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思いやりからくる「人様に迷惑をかけないように」は日本の美徳だと思う。

朝早くに、おばあちゃんが自宅のついでに近所数軒をさっさっと箒で掃除している風景は美しいと思うし、周りの気持ちを重んじて一歩譲るような態度も、素敵だと思う。

でも、個人主義が進む都会で「迷惑をかけないように」が行き過ぎるとき、「私は迷惑をかけません。だから、人に迷惑をかけられるのも嫌です」という話になってしまうことも多い。

混雑した駅で高齢者が自分のペースで歩けば「チッ」と舌打ちされ、町なかで大声で泣く赤ちゃんは「うるさい」と言われる。でも、その態度は実は、めぐりめぐって誰にとっても窮屈な社会をつくっている。

人に迷惑をかけずに、合理的に、有能に、意味のあることばかりを追求したら、この世界がどれだけつまらなくなるだろう。お互いの弱さを受け止めて、迷惑をかけあいながら生きるから、支えあいながら生きるから、幸せなんじゃなかったっけ。

子どもはそれをちゃんと知っている。意味はないけど楽しい、全然合理的じゃないけど嬉しい、みたいなことを、ほっとけば夢中になってやる。お互いに迷惑をかけあう中から、心を育てている。それを邪魔したくないなあと、思うんです。空気を読むことより、迷惑をかけないことより大事なこと、たくさんあるよなあって、思うんです。

子どもたちがまっすぐでいられる場づくりを通して、愛がある社会をつくりたい。
・・・と日々思うなか、近所の名物父さんであり、冒険家の八幡暁さんの投稿を読んだ。

うんうんと頷き続けながら、以下、シェア。




身近な自然から
まだ知らぬ裏山、道なき道へ自然の恵を探しつつ、
海やら山やら空き地やらへと
食い物には目が無い息子を連れてほっつき歩きはしています。

「とうさん!ここに〇〇があるよー!」
崖を駆けずり喜んでいる姿。

わたしが自作した不細工なロケットストーブに
庭木を薪して火をつける息子。
別にやってることは誰でもできることばかり。

特殊なことは全然ないですが、
何となく困難があっても生きていけそうかな。
その様子を見ているだけでも、父としては心底嬉し。

何故って、食い物とエネルギー、
これを自分事に出来れば、
別にあと何があってもなくても、
オマケみたいなものですからね。

イノベーションを起こすような人間になれとか、
創造性や独創性のある人になれとか、
有名な教育改革者とかが言う文言など、
どーでもいいなと、つくづく思う。

「今日は、まだ行ってなかった場所に行こう」←わたし
「たんけんーー!」

2人して意気揚揚と現地に向かいます。

「ここまでは来たことあったね、この先だ。。。」
「なにかあるかな・・・」
「おぉーーー亮太、すげーフキノトウだわ、この斜面!!」
「ほんとだーー」

返事と同時に収穫に入る息子。
誰も手をつけてないお宝じゃー!!親子小躍り。

すると怒り狂う犬の声。
谷筋のゆるやかな斜面を攻めていたわけですが、
その斜面の上には家が建っていたのです。

その家の中からワンコが吠えていました。
ま、いいかとフキを収穫しいたら
凄い剣幕でおばさま登場。

「あなたたち、そこで何してるの(怒)」
「散歩ですけど」
「そこは散歩する場所じゃないでしょ!」
「いや、この谷筋をずっと行こうと思ってるんです」

ちなみに、この斜面は、家主の敷地ではありません。
ずっと睨んでいるおばさまがあまりにも怖い。
これは経験上、通報されるパターンです。

「とうさん、ここダメなところなの??」
「いやダメじゃないんだよ、多分、普段、人がいない家の前に、人が居たからおばさんも怖かったんじゃないかな」

おばさまが、自分でフキを収穫するような方だったり、
自分が裏山で楽しく遊んだ経験のある方だったら

「あら、息子さんといいわねー、ここのフキは美味しいわよ」
なんて笑って話しかけてくれただろうな、と思う。

おばさまは、きっと悪い方ではない。。。
公園でボール遊び禁止!と叫ぶおじいちゃんも。
川で遊んでいたら、通報してしまう人も、
焚火を禁止にする人も、
住宅街でニワトリ飼って衛生的に大丈夫?と聞く方も。
子供が作った秘密基地を、取り壊す人も。

ま、言われた通り、
何もしなければ、一見解決はするけれど、
どうなんでしょね。

街のあちこちに禁止事項があったり、
あんな言われ方したら、子供遊べないよね。
自分でも、もうあの斜面いきたくなくるもんな。。。
そもそも、この禁止事項の多さは、
何に由来しているのか、
面倒でもひとつひとつどういうものか考えて
紐解いていくしかないかな。

石垣島ではOKとか、
富山の自然豊かなところならOKとかでなく、
本当にワクワクする場、というか
人側の都合の良いルールが及ばない場で、
自分の細胞なりに震えて、考えて
楽しいことを見つけ出す実体験、
海や水辺に限らず、山でも里でもご近所で、
子供達が自分達だけで遊びに行けるところで、
どこでも取り戻したいなと、つくづく。

ま、難しいことはさておき、
自分の住む街で、
自分の食べる分の季節の幸、
魚くらい獲って(我が街の海は、釣りはOK,銛は禁止)
子供達や近所の仲間達と食べて、飲んだりしながら、
「おぉーうまーーーーい」
と、愛を叫びたいです、ほんと。