以前も書いたが、プロレスラーは命を削って戦う、
とても危険な職業のひとつに数えられる。
試合は、常に交通事故に遭い続けているようなもの。
だから、プロレスラーになれても、続けられない人もいる。
健介オフィスにも、所属選手になりながらも、
辞めざるを得ない選手が二人いた。
最も残念だった選手は、馳浩さんの紹介で入団した山口竜志選手。
2007年9月の第2回主催興行でデビューした竜志選手は、
健介オフィス生え抜き第一号選手。
アマレスの元全日本学生選手権王者であった。
大型新人は入団会見で、「対戦したい選手は?」との質問に、
「佐々木健介選手です」と言い、勝彦選手をムッとさせた男。
SEMでは勝彦選手と組んでNOAHの若手選手とバチバチの戦いを繰り広げた。
しかし2008年4月にアマレス時代からの古傷『両足前十字靭帯損傷』を悪化させ、
回復には、両膝の手術とリハビリが必要で、治療にも長い時間がかかることや、
まだこれからの未来がある若者ということで、北斗社長の勧めで引退を決意。
体育教師の道を志すこととなった。
勝彦選手が意識するほどの逸材であったので、突然の引退は残念でならなかった。
人生に「もし」とか「万が一」とかはないが、竜志選手が所属していたら、
勝彦選手と競い合いながら、どんどん実力を付けていったであろう。
次に三島来夢選手。
元はDRAGON GATEに所属し、ダニエル三島の名でフロリダブラザーズとして一世を風靡したが、
その後フリーとなり、健介オフィスの旗揚げ興行(2007年2月11日)で、小島聡選手相手に試合をし、
観客に認められたら入団を認めるという、公開入団テストで所属することになった選手。
しかし、頚椎ヘルニアを患ってしまい選手生活を断念。
2007年6月25日をもって引退することになってしまった。
最後に練習生のまま、終えてしまった鈴木勇人練習生。
現在、レフェリーをしている白石健太郎くんと同時期に入門。
ホームタウンマッチでは白石くんと3分間のエキシビジョンマッチを行うなど、
デビューが近いかと思われたが、白石くんのデビューが決まると共に、
道場から姿を消してしまった。
自ら身をひいたのか、デビューは難しいと勧告されたのかはわからないが、
練習生時代の白石くんと鈴木くんは切磋琢磨していただけに、
二人ともデビューすることなく、プロレス人生を終えたのは残念だった。
初期に他にも練習生がいたと思うが、いつの間にか音沙汰が無くなった。
デビューすることさえたいへんなプロレスラーという職業。
そしてせっかくデビューできても怪我のために断念せざるを得ない職業。
健介選手も怪我で引退かという危機を乗り越えて活躍している選手。
北斗社長は首の骨折で引退勧告を受けたのにもかかわらず、
それを乗り越えてデンジャラスクイーンとなった選手だった。
だからこそ、健介オフィスは怪我に慎重な団体だと思う。
一人ひとりの選手を我が子のように思い、
彼らの未来を考えて、育てている。
決して楽ではない健介オフィスの練習を日々行っているのだから、
今いる選手たちは、もっともっと自己主張し、活躍をしていってほしいと願う。