奈良母子3人放火殺人事件 | 少年犯罪事件史

少年犯罪事件史

2013年11月からスタートしました。少しずつ記事を書いていきます。

2006年(平成18年)6月20日火曜日の早朝、奈良県田原本町で住宅が全焼し、住人3人が焼死する。医師である一家の主人は、当直医で不在のため無事、犠牲になったのは妻と幼い次男と長女。このとき不在で行方不明だった長男16歳が放火の犯人であった。


~概要~

始まりは、抑圧された少年の父親殺害計画から。世間から表面的に見ると、申し分のない家庭環境にある少年には、大きな心の闇があった。父親からドメスティックバイオレンスを含む虐待を受けていた。
闇が大きすぎて、家族に話すこともできず向き合うことも出来ず、少年が思いついた闇の解決方法が、父親を殺すことしか思いつかないほどしばられた環境にあったことが分かる。
1学期の中間テストが終わった6月のある日、少年は自宅の放火を決意。保護者会が開かれる日の早朝、少年は自宅の階段に火をつけた。サラダ油をまき、コンロで火をつけたタオルを放つ。眠っていたであろう少年の継母33歳、弟7歳、妹5歳が焼死体で発見された。本人は行方不明であったが、数日後に京都市内で発見され犯行を認めた。


~時系列~

★事件より少しさかのぼってから書いています。

2006/06月
高1の中間試験の結果がでる。英語1がクラス平均より20点下回っていたため、父親に殺されると思い、報告できずに隠していた。

06/19(日)
明日 06/20 の保護者会で、中間試験の成績のうそが父親にばれてしまうと思い「殺されるほど殴られる」と恐れる。暴力から逃れる手段として既に放火を考えてはいた。継母から父は用事で帰ってこないと聞くが、もう時間がないと、父親がいなくても実行しなければと決意。

06/20(日)
早朝 04:15 少年は目覚める。目覚ましは02:40 にセットしていたので、あわてて飛び起きる。
計画を実行する前に、逃げるための準備を始める。貯金箱からお金を出し、連絡が取れないように携帯電話を破棄した。1階のキッチンに行き、調理用のサラダ油を2本撒く。タオルに火をつけたものを放った後、燃え広がるのを確認せずに家を飛び出す。逃げ道をふさぐために階段近くに火を放った反面、寝ている家族が逃げれるように、彼らの避難経路を確認している。このことから、父親以外に計画的殺意はなかっただろうと推定される。
ボンっという爆発音がし、近所で火事が確認される。
鎮火したのは 06:00 くらい。3人が亡くなったのは、そのちょっと前の 05:15 だと推定される。三重で当直医をしていた父親が駆けつけたときには、全焼していた。
少年は、自宅をでてから徒歩で近鉄線橿原線の大和八木駅へ。
06:30ころ、駅前のタクシー乗り場のベンチに横になる。
08:30ころ電車に乗り京都へ向かい、近辺をうろつく。
一旦、奈良駅に戻った後、再び烏丸御池に行き野宿する。

6/21(月)
前日から引き続き烏丸御池の公園で野宿した。滑り台で寝ているのを目撃されている。

6/22(火)
00:00近く、公園で寝ていたが寒さで目が覚める。停車中の軽自動車に勝手に乗りこむが、寒さをしのげず、民家に入ろうと考える。お腹もすき、W杯日本・ブラジル戦(実際は23日が試合)を観たい欲望もあり、実行してしまった。
00:00すぎ、民家に侵入。窓から入り電話線も切断している。冷蔵庫をあけジュースを飲み、ソファーでサッカーを観ようとしたがすぐに寝てしまう。翌朝、家人声をかけられ逃亡。あとになり、騒動になっていないか気になり侵入した家の方に戻るが、この時に警官に声をかけられ下鴨警察署で保護。ここで家族3人が焼死したことを聞き、放火を認めた。

07/13(木)
事件後、父親は初めて少年に面会に行き、話し合う。そのときの様子は記事に公開されている。

08/02(水)
奈良家裁、第2回審判において弁護士は 07/13に面会した時の様子を記したメモを提出。

10/13(金)
少年の精神鑑定の鑑定書が奈良家裁に提出された。診断は、広汎性発達障害。幼少期からの父親の暴力により持続的抑うつ状態だったとした。

10/20(金)
第3回審判が奈良家裁で行われる。審判で長男は父親を前にし「昔は父親に殺意があったが、事件後自然に消えた。罪を償った後、父親と一緒に暮らしたい」と述べた。また、少年が通っていた高校の保護者の有志らが、寛大な処分を求める約3000人の署名を集め、家裁に提出していたことが分かった。

10/26(木)
奈良家裁は、犯罪の要因の一つに広汎性発達障害の影響が強く現れているとして、中等少年院送致とする保護処分を決定した。
父親は「(長男を)追い詰めたのは私。死ぬまで罪を背負う」とコメントを公表。

2012/02/13(月)
家庭裁判所からの依頼により少年を精神鑑定した医師が、ジャーナリストの草薙厚子から鑑定資料を開示してほしいと要求され、それを基に草薙が著書を発行したことに対して、鑑定医が刑法第134条の秘密漏示の罪で起訴され有罪判決となった。


~生い立ち~

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