議室の谷野作太郎氏とのやりとり、発表直前の河野官房長官の関与は?」

 私は、最終に、河野談話を発表する直前の段階ですけれども、それまで各省の協力要請などを私はやっておりましたので、最終調整のところで、その打ち合わせに入りました。したがいまして、字句で、どこの部分を官房長官がどうしたというようなことは、記憶しておりません。

185「韓国側との綿密な事前調整はあったのか」

 もちろん、このヒアリングの結果を踏まえて文章を起草し、それを談話にまとめたわけでありますが、その過程で、どの段階でどの程度韓国側との接触があったのか、私は承知しておりません。

 いずれにしても、それを踏まえて原案が上がってまいりました段階で、官房長官の最終的な御決裁をいただく前の段階で私も拝見し、議論に加わりました。したがって、その前の段階で韓国側とどのような接触があったかということは、私は承知しておりません。

 ただ、この種のものをまとめる段階で、何らかの連絡というか事務的なすり合わせというのはあったのかもしれませんが、私自身は確認しておりませんので、その点はお答えを控えさせていただきます。


187「韓国は強制性を認めれば日韓関係は良くなるのではという話があって内閣官房で話し合われたのでは?」

 韓国側が終始、彼女たちの中にはその意に反して慰安婦とされた者がいるんだ、そのことをぜひ認めてもらいたいということは再三言っておりました。それを、証言の結果として、その心証をもとに河野談話は作成されたわけでありますが、御案内のように、あの談話が出された後、韓国側は、これで過去の問題は一応決着したという姿勢でありまして、韓国政府がこの問題を再び提起することは、しばらくありませんでした。私が在職中は全くありませんでした。

 したがって、そういうような効果は持ったと思うんですけれども、作成過程で意見のすり合わせというものは、当然、行われたということは推定されますけれども、私自身はそのことにタッチしておりませんので、確認できません。


189「善意と思ってやったことが、「強制連行や性奴隷」という言葉を世界中に拡散し、韓国側に利用された。現在の感想は?」

 私は、当時、政府としては、この河野談話の発出に当たりましては、いわば苦渋の選択として、慰安婦とされた人たちのヒアリングを行ったわけであります。

 その際に、我々は韓国側に対して、客観的に過去の事実を話せる人を選んでくださいということで、責任を持ってそういう人を選びますというので、十六人の方が選ばれて、そのヒアリングを行い、その結果を踏まえてあの談話になったわけでありますから、その十六人の方々にどういう問題があったかというのは、我々は韓国側の善意を信頼してこの全体の作業が行われたわけでありまして、その前提にいろいろ問題があるというような報道もなされておりますが、私どもはその点は全くそういう想定はしておりませんだったことを申し上げたいと思います。

 それから、河野談話によって過去の問題は一応決着して、これから日韓関係は未来志向でいきましょうという話でこれは取りまとめが行われたわけですから、そしてまた、当時は、それによって、一応、少なくとも韓国政府側はこの問題を再び提起することはなかったわけであります。しかし、最近に至って、韓国政府自身がこれを再び提起する、そういう状況を見ておりまして、私は、当時の日本政府の善意というものが生かされていないということで、非常に残念に思っております。


191「河野談話は少女達を強制連行し性奴隷にしたことを認めたのか」

 談話の文言にもありますように、主として募集は業者が行っておって、その業者の募集の過程で官憲とか軍がかかわった可能性があるという表現になっておりまして、日本政府あるいは日本軍の直接的な指示で募集したということを認めたわけではありません。

193「再調査、再検証を行う必要があるのでは」

 当時は、慰安婦とされた人たちの中で客観的な状況を話せる人を選んでいただきたい、その要請に応えて、そういう人を選びますということで韓国側が十六人の候補者を出したわけですから、当時の状況としては、それの裏づけをとるというか、そういうことができるような雰囲気ではなかったと思っております。

 一般論としては、この種のものについては裏づけをとるということはあるんでしょうけれども、あの当時の状況としては、そういうことをこちらが要求するような雰囲気ではなかったと思っております。(以上、石原証言)


 この石原証言の後、管官房長官は、河野談話の作成過程を検証することを約束し、その結果、2014年6月20日「河野談話」政府調査報告書が報告される。

最後に

 山田議員も語っているように善意の行為を韓国側に利用され、今は最悪の関係になっている。宮澤内閣は倒閣の攻勢にさらされ自民党支配が終わろうとしている時に河野談話を発表することになる。このような混乱のなかで国益を考慮する余裕がなかったのだろうと解釈したい。次期政権に委ねたいと責任放棄をすれば良かったのではと思うが、次期政権は反自民でありどうなったか分からない。しかし、女性のためのアジア平和国民基金事業と村山談話に受け継がれて行くのは政権交代と関係の無い官僚達が慰安婦問題をすすめたからと思う。

 石原証言にあるように、内閣でも一部のチーム員が活動し石原元官房副長官も蚊帳の外に置かれていた。谷野作太郎室長率いる内閣外政審議室の外務官僚が密かに調査・交渉を進めていた。16人の慰安婦の証言も含めて関係資料が後任者にも開示されない状況が続いている。河野談話は外交上の敗戦であり、今後時間をかけてもリベンジしなければならない。(終わり)

参考資料(谷野作太郎氏が作成に関わったとされる談話)

村山談話 

平和友好交流計画 1994年8月31日
「3.いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。」

戦後50周年の終戦記念日にあたって 1995年8月15日

「谷野作太郎・元駐中国大使に聞く」新聞記事の書き写し
(これを読むと谷野氏の思い込みと調査不足が国益を損なうことにつながったかが理解できる。)

河野談話:終わり