『西郷どん』第18回、先ほど放送が終了しました。
いかがでしたでしょうか。
今日は朝から緊張していました。
皆さんに、今日から始まるこの島編をどう受け取っていただけるのか…
絶望の中、庭で奇声を発しながら暴れる菊池源吾を島の人たちは「大和からのフリムン(狂人)」と言って恐れていたそうです。
また、この時期の菊池源吾から大久保正助宛の手紙にこうあります。
「島の娘らの美しさには、京の女か、大坂の女がわずかに匹敵するばかり」
一見すると褒めているようですが、その後にこう続きます。
「垢の化粧を一寸(3cm)ほどもして、手の甲から先には入墨をしている。あらよう(あらまぁ)」
このような皮肉を含め、この手紙には奄美の人々や島の風習への侮蔑的な表現が沢山見られます。
島の美しさに気付かず、人々の優しさにも目を向けなかった吉之助。
ところが、二年後の正助宛ての手紙にはこう書いています。
「不埒の次第にて、正月二日に男の子を授かりました。笑ってやってください。(中略)私はすっかり島人になりきっています」
この間、吉之助に何があったのか。
本当のところは御本人にしか分かり得ませんが、
その人生を演じさせていただく身としましては、
島に残る記録や史実を参考に、西郷さんと愛加那さんへ最大限の敬意を込めて、精一杯演じさせていただいたつもりです。
なぜなら、奄美大島と沖永良部島、西郷さんが人生の10分の1を過ごしたこの2つの島にこそ、西郷吉之助が後の「大西郷」になっていったルーツがあると感じているからです。
『西郷どん』島編。
来週も是非みてくりしょり。
吉之助の住居跡の目の前。夕景の龍郷湾
【おまけ】
追悼・橋本左内殿。
享年25才。
左内さんを演じた風間俊介くんが、クランクアップの日にくれたプレゼント。
撮影現場用のサンダルに、西郷さんの家紋を入れてプレゼントしてくれました。
死の時まで、懐にはいつも橋本左内からの手紙を入れていたという逸話の残る西郷さん。
僕もスタジオの撮影では、日々このサンダルをはいて、常に左内さんとともに西郷どんの人生を歩んでいます。
それでは。