らぶ地方、ほぼ余震もなくなりました。
まだ熊本で震度4以上の余震が頻繁に起きてるので安心はできませんが、元の生活に戻ってます。
心配してくださった皆様、本当にありがとうございました。
らぶはあまり人との良い縁がなかったので、今回の事で、人の温かさに触れ、コメ・メッセ・メールを見るたびに感謝の気持ちでいっぱいです。
昔と違って、らぶのまわりにもイイ人たちが集まってくれて、毎日感謝の心で過ごしています。
ここからかなり長くなります。
らぶの親戚が熊本にいます。
本震の後すぐに電話したけど出なくて、翌日昼頃電話した時に出てくれて生存確認できました。
らぶの母の身内で、母(長女)、次女、三女、長男のうち、三女が熊本です。
実は母の兄弟姉妹からは、母のきつい性格が原因だと思うんですが、疎まれてました。
三女や長男はらぶ地方に帰ってきても母には一切連絡せず、帰ってから次女が連絡するという感じでした。
次女の所に泊ることが多かったです。
子供たちも親がこうなので、連絡し合うことはありませんでした。
らぶんちだけがのけ者でした。
母は決して兄弟姉妹が嫌いだったわけではなく、
姉妹のために好きでもない人(父)と結婚したり、兄弟姉妹の子供たちのお祝いはちゃんと覚えていてお祝いを送ったりしてたんです。
父と結婚した後も姉妹を恨んだりしませんでした。
でも母はとにかく性格がきついんです。
それで衝突することもあって、いつの間にかのけ者にされていったんだと思います。
転機が訪れたのは次女が婦人科系の病気で手術・入院したことでした。
次女の子供たちはみな独立して県外に行っており、身内では近所の母ぐらいしか見舞いにも行けませんでした。
見舞いに行けば必然的に看病することもあったでしょう。
退院してから、叔母は何かと母を誘って遊びに行くようになりました。
それでも三女・長男は母を無視し続けました。
そして予期せぬ事態、三女の住む熊本が震災に見舞われました。
らぶ地方にも影響があるほどの震災。
叔母(三女)に電話したらスゴク喜んでくれました。
らぶ : 「こっちは震度5やったけど、おばちゃんちは大丈夫?みんな無事?」
叔母(三女) : 「みんな無事やったよぉ。
みんなから心配してもらえるって思っとらんやったけん、ホントに嬉しかとよ。
あんたのお母さんからも電話もらって。
そしたらあんたからも電話もらって、ホントに嬉しかぁ」
そういって電話の声は涙声でした。
らぶも込み上げてくるものがあったけど我慢して、ほんの数分話しました。
最後に叔母が言いました。
叔母(三女) : 「○○(らぶの本名)。地震がおさまってみんな無事だったら会おうねぇ。
生きてる間にいっぱい、いっぱい、会おうねぇ」
と。
らぶは、「うん。うん」というのが精一杯でした。
電話をきった後、大泣きしました。
まさか叔母(三女)から、そんな言葉が聞けるなんて思ってもみなかったので。
熊本の地震がおさまって、1日も早く夢を叶えて、母を連れて叔母(三女)の所に会いに行きたいと思います。
愛知の叔父(長男)の所にも。
生きてる間にたくさん会いに行きたいと思います。
そして今現在、らぶと親交のあるブロともさん達にも生きてる間にたくさん会いに行きたいと思います。
いつ何が起きても後悔しないように。
この時代に生まれて、あなた達に出会えて、らぶはとっても幸せです。
と伝えたいですぅ。
その時は皆さん、会ってくれるかなぁ。
地震はとっても怖かったけど、母と叔母(三女)の関係が修復されたことはホントによかったと思いますぅ。
この震災をきっかけに得たもの。
家族の絆
また皆様のブログにもお邪魔して「コメ・ペタ・イイね」しますねぇ。