Edible Schoolyard Japan invited Matthew Bibeau to spend a day to share wisdom & start a network of school garden teachers. Thanks Matt for a being the navigator for our wonderful learning journey. Looking forward to working with you again in summer!!

 

 

おととい、エディブル・スクールヤード・ジャパンの企画で、学校やコミュニティーの畑を舞台に子どもと向き合う大人たちが40人、国分寺のカフェスローに集まりました。

 

ポートランドから来日中のマット・ビボーさん (シティーリペアプロジェクト/子どものためのパーマカルチャー教育研究所) をトレーナーに、子どもたちの「Multiple Intelligence / 多重知性(国語算数理科社会だけではない多様な知性)」を開く、たくさんのワークのシャワーを浴びてきました。

 

盛りだくさんな1日だったけれど、印象的だったことを3つだけ、ここに共有しておきます。

 

アウトドアでの時間は、いつも天候に左右される。

学校に菜園を作る場合、そこに屋根のある集いの場があるかどうかで雨天リスクを回避できるようにすると、

先生たちの利用率が十倍にもなる。

 

 

<Personal Journey - 子ども時代のワクワクを思い出そう>

 

菜園教育やアウトドア教育のいいところは、「自然が先生」とすることができるところ。自分は教えることを極力せずに、子どもたちと自然の仲介者であり、安全責任者であればいい。

 

子どもの頃のワクワクを心に携えながら子どもに接することができれば、「こうしなさい」「ああしなさい」「それだダメ」「もっとこうしたら?」という声かけが自ずと減り、子どもと共に「いまここ」に居ることができるようになるはず。

 

では、実際に自分は、子ども時代に自然の中で、どんなことにワクワクしていた?そして、その体験は、今の自分とどうつながっている?ゆっくり時間をとって、思い出してみよう。

 

エディブルの集いは、いつも持ち寄りご飯の美味しさが半端ない!

 

→目を閉じて、時間をとって、私自身が心に描いた風景は、森がある、広い幼稚園の庭でのこと。みんながワイワイしてる大集団から離れて、友達と2人で桑の木に登り、こっそりと食べる桑の実のおいしいこと!吹き抜ける風の、清々しいこと! 

 

あれはきっと、「みんなの時間」から離れて自分たちだけの時間と空間を持つ「自由」に、ワクワクしていたのだと思う。その自由に、木登りするというドキドキが加わり、自分で収穫する旬の美味しさが乗っかって、幸せが倍増していたかな。

 

すごくいい幼稚園だったはずだけど、意外にも先生に教わったことなんて一つも思い出せない。風景として浮かぶのは、森の中や、動物と過ごした、自由な時間のことばかり。

 

 

…とそこまで思い出して、気づく。

 

いま、私自身は子どもたちに、自分で考えて自分で動く、その自由な時間と空間を十分に担保できているだろうか。授業やワークショップをするときには、一人にもなれる時間と空間を、いつも選択肢に入れることができているだろうか。

 

桑の木の上での秘密の時間、いつも心に携えていよう。

 

(ちなみに、他の皆さんが思い出していた「子ども時代の自然の中でのワクワク」は、食べ物を運ぶアリをものすごく長い間じーっと見ていた自分の姿だったり、森での拾い物を集める宝箱の話だったり、川に潜って蜂から逃げるドキドキ感だったりと、十人十色。

今の子どもたちも同様に、何が琴線に響き、どんな風に世界を吸収するかは十人十色であるはず。それも、絶対に忘れないようにしよう)

 

 

「指先だけで5分間、小石と知り合う」ゲーム。せーので小石をテーブルに出したら、どれが自分のか、わかるかな

 

<Which is my pebble? - 僕の石はどれ?>

 

袋の中に、似たような小石を子どもの人数分入れる。子どもは石を見ることなく手に取り、背中の側で5分間触って「石と知り合う時間をとる」。石を見ないままにテーブルに戻し、ヨーイドンで自分の石はどれかを探す遊び。

 

5分間もの長い時間、触感だけで何かを知ろうと探る時間を持つなんて、新鮮。脳の、普段使っていない場所が開いたような感じがした。

 

普段、どれだけ自分が視覚や言語に頼って物事を理解しようとしているかがよくわかる。五感で何かを感じようと集中している時間は、時間の流れも、ものすごくゆっくりに変わることにも気づく。

 

指先だけで触れる小石は雄弁で、5分間も触っていると愛着さえ湧いてくる。子どもたちが宝物のように石や葉っぱを持ち帰る気持ちが、また少しわかるような気持ち。

 

さて、せーので小石をテーブルに戻し、今度は視覚で「これかな」と自分の石を選ぶ。

20人でやると、必ず誰かが他の人の石を握りしめ、残り物の小石を見て「これは僕のじゃない」という人が出るのも、面白い。

 

今度、うちでも子どもたちとやってみよう。

 

 

<Multiple Intelligence - 多重知性>

 

「人は皆それぞれ一組のMultiple Intelligences(多重知性)を持っており、少なくとも8-9つの知的活動における特定の分野で、才能を大いに伸ばすことができる」
by ハワードガードナー(1983, ハーバード教育大学院)

 

