「野球移民」の立ち位置 | 欧州野球狂の詩

欧州野球狂の詩

日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪

 突然ながら、もしも誰かと政治談議をしようという時は、自分は基本的に右寄りであるのだろうと思う。外国人参政権や安直な移民導入には反対だし、自衛隊は一刻も早く国防軍へと発展的解消を果たすべきだと思っている。グローバリズムや国際協調の重要性は十二分に理解をしつつも、自国の国益を損ねてまでそれにまい進することには疑問を抱く立場だ(その意味では、もしかしたら自分の考え方はトランプ大統領にも近いのかもしれない)。そういう意味では自分は「保守」であるのだろうけれど、こと野球に関してだけは全く正反対であり「むしろ自分はリベラルであるのかもしれない」と最近思うようになってきた。

 

 去る10月31日から11月6日にかけて、フィンランド代表のアンドレス・メナ内野手(30)のBCリーグトライアウト挑戦をサポートした。メナは出生した国と代表国が異なる、いわゆる「野球移民」の典型だ。しかも、(少なくとも一時は間違いなく強豪国と呼ぶにふさわしい存在であった)野球大国キューバから、野球というスポーツ自体がマイナー競技にすぎず欧州全体でも下位に位置するフィンランドに移り住んだという、一部ネット住民からはある意味一番嫌われるパターンと言えるかもしれない。

 

 もちろん誰もがそう言う見方をするわけではないけれど、この手の選手はどうしても目の敵にされがちだ。「どうせ自分の生まれた国ではシニアの代表選手になれないから、もっとレベルの低い国に行くんだろう」なんて声を、残念ながらネットの言論では目にすることが少なくない(これは日本特有の現象かと思っていたら、どうもアメリカにもそういうものの見方をする人はいるらしい)。彼らを受け入れる側の国も「自国生まれの選手を育てる努力をしてない」「移民に頼らなきゃ代表チームすら組めないなんて」と言われたい放題だ。

 

 実際、国によっては確かにメナのような「野球移民」が主力の一角をなすケースは、どうしても存在する。例えばサッカーのように代表戦の文化が発達した競技をよく見ている人からすれば、違和感がぬぐえないのは実際仕方のない事なのかもしれない。メナにしても、本来は一般的には白人の国と思われているフィンランドの代表チームに黒人がいて、しかもその選手がフィンランド語ではなくスペイン語系の名前を名乗っていると見れば、なんとなく場違いに見えてしまうのはやむを得ない事なのであろうと思う。

 

 ただ、目を向けねばならないのは何故彼がフィンランド代表のユニフォームを身に纏い、そこに立っているのかという経緯だ。彼が今「キューバ系フィンランド人」としてヘルシンキで暮らし、そしてフィンランドを背負って国際舞台で戦っているのは、彼が実際に「もっとレベルの低い国なら自分も代表選手になれる」と安直に考えたからなのか?それともいわば助っ人としてフィンランド野球連盟に金で買われたからなのか?いくらこれまで、国際試合が一大ビジネスになるまでに時間を要した競技とはいえ、野球の国家代表チームとはそんな安直な存在なんだろうか?俺は全くそうは思わないし、実際彼がフィンランド代表選手になるまでに紡いできた物語に触れなければ、彼がその両肩に背負うものの大きさは分からないだろう。

 

 キューバ・ビジャクララ出身の彼は、キューバ時代には世代別の国内リーグで地元チームの一員として戦い、ジュニア代表のメンバーにも選ばれたことのある経歴の持ち主だ。そんな彼が自国の在り方に疑問を感じフィンランドに移住したのは、彼が24歳だった2011年。常夏の島キューバから寒いフィンランドへと移り住むことを決めたのは、当時付き合っていたガールフレンドがフィンランド人だったためらしい。そしてこの時、彼は亡命という手段を使ってキューバから出国している。そのリスクがいかに大きいかは、MLBファンの皆さんならご存知かもしれない。

 

 MLBでプレーするために母国を捨てる選手たちを見ても分かるとおり、キューバからの亡命は文字通り命がけの旅だ。国に残した家族と再び再開することも諦めなければならないのだから、決して簡単にできる決断などではない。実際、亡命に失敗して国に戻されたある選手は、その後キューバ野球連盟から3年間プレーすることを禁止する処分を下されたとメナは語っていた。彼自身の公式記録も、亡命をきっかけに既に抹消されているらしい。

