週末に、「幸せ」とは、何かを考えるような出来事が
あったので、

「幸せ」について、改めて考えてみました。


私は、よく人から「幸せそう」とか「いつも楽しそう」と
言われます。

それは、とても嬉しい事なのですが、

私の態度を快く思わない人が、

批判的な言葉を伝えてくれる事があります。

(冗談ではなく、本気で。こういう言葉を
言われた後は、まず無視されます)


「見ていてイライラする」

とか、

「キレイ事を言っている」

とか

「押し付けがましい」

とか


もっと、もっと、ひどい事も色々言われたりします。


ちなみに、最終的には、

「幸せそうでムカつく」

と伝えたいみたいです。

(実際に、何度もそう言われました)


「幸せそうでムカつく」

と、言われて色々な反応をする人がいると

思うのですが、

私は、そういう事を言われるたびに、傷ついて、落ち込みます。


私の存在って一体なんなんだろう?

普通にしているつもりなのに、目障りに思う人がいる
のは何でなんだろう?

と、ぐるぐるぐるぐる考えます。


確かに、私の言葉は強すぎるところがあると
思います。

相手に不愉快な思いをさせていたら、
それは誤らなくてはいけません。

でも、こちらから攻撃していないのに、

気に入らない相手だからといって、

相手の存在を否定するというのは、

どうなんだろう?と思ったりします。


また、次の瞬間にはこんな事を考える、
私が傲慢なんだろうか?

