次女の杏、幼稚園を卒園しました。
春のタケノコ掘り、かまどからの火おこし、夏のキャンプ、裏山の大冒険、秋のけんこうまつり、冬のおもちつき、森のこびとの家づくり…。
立派なお寺さんの本堂に、子どもたちが暗唱した四季の思い出の詩が響きます。詩に続くようにして挿入される、四季の変化を喜ぶ歌。曲目は、どれもこれまで幼稚園で楽しく歌ってきて、親子ともに思い出深いものばかり。「キャンプだほい♩」であんなに泣けたのは、生まれて初めて。で、歌と詩で1年間を振り返った締めに「さーくらさいたら、いちねんせい~♩」って…。 な、泣かせる!
元気が良すぎるとも言われるどろんこ保育園の子どもたちなのに、この日ばかりは自ら静かに座り、みーんな誇り高い顔。2年前、長女の桃を同じ幼稚園から送り出したとき、まぶしい彼らの顔を見ながら、ひたすら祈っていた自分を思い出しました。
どうか、この6年間で子どもたちの中に育った希望、優しさ、好奇心、仲間や世界への信頼感が、小学校に入ってもそのあともずっと、壊されることなく育ち続けますように。社会にちょっとくらいイケてない問題があっても、心の奥にある強い希望でどーんと跳ね返して、仲間と一緒に乗り越えることができる人になりますように。
つまり、四角い学校や、四角い社会にキラキラした子どもたちを送り込むのが不安だったのだと思います。豊かで繊細な感性を守りたい、という気持ちで見ていたのだと思います。
あれから2年。桃の小学校生活を2年間見たあと、自分の中で、祈りが確信に変わっているのを感じ、嬉しかった。
大丈夫。
こんなに愛されて、自然の中で思いきり遊んで、6年間を過ごした子どもたちなら、これからなにがあったってちゃんと向き合っていける。自分の中にしっかり培った世界への信頼、希望、自信で、ちょっとくらいの困難は、楽しく乗り越えていける。
大丈夫。
学校がつまらないなら、面白くしちゃえばいい。社会が優しくないなら、自らが優しさを発信する側になればいい。ものすごく多様な学校や地域に、鮮やかで優しい、自分の色を加えればいい。この子たちなら、きっとそれができる。それをやりながら、もっともっと素敵な人になることができる。
「子どもを信じる」って、一言でいうと簡単だけど、実はすごく難しい。2年前にただ祈っていた自分より、ほんの一歩だけ、「子どもを信じる」境地に近づくことができた気がした。たくさん泣きながらも、気持ちは清々しかった。
次女の卒園。母暦、8年目。
子どもたちに比べたら亀の歩みだけど、私だって少しは成長しているかもしれない。
帰り道、「杏、おめでとう」と手をつなぎながら、私もオメデトウ、ってこっそり思いましたとさ。
杏、おめでとう。
小学校も楽しもうね!