 

 そしてそんな大変な思いをしてたどり着いたフィンランドは、自分の母語であるスペイン語が通じない国だ。フィンランド国籍を取る為には、移民向けの語学学校に通ってフィンランド語を習得する必要がある。彼へのインタビューでも語っていた通り、流石に在住6年目となった今では意思疎通にほぼ不自由していないとはいえ、移住当初は言葉を一から覚えるのにはやはり四苦八苦したそうだ。もちろん言葉に限らず、キューバとフィンランドでは文化や生活様式も大きく異なる。そこに適応していくことは並大抵の努力ではなかっただろう。だが、母国を捨てた彼にはそうするしか選択肢はなかったはずだ。

 

 そうした努力の末に取ったフィンランド国籍。彼は冗談めかして「フィンランドのパスポートがあれば、これまでは入れなかった国にも入国できるから便利だよ」と語ってはいたけれど、実際のところそのパスポートは「ただの便利なツール」などという簡単なものではないだろう。それは一旦は根無し草となった彼がフィンランド国民として政府から公式に認められ、再び根を張る場所を与えられた証であるのだから。自分に居場所を与えてくれた国を、自分の愛する競技をプレーすることによって背負うという行為は、彼にとっては何より大きな意味を持つことであろうと思う。

 

 そして、野球が決してスポーツとしては大きな存在とはなってこなかったフィンランドにおいて、メナが野球大国キューバで身に着けてきた勝負師としてのメンタリティは、実は大きな意味を持つのかもしれない。裾野の狭い野球マイナー国ではどうしても競争原理が働きにくく、その分選手たちの成長も停滞しがちになってしまう。実際、フィンランドにおいてもそういう状況が存在することはメナ自身も指摘していた。だからこそ、「隙あらばさらに上を目指したい」という彼の貪欲な姿勢は、そこに風穴を開ける一助となることと思う。彼が代表に加わればその分内野手の枠が1つ減るが、それは多面的に見れば必ずしも悪い事ばかりでもないわけだ。

 

 もちろん、長期的視野で見ればあくまでもそれぞれの国で生まれ育ったネイティブの選手が代表の主力を占め、そしてその代表チームが世界レベルで戦える組織となることが理想であることは、今更言うまでもない。国家代表を名乗る以上、それぞれのチームのベースはあくまでも各々が背負う国自身に存在するべきだ。だからと言ってメナのような「野球移民」の存在を軽んじ、ましてや排除するなんてことが正しいとも思えない。自国出身の選手がそうであるのと同じように、彼ら移民にも彼らなりに歩んできた物語があるのであって、そこに対しては等しく敬意を払うべきだろう。それぞれの国に対する忠誠を誓い、社会の一員たる振る舞いを身に着けて、その見返りとして国籍を与えられている以上、彼らもそれぞれの国における立派な構成員なのだから。

 

 同じスタジアムで試合を見ていても、グラウンド内から見える風景とスタンドから見える風景はやはり違う。国際試合において最も大事なのは、そこでプレーする選手が「自分が今この場所でプレーしていること」にいかなる意味を見出し、そしてそれにどれだけの価値を感じているかということだろう。ロースターメンバーに選ばれている数人の海外出身者に対して、後ろ指を指すのは簡単だ。でも、その前にもっと違うところに自分たちは目を向けることも必要なんじゃないだろうか。

 

 メナを日本に迎える前、俺は彼とのやり取りの中でこう伝えた。「君がキューバ生まれだとか二重国籍だとか、そんなことは俺たちにとってははっきり言ってどうでもいいんだ。今の君はれっきとしたフィンランド国民であり、そしてアメリカでも日本でもこれまでフィンランド人がプロ野球選手になった記録は存在しない。君が日本でプロになることでその歴史が変わる、仮に届かないまでも君の存在を通じてフィンランドにも本気で野球をやっている奴らがいることが日本で知られる。そのことが何より大事なんだ」と。残念ながら今回彼の夢を叶えることは出来なかったけれど、日本での挑戦をサポートすると決めた選手たちに対してはこれからも、彼らの今までの道筋に敬意を表しながら支えとなっていければと思う。