と思ったりもします。


ひとつ確かなのは、

私が幸せに見えるとしたら、それは

「今、自分が持っているものを幸せ」

と思えるからだと思います。


色々な人が

「今、ここにある幸せを感じなさい」

と言っていると思うのですが、

幸せになるコツは、やっぱり

「今の自分」から

「幸せ」を感じる事だと思うのです。


例えば、

子供の頃の私は、本当にぼーっとしていて、
暗くて、いじめられっ子で
生きている意味が分かりませんでした。

1歳の時にした火傷を「気持悪い」「かわいそう」
と言われ、その度に傷ついていました。

私にとって火傷の跡は、絶対に治らないもので、
「受け入れるしかない」出来事でした。

「嫌だ」と思っても、変えられるものではないのです。

「どうしようもない」ものを

「気持悪い」と言われて、絶望しながら、生きていました。

幼稚園に通っていた、4歳か5歳の頃から

「人は何の為に生きているのか?」

「自分が生きている意味は何か?」

を毎日、毎日考えていました。


生きている希望はないまま、

「人は何の為に生きているのか?」

「自分が生きている意味は何か?」

を毎日、毎日考えている、

そんな子供でした。


毎日が暗くて、不安定でやるせないような気分でした。

子供時代を楽しいと思った事は、ありません。

ただ辛くて、苦しくて、早く抜け出したいと
思っていました。


小学校 3年生と、4年生の夏休みは、
手術の為、1ヶ月まるまる入院していました。

傷跡に悪いので、海やプールにも入れませんでした。

中学生になってから、高校生になってからも火傷の
手術の為に入院をしました。

ケロイドの跡は皮膚が伸びないので、他の場所から
植皮しなくてはならず、傷跡はどんどん増えました。

傷跡が広範囲な為、抜糸だけでも1時間かかるような
手術でした。


でも、入院していると、

「自分は五体満足で産まれて本当に恵まれている」

と、感じました。

痛かったし、寂しかったけれど、周りに自分よりも小さい
病気の子供がたくさんいて、自分は外傷で、内臓の病気
ではない。

絶対に治って退院出来るんだから、
わがままを言ってはいけないと思いました。

私より先に入院しているのに退院出来ない子供や
チューブからご飯を食べている赤ちゃんを見ていたら、
痛い思いをする事はたいした事じゃないと思いました。

自分は、手足が動いて、1人でご飯も食べられて、
お風呂にも入れて、トイレにも行ける。

これって、すごい事だと思いました。

人からいじめられても、
死んだりしてはいけないと思っていました。

生きている事を投げ出したりはしたら罰が
当たると思っていました。

人生を投げ出さずに、生きていかなくては
いけないと思っていました。


色々な本を読んだり、色々な人から話を聞いて、

25歳の時、

「生きている意味は人から与えられるものではない。
自分で作り出していくものだ」

と、思うようになりました。

それからは、自主的に生きていけるようになりました。

会社を辞めて、働きながらメイクの勉強をしたり、

土日に、メイクのアルバイトをしてみたり、

ブライダルの勉強をして、ブライダルプランナーや、

花嫁の介添えさんをしてみたり、

友達増やそうキャンペーンをやってみたり。

楽しそう、と思える事をチャレンジしてみました。

「幸せ」は、自分で作り出していくものだと思い、
幸せを感じられる瞬間を多く作り出せる努力を
してきました。

それから、9年。

34歳の今は、少し考え方が変わりました。

「生きている意味」は、

「今の自分を好きになり」

「自分の持っている才能を人の為に活かし、
喜ばれる事」

なんじゃないかと思っています。


ちなみに、人と話をしていて、

「誰もがあなたのように出来る訳じゃない」

と、最近2人の人から言われました。

これは、ある意味当たっているのかも
しれません。

人はそれぞれ違うのだから、同じ体験をしても、
同じ人間にはならないだろうと思うからです。

「スムムちゃんは光しか見ていない。
闇の部分にも目を向けるべきだ」

とも指摘されました。

その人が知らないだけで、

闇の部分というか、暗い部分は、たくさん・
たくさん持っています。

私の場合、どちらも、自分の中にたくさんあって
それは交じり合って存在しているんじゃないかと
思いました。

自分の考えを人に伝える行為が
間違っているとは思いません。

それが、ひとりよがりでなく
相手の事を本当に思って言った言葉なら
厳しい言葉を伝えるのも勇気なんだと思います。

私の至らない点を教えてくれるとしたら、
耳の痛い言葉であっても、きちんと聞くべきなの
だと思います。


長々と、書いていたら考えがまとまりました。


「自分の気持を満足させる為」に発した言葉なのか

「相手の事を心から思って」発した言葉なのか

それが大事なのかもしれないと思いました。


<結論>

・本当に自分の為を想って言ってくれた言葉は
 真摯に受け止める事

・自分を引き下げようとして発っせられた言葉は
 気にしない事


これに気がつけたから、もう同じような事は
起こらない事を願います。

やっぱり、厳しい事は言われたくな!


友達がくれたメールを読んで幸せな気分になりました。

<友達からのメール 1通目>
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途中までblog拝見しました
(コメント残さずごめんなさい)
私もスムムさんにblogを始めてほしいなと
思っていたんです

私は嬉しいことに、直接会うことも、お話しすることも
たくさんの情報を直接いただくこともできるけれど、
日本中にはスムムさんの一言、感じたことを求める
人もいると思うんです

会ったことのない人にまで本当にHAPPYを広めて
ほしいなと思います

私も小さな歩みながらもスムムさんの影響を受けて
HAPPYに向かってると感じますから
応援してます


<友達からのメール 2通目>
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『ご飯を食べに行った女子から、またしても
「幸せ過ぎてカチンとくる」というような事を言われました』

とありましたが、冗談で言われたのではなさそうですね。
冗談でもショックですよね。

時間がたてばその人もその考えが間違いだったと
気付くのではないないでしょうか?

私もスムムさんと知り合ったばかりのころは、
表面的な部分しか見えなくて「うらやましい」と
感じることも多かったです、実は ごめんなさい。

でも、スムムさんは物事を実現するために考えてもいるし、
実行もしてる。悩みだってある。

今の表面的な部分だけ切り取って見たら「幸せ過ぎ」
なのかもしれないですが、それまで一つ一つを大事に
しながらコツコツやってきてるから、当然だなぁと私は
思ってます

自分に向いたフィールドの中で存分に自分を活かしてる
姿はキラキラしてますもんね!

私もそうだけど、そのお友達も自分に向いたフィールドを
見つけたいのかもしれませんよ。

素敵なお友達なんでしょうから、これからスムムさんの
刺激を受けていくんだろうなと思います

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こんな素敵なメールをくれる友達がいて、
なんて幸せ者なんだろう、って思いました。