今日はまたお別れがひとつ。


外来の初診から担当して、
内科と術前診断でもめて、
肝臓のボリュームが足りなくて、
増やすための処置のためになかなか手術日が決まらず、
大きな手術のわりに順調に退院できて、
でも再会はわりと早くて。

家族にも私にも最後まで気を使ってくれて。
真実を伝えられることなく
それでももしかしたら気づいてたのかも。


ずっとあなたを苦しめた吐き気や
夜に一人で耐えた痛みが
最後には消えていてくれていればいい。

ずっと帰りたかった家で
今は眠れているだろうか。





そしてごめんなさい。
きっと私はあなたを忘れてしまう。



今はこんなに深いところにまで
あなたの細かなことまで刻みつけているのに
ちょっとした表情や、
かわした何気ない会話や、
喪失感とか
やわらげなイメージだけを残して
もっと具体的なものは奥深く沈んで行くんだ
いままで別れた人もみんなそう


経験を積み それを次に生かせと
教えられてきたけど
それはまるで砂に山を積み上げるようで
ちゃんと積んでいるのかわからない
風に吹かれて山は崩れても
さらに高い山を積みつづけるのだろうか






生死にかかわらない仕事なら解放されるのかな。
いわゆる「楽な科」に行きたがる人の気持ちもわかる。
科を変えるとか仕事を変えるとか
考えないわけじゃないけど

でも、私は働き始めてから
生と死はいつも目の前で渦巻いていて
それが自分の仕事というものだと思ってしまっているし
生死と関係のない仕事という存在を知らない。
これって異常なんだろうな。




モルヒネの使い方に慣れても
お看取りの段取りが良くなっても
その人にとっての最良の最期を考えるのは
いつもいつも悩みます。
これからもずっと悩み続けるんだと思います。