学校では、論理・数学的知性や、言語的な理解力に重きを置いて教育が行われ、何度もテストする。でも、本来、知性の種類はこんなにも多様で、一つのものさしでは測れない、という話。

 

① 言語的知性 Linguistic Intelligence 

② 論理・数学的知性 Logical-mathematical Intelligence 

③ 音楽的知性 Musical Intelligence

④ 空間的知性 Spatial Intelligence

⑤ 身体運動感覚的知性 Bodily-Kinesthetic Intelligence 

⑥ 対人的知性 Interpersonal Intelligence

⑦ 内省的知性 Intra-personal Intelligence

⑧ 博物学的知性 Naturalist Intelligence

 

子どもの知性のあり方も、学びの深まり方も、十人十色だから、学校の授業でやるなら、なるべく上記すべての知性に満遍なく働きかける活動を準備したい。

 

物事をストーリーとして記憶する子どももいれば、写真的記憶力に富む子どももいる。
自然物を20配置した「宝物バスケット」から1つとったら、何がなくなったかわかるかな?というゲーム。

 

 

だよね。

 

わかっちゃいても、教室の中ですべての知性を開くファシリテーションは難しい。だったら最初から、「自然が先生」を場として持つのが一番。

 

幸い、菜園教育やアウトドア遊びでなら、普段教室の中では使わない知性を発揮する環境を、子どもたちに提供することができる。いかようにも。

 

うまく描くことよりも、ちゃんと観察することを目的とした絵の時間。
「1本の線を描くのに、10秒は眺めてください。絵を描く時間の十倍くらい、じっくり観察してください」

 

 

ここではやっぱり、心にアリスのセリフ「すべての子どもたちに菜園を」が浮かぶ。

体育館や図書館がすべての学校に標準装備であるように、学校菜園だって、どの学校にもあったらいい。

 

菜園では、土にふれ、植物の状態を観察し、世話をして、収穫をして、風や鳥の音を聞き、力仕事をする。そのすべてを友達と相談し、協力しながら「皆で作って皆で食べる」のが、学校菜園でできること。

 

「畑なら、理科の時間にやってます」
「1年生で朝顔、2年生でトマト、3年生で大豆、5年生はコメも育ててます」

 

とか、そういう話じゃない。

 

菜園は、人が作ることができる小さな生態系。
自ずと多様な知性すべてが開く場所だから、学校のみんなで菜園を「Outdoor classroom / 屋外の教室」として大事に育み、他教科の先生たちだって、たまには授業の場所を菜園に変えたらいいんじゃないか。

 

という提案をしたいのだ。

 

子どもたちがワイワイ騒ぐ時に、いかに声を張り上げずに楽しく場の集中をこちらにむけるか。
情報ばかり多いこの世界で、声を一切発しないリズム遊びは、とても有効です。

 

 

算数で面積を計算するなら、外に出て、実際に土地を図り、花壇を作りながら算出してみたらいい。そうすれば、論理的・数学的知性を生かして答えをだす過程に自ずと、気持ちのいい風を感じることや、土の匂いに触れることや、空間把握の必要性や、友達との相談が入ってくるから。

 

国語で直喩と暗喩の文章を作るなら、外に出て、収穫したプラムと桃を食べ比べて、その味や香りの違いを表現させたらいい。頭の中だけで文章を書くよりも、五感が刺激された状態での方がずっと、生きた文章が飛び出すはず。

 

人生の流れは、川のように。転機があるたびに、流れは豊かになり、最後大きな海へと注ぐ。

自分の子どもたちとも描いてみたいな。

 

 

マットによれば、「図書館や体育館があるように、学校菜園がある」状態が、カリフォルニアとオレゴンでは普通になってきた。でも、多くの場合、現職の先生が畑仕事も行うのは、キャパオーバーで難しい。

 

であれば、既存の先生と協働しながら畑活動をする、地域のコーディネーターが必要。米国では、そこを担うNPOが増えてきている。

 

NPOを作らなくてもいい。地域の保護者が学校に入っていくのでもいい。日本でも、もしかしたら、そんな人材の育成をすることが今後10年で必要になってくるのではないか。

 

 

などなどなど。
 

はー、とても書ききれない。

 

他にもいくつかワークを教わり、マットのポートランドでの実践を聞き、エディブルスクールヤードジャパンとしての課題も浮き彫りになってきました。

 

使う脳の部位が広くて、インプットがたくさんありながらのぶっ続け通訳で、最後には脳みそウニ状態。耳の後ろから、プシューって聞こえてきそう。

 

だけど、どこか、希望が拓けたようなスカッと感もある、そんな1日でした。

 

 

夏にはバークレー学区での菜園授業のカリキュラムを翻訳し、すべて日本語で公開できる予定です。それを使って活躍できる「菜園学習のコーディネーター」育成の場を、今後もっともっと重ねていこうという話にもなりました。

 

やることたくさん。
見えるのは、希望のみ!

 

 

素晴らしい場を提供してくださっカフェスローーの皆さん、マット、素敵な写真を撮ってくれるArico Toyabeeちゃん、そして大好きなエディブル・スクールヤード・ジャパンンの皆さん。 

 

いつも本当にありがとう!