ウクライナはキエフ・ルーシの滅亡以後、周囲の国々の干渉や占領を受け、ロシアに支配されソ連に隷属され、独立を勝ち取ったのはソ連崩壊後の1991年であり、その後も親欧米派と親露派との抗争が続いた。2014年のマイダン革命で親欧米派が政権を握り現在に至る。現在のロシアと欧米の対立は、マイダン革命に起因する。

 

そして現在起きているカザフスタン反政府デモに結びつく?

年表(外務省HPより)
8世紀     キエフ・ルーシの成立
1240年     モンゴル軍キエフ攻略
1340年     ポーランドの東ガリツィア地方占領
1362年     リトアニアのキエフ占領
1648年     フメリニツキーの蜂起(ポーランドからの独立戦争)
1654年     ペレヤスラフ協定
1764年     ポルタヴァの戦い(ロシアからの独立戦争)
1853年     クリミア戦争
1914年     第一次世界大戦
1917年     ウクライナ人民共和国(中央ラーダ政権)成立
1917年~1921年     ウクライナ・ソビエト戦争
1922年     ソビエト社会主義共和国連邦成立
1932年     大飢饉(ホロドモール)
1939年     第二次世界大戦
1941年     独ソ戦開始、独によるウクライナ占領
1954年     クリミアをウクライナに編入
1986年     チェルノブイリ原発事故
1991年     ウクライナ独立、ソ連邦崩壊、CIS創設
1996年     憲法制定、通貨フリヴニャ導入
2004年     オレンジ革命
2013年~2014年     マイダン革命(尊厳の革命)

キエフ大公国(ルーシ)は、9世紀末より東欧から現ロシア東部を支配し、13世紀にモンゴルによって滅ぼされた。15世紀になり、諸公の中からモスクワ公が実力をつけモンゴルを追い出しルーシの統一を行い、モスクワ大公国となった。その後、ロシア・ツァーリ国を経てロマノフ朝のロシア帝国と続く。1917年のロシア革命でレーニン、スターリン等が権力掌握を行いソビエト連邦が形成される。1991年12月ソ連崩壊、ロシア連邦となり現在に至る。
キエフ・ルーシを祖国とする後継国家が相続人を主張してきた。今はウクライナ、ベラルーシ、ロシアである。

ウクライナ
ルーシの諸公は、モンゴル、ポーランド、リトアニアによる占領に抵抗し独立を目指してきたが、18世紀末ロシア帝国に併合された。その後、1917年ロシア革命を機にウクライナとして独立するが、再びレーニン率いるソビエトが勝利しクリミアと共に併合される。レーニン、スターリンは、ウクライナの富農を襲い食糧を強奪、抵抗すれば銃殺あるいは強制収容所送りと冷酷非情な政策を推し進める。さらにスターリンは、農業集団化を進めノルマを課しウクライナの農民の食料まで奪い取り、人為的な大飢饉(ホロドモール)となる。(犠牲者:400万~1450万人)第二次大戦において独ソ両軍の激戦地となり多くの犠牲者を出した。(犠牲者:800万~1400万人)このソ連による食糧の収奪は1991年ソ連崩壊まで続く。1986年にはチェルノブイリ原発事故の被害を受けた。
1991年の独立後も親欧米派と親露派との抗争が続き、不安定な政権運営が続く。2014年2月のマイダン革命で親欧米派の政権が誕生する。

マイダン革命
2004年大統領選挙で不正があり再投票の結果親欧米派に敗れ(オレンジ革命)、2010年の大統領選挙で当選した親露派のヤヌコーヴィチ氏が、2013年11月EUとの連合協定の締結を見送った。腐敗した政府に不満を持っていた反政府側(欧米側)のデモが発生、首都キエフの独立広場を中心に抗議運動を行う。
2014年2月18日
広場に集まった群衆に治安部隊が襲う。この時、銃撃戦が起こり20日まで続いた。この銃撃戦で多くの負傷者と100人を超える死者を出した。デモ隊や警察官の死因には、狙撃兵の射撃によるものが多くみられた。狙撃兵がどちらの陣営に属するかは不明だが、対立や混乱を加速するには十分だった。
2月20日
ヤヌコーヴィチ大統領は、野党との合意案を示した。
2月21日
ロシアとEUの調停の下、ヤヌコーヴィチ大統領と野党とが合意文書に署名した。
その後、ヤヌコーヴィチ大統領と政府高官は国外(ロシア、ベラルーシなど)に逃亡した。
2月22日
議会は、ヤヌコーヴィチ大統領らの逃亡を確認。5月25日の大統領選挙とそれまでの大統領代行を決めた。
2月23日以降
デモ参加者の殺害の責任を問い逃亡者等を指名手配した。

 

こうして親露派は、ウクライナ政権から除かれた。


ロシア・クリミア併合
3月1日
ウクライナの政変に対し、ロシアはロシア系住民の保護を理由にクリミア半島に派兵することを決めた。
3月2日
セヴァストーポリの海軍本部を確保。以後ウクライナ軍の投降を呼びかけロシア軍に編入。
3月16日
、クリミア共和国とセヴァストポリ特別市の住民投票による独立宣言(クリミア共和国の成立)とロシアへの編入を問い、圧倒的多数でロシアへの併合を認めた。2015年1月1日に併合処理を完了するとした。
(米国は、オバマ政権もトランプ政権もバイデン政権もクリミア併合を認めていない。)

ウクライナ新政権
2014年5月~6月
5月25日投票の大統領選挙の結果、ポロシェンコ氏が当選し、6月7日バイデン副大統領等60ヶ国の代表が出席し大統領就任式を開催した。

7月17日
マレーシア機MH17便撃墜される。誰が打ち落としたか調査中。

7月25日
ウクライナ首相が辞意、ヤツェニュク政権崩壊

ウクライナ週報(在ウクライナ日本国大使館の週報)
「2014年 26号27号」

 

12月2日
ヤツェニューク首相は新内閣を組閣
閣僚の任命があり3人の外国人を大統領令で国籍を与え、大臣にしている。そのうち、ヤレスク財務相は、米国生まれの米国人で、米国、EU、IMFの支援金の金庫番と思われる。
「ウクライナ週報(45号)」


マイダン革命後のウクライナと革命への米国の関与について
廣瀬陽子慶大教授 2016年5月10日
ウクライナ危機はなぜ終わらないのか〜欧米vsロシア、相容れない「正義」の論理

 

廣瀬先生は、マイダン革命は米国が関与したことを紹介している。
「2015年1月末のCNNでのインタビューでバラク・オバマ米大統領がユーロマイダンへの米当局の関与を認めたことで、第一段階がロシアによって引き起こされたという説は打ち消されたと言える。」

 

(次回、ウクライナ・マイダン革命(2/2)に続く)