「黒い雨」については、放射線の人体への影響を科学的に明らかにするために
アメリカの研究機関ABCCが、被爆者を治療もせず集めた詳細なデータが、
研究を引き継いだ放射線影響研究所(放影研)に保管されており、
はじめから国の「認定には科学的根拠が必要だ」と言う主張には妥当性がなかった。

『黒い雨』被爆者に 広島地裁が初の司法判断 原告側の全面勝訴

「黒い雨」訴訟ー控訴望まぬ広島市・県に、国が控訴を要請(強要?)

黒い雨 ~活(い)かされなかった被爆者調査~:目的は人体実験?


<放影研>被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究「モルモット扱い」
【【多くの被爆者の協力のもと集められた“命の記録”。しかし今に至るまで、このデータを使って黒い雨の影響が研究されることはなかった。】

しかも たちは、治療も行わず集めた被爆者の検査データを捻じ曲げ、『黒い雨』の がんリスクを否定する根拠に悪用した。】
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 NHKニュースWEB 2021年7月14日 18時11分
「黒い雨」浴びた住民 2審も被爆者と認める 住民勝訴 広島高裁

【広島市や周辺自治体に住む76歳から97歳の住民やその遺族84人は、昭和20年、原爆が投下された直後に降ったいわゆる「黒い雨」を浴び、健康被害を受けたと訴えて広島市や広島県に法律で定める被爆者と認めるよう求めていました。

原告の住民たちは無料で健康診断が受けられる国が指定する援護区域の外にいて、被爆者と認定されていませんでしたが、1審判決は去年7月、原告の訴えを全面的に認めました。

14日の2審の判決で広島高等裁判所の西井和徒裁判長は、1審に続いて原告の住民全員を法律で定める被爆者と認め、被爆者健康手帳を交付するよう広島市などに命じました。

判決では国が援護区域の範囲を指定する根拠となった当時の気象台による黒い雨の調査について、「調査は限られた人数と期間で行われ、資料が薄かったり、ばらついたりする地域もあった。この調査よりも広い範囲で黒い雨が降ったと推定するのが妥当だ」と指摘しました。

そのうえで「原告の住民たちはいずれも、黒い雨が降った地域に所在し、雨に遭ったと認められる」として、援護区域の外にも「黒い雨」による健康被害が及んでいたと判断しました。】一部抜粋


 毎日新聞 2021/7/12 15:30(最終更新 7/12 17:57)
なかったことにされた黒い雨 「区域外」の83歳、歴史を正す闘い

【広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を国の援護対象区域外で浴びた住民ら84人が県と広島市に被爆者健康手帳の交付などを求めた訴訟の控訴審判決が14日、広島高裁で言い渡される。原告全員を被爆者と認めた2020年7月の1審・広島地裁判決では、差別への恐れなどから住民が口をつぐみ、証言が取りこぼされた可能性が指摘された。原告の一人、森園カズ子さん(83)が雨を浴びた場所は「黒い雨が記録されなかった集落」だ。歴史に記されなかった、あの日の記憶。「事実は事実として残さないと」と話す彼女の証言を、ここに刻む。

 控訴審判決を控えた6月。広島市中心部から車で45分。安佐北区ののどかな山あいの、住宅や畑に囲まれた小さな更地。一角に残る学校名が彫られた石柱の前に、森園さんは立った。ここは76年前に原爆がさく裂した爆心地から北に約17キロの旧亀山村にあたる。あの日、放射線を帯びた「黒い雨」をここで浴びたが、国の援護対象区域からは外れている。対象となった市中心部は、目の前にある二つの山に覆われて見通せない。森園さんが、山の中腹を指さした。「あの日、あそこに落下傘が飛んできた後、雨が降ってきた」。空を見やり、森園さんがぽつりと話し始めた。「歴史の影に葬られたんじゃと思う、雨を浴びて苦しみながら死んでった人たちは。原爆の影響はあったはずだけど、ここらは認められてないんよ」

降った範囲、今も未確定
 米軍が原爆を投下した1945年8月6日。爆発による上昇気流で発生した「きのこ雲」や、火災に伴って生じた積乱雲から「黒い雨」が降った。その雨は放射性物質を含み、汚染されたちりやほこりとともに広範囲で確認された。雨が降り注いだ水や畑の作物、そして呼吸を通して体内に入り込み、内部被ばくを引き起こしたとされる。】