Wishing all my friends and family near and far, a very happy new year!!
I went for a Yamabushi walk in the snow at Mt. Haguro. What an experience, I cannot digest the depth of the culture... "Feel before think" "Humbly accept" "Appreciate & love" - 3 big lessons received for the upcoming year.
年末、プチ山伏修行で羽黒山を歩いてきました。
死と再生、一度死んでまた生き直すことが、羽黒山を含む出羽三山のテーマ。ほんの4km、ほんの2500段の山道でしたが、しんしんと降り続ける雪の中、去年を総括する清々しい時間をいただきました。
「いいのいいの。俺の話すことなんて、メモにとることなんかなんもないの。なんか面白かったな、でも忘れちゃったなっていうくらいがちょうどいい」
「頭で考えることなんて、短絡的すぎる。感じることが大事だよ。心や丹田、首から下で感じたことは1400年続くから」
「魂はつねに先を歩いている。本当はみんな、わかっているんだよ。それを感じとる直感を、研ぎ澄ませるの。頭や論理は、それをあとから整理するためにある。感じることなしに頭だけ使ったら、目先のことしかわからなくなる」
「女性はほっといたって、感じるのが上手なんだ。だから修行はもともと、頭でしか考えることができない男たちのためのものだった」
「男はね、リードしちゃいけないんだよ。女性が直感で決めたことを論理的に整理しながらサポートしてりゃあいいの」
「子どもたちは感じることの天才。赤ちゃんは神様と同じ。これはね、たぶん、身体の水分量が関係しているんじゃないかと思っている。赤ちゃんは母親の羊水の中から、90%水分の状態で生まれてくる。地球は水の星でしょう。だから、赤ちゃんはまだ、神様」
などなどなど、心に沁み入る Fumihiro Hoshino 先達のお話を伺ってから、さらしを頭に巻き、山歩きの支度。
さらしは頭の後ろでひとひねり、前でもうひとひねり。巡礼者はこうして「臍の緒を巻きつけた胎児」となり、山の声をキャッチするために結われた紐を首から下げて歩きます。
...胎児になって、山の神さま詣で。
ですって?
なんて粋なことを。ワクワクマックスです。そんな謙虚な気持ちで山を歩いて、大事な気づきが降りてこないわけがない。
死と再生の山を歩く先頭を行く山伏の白い衣装は死装束の暗喩でもあります。平安時代末期から1400年以上、今も脈々と続く伝統。山伏... すごい。
「道中、私が何を言っても ”受けたもう” と返してください。それどういう意味ですか とか いま何て言ったんですか とか、言いません。来るものが何であろうとまず受け止める。それが山を歩く者の姿勢です」
山伏の 加藤丈晴 さんにそう教えていただき、
「今から山に入ります」(たぶんw)
という意味の掛け声に
「受けたもう!」
と応じます。
ホラ貝を合図に、自然に抱かれた胎児たち7人が歩き出しました。
静かに降る雪の中、ゆっくりと歩きます。
頭にはさまざまな雑念がわきますが、「まずは感じよう」と払いながら歩きます。だんだん頭が静かになってくると、風の音はもちろん、雪が大地に積もる音さえ聞こえてきそう。
途中、樹齢1000年の爺杉に出会いました。その佇まいの立派で素敵なこと!こんなにあたたかな風情をまとう杉には、これまで出会ったことがありません。
思わず「わあ」と笑みがもれ、自然と手をあわせて挨拶をしました。あたたかな存在感だけで人の心を開かせるお爺ちゃん杉。
「足下に根を張れ」
「言葉はいらない」
「よく聞き、受け入れよ」
「ただ、あたたかくあれ」
などなど、勝手にたくさんのメッセージを受け取りました。
まさに爺杉、grandpa ceder。
また会いたいな。
そして、あんな風に年を重ねたいな。
さらに進むと、100日の斎戒の行にはいっている2人の松聖(位上と先途)に遭遇。
山からひょっこり現れたお二人は、思わず道を譲らずにはいられない荘厳な雰囲気。でもどこか楽しげで、本当の天狗か、妖精かと思った!
松聖には毎年、地元の集落での話し合いの末、二人が選ばれる。そして、大晦日をクライマックスに100日間の修行と祈りにはいる。
大晦日の午後から元旦の早朝にかけて、出羽三山神社では、巨大なツツガムシに見立てた2つの巨大な松明を引き出して燃やす神事を行うそう。
ツツガムシは災いの象徴。災いを燃やして、新年に向けて希望を再生する。(現世、死生、来世。死と生は、このあたりで何重ものメタファーになっていました)
これをリードするのが、松聖。
神事のために境内に用意された立派な縄を見て、
「これを編むのも、大変なお仕事ですね」
と言うと
「作るのは集落の皆さまです。縄ないの奉納がないと祭りができない。一カ月かけてこれを作ります」
と。
ああ。
涙でそうでした。
町の皆さん、
毎年一か月かけて、縄をなうのですね。
毎年二人の男性を、
100日間、松聖として山に送り出すのですね。
1400年間、こうして祈りを繋いできたのですね。
そんなこんなに感じ入りながら、いただいたお昼は精進料理。キリッとした厳しさのある、でも素朴な御膳を想像していたから、一口いただいてビックリしました。
丁寧にお出汁をとって作られた、本当に優しく、美味しいお料理。色鮮やかで、形美しく。そして、どの小皿料理の背景にもストーリーがありました。
「すべてこの山とその周辺の、山菜とお野菜です」
見渡す限りの雪景色、今の時期には何もとれないはず。
春のふきを塩漬けし、イタドリには重曹をかけて熱湯処理。えぐみがあるうるいには味噌を使い、山道を運んで崩れた豆腐は野菜と共に美しく寄せ直す。胡桃どうふは濃厚、絶品すぎて、まるでドルチェ。
冬には一面雪に覆われる山で、あるものをいただくために保存を工夫した山伏の知恵。歴史を経て、最高にシンプルで、だからこそ贅沢なおもてなし料理に昇華していました。
「作りかたを教えたりはしません。技は見て学べ、という料理人の世界でした。閉じて籠ることで守られるものがあるのだと考えていました。
それが、震災以降、少しずつ変化していまして。開いたり、受け入れることで、進むものもある。
最近ではパリに行き、現地のマルシェで仕入れたもので山形の味を再現したこともありますし、イタリアのスローフード大学でも教えてきました。学生が持ってくる野草をその場で調理したりして、世界が広がりましたよ」
知恵の宝庫のような伊藤料理長のお話、ずっと聞いていたいくらいでした。山伏文化と精進料理、本当にすごかったなー!!
歴史1400年の修験道、深すぎて魂を打ち抜かれました。感動は、いまだ消化しきれず。
考える前に、感じる。
あるものをあるままに受け入れる。
自然と子どもたちに学ぶ。
感謝する。
愛。
心が、新しい境地へと連れていかれた感覚。
山形で教わったこと、そのまま今年の抱負になりました。ありがたいです。精進します。
明けましておめでとうございます。
2017年も、皆さまに幸深い一年になりますように!