コチラを見てまいりました。

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狂ってたのは、
俺か、
時代か?

キャッチ、かっこよすぎる(笑)

幕末から明治にかけて活躍した、というか狂い描きした
絵師・河鍋暁斎の絵画展。

どこかの駅でピンクのアバンギャルドなポスターを見た瞬間に
中身も確認せず絶対行く!って思ってたら、大好きな暁斎でした。

東京で一番おかしいと思うのは(笑)、大きな美術館はいつ出かけても混んでいる!?ということ。

なんでそんなにみんなインテリジェンス高いの?笑

これまでの教訓を活かして、今回は開催すぐに出かけました!
ゆっくり見られた~。

その代わり、本日より不眠不休で労働 自業自得

でも、狂ったように描きまくった暁斎の絵を見ていて、私も腹をくくりましたよ。。

働鬼・アメここ(`・ω・´)ゞ

笑。

一番見たい、新富座の妖怪引幕はやはりありませんでした。
早稲田の演博所蔵なのですが、演博でご覧になった方いますか?

暁斎というと妖怪画や幽霊画のイメージが強いですが
本日の展覧会で、それらは彼の幅広すぎる絵師活動のうちのごく一部にすぎないのだ、ということが分かりました。

それでも、伝統的なモチーフである美人画一つとってみても
やはりこれまでの浮世絵なんかからは逸脱する過剰さがあって
そこが暁斎たる所以なのだろうなと思いました。

根っからのアーティストですね。絵師なんかじゃない。

晩年になっても、上達したいと、毎日、観音様や道真公の絵を描くことを日課としていたらしいです。

暁斎にとって、そういう魂が浄化されきってる存在を描くことはとても難しかったのではないかしら…と
表現者ゆえの苦労を勝手に想像したりしました。

五世菊五郎に贈った幽霊画は、下絵では足の部分を描いています。

幽霊は、そういう引き算が足し算になるから(?)それでいいのだろうけど
魂がその対極の高さにある観音様や道真公は、引き算が難しかったのではないかなーと思いました。

歌舞伎ファンの皆さまにはお馴染みの河竹黙阿弥も、同時期の人なんですよね。

で、黙阿弥の変な(笑)歌舞伎狂言のために描いた絵もあったよ。

私は、なぜか黙阿弥の下絵の方が好きだったの。

パリのオペラ座の前で、難破した日本の漁師の親子が再会する場面なんだけど(笑!)
娘ッ子の立ち位置が、暁斎のは真ん中すぎると思った。

あ、で、黙阿弥も変なのいろいろ書いてるよねと言いたかったのではなくて(笑)
やっぱり二人とも作品が時代にとても引き裂かれているなー、ということ。

私たちが百年に一度とか千年に一度とかいってみても
明治維新や太平洋戦争後のひっくり返され方を生身で経験してないなー、ということ。

昨日、奇しくもこんなブログをちょうど読んでいたこともあり、尚更そんなことを感じました。

あ、1880年代の100円って今のおいくらくらいなんだろう?

あと、歌舞伎ネタついでに書くと
昨日、海老蔵さんのブログで
「源氏店」と「源氏物語」は全然関係ありませんよということを書かれていて、
そう、むしろ、死んだはずだよ、お富さん♪ なんだよって思ったら
昨日からお富さんの歌が頭から離れません

あの曲の破壊力もすごい(笑)

わたし
   ○粋な黒塀 見越しの松に
    ×粋な黒べえ 御輿のマーチに
だと思ってた!!笑

粋な黒べえさんが御輿のマーチを

そのあとの

あだな姿の洗い髪 死んだはずだよ お富さん

に至っては、お岩さんの生き返ったバージョンがお富さんなんだと
子供心に思ってましたね

メロディが浮かれすぎだよ、お富さん

でも、昭和29年の歌を昭和50年代の子供が歌えたのだから、強烈なインパクトのある歌だったんですね。

また、そういう伝承(?)の機会がナチュラルにある時代でしたね。


眠すぎて、とりとめがなくなり、暁斎の話に戻れなくなっています

暁斎展は始まったばかりですが
前期・後期ありますので、ぜひ、両方お見逃しなく!


暁斎を特集した美術雑誌2誌のことが詳細に紹介されていて
絵を見た直後は、雑誌はいいやん、と思ったのだけど
こちらを読んだら購読したくなりましたので、自分メモ用としてりんく。


では、わたしも、暁斎ばりに
怠けたい気持ちとお尻に火が着いてる気持ちとに引き裂かれてまいります!!

乙女ゲームに興じてしまった2日間について、後悔はしてない(`・ω・´)キリッ

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