飯舘村に残されたネコたち 2018/10/25 | aihamalteseのブログ

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愛犬の名は「あい(♀)」、犬種はマルチーズ、2010/4/18生

 原発事故で放射能に汚染された飯舘村は、原発から20km圏内の汚染市町村が事故後すぐに動物を置いたまま強制避難させられたのと違い、6月になって全村避難となった。

 

 その間住民が被ばくするという犠牲はあったが、幸か不幸か犬猫たちは同行避難できなかったが、避難準備期間が出来た。保護施設などに預けられた個体は一定数いたと思われる。

 

 また、置き去りにされた犬猫たちではあったが、避難後も村への出入りが可能であったので、飼主が帰宅したり避難直後から入ったボランティア活動もあり、ほとんどの動物は餓死することもなく人の消えた村で命を繋いでいった。

 

 2012年8月末に郡山市に移住後は、毎日のように飯舘村に通うようになった。原発事故後の2011年4月からボランティア活動をしている静岡の「愛ちゃん&しんちゃん」ペアや「ナナぱぱ」から犬猫の居るお宅や餌場の住宅地図情報をいただいたのを契機に、その確認と給餌、さらにそれ以外のお宅の訪問もして餌場の情報を豊かに正確にしていった。ほぼ全戸を廻ったと思う。最終的にその情報を「一覧表」にしてボランティア仲間と共有して給餌活動をしている。毎月更新しながら餌場の変化を反映させ、それは現在まで継続している。

 

 上記の「一覧表」の数値は、ボランティアが何がしら関わっている(いた)件数であり頭数。村で生きている犬猫の頭数ではない。当然のことだが、何れもその当時私が知りえた範囲であり、全てではない

 

 参考:2018年9月の「一覧表」、写真はその一部 

 

 

 

 犬は200頭以上が残されたのは確かだと思うが、避難前に飼われていた頭数は250頭ほどではないかと思われる。行政の狂犬病予防接種の記録があれば裏付けられるかもしれない。

 

 この7年半の間に、死亡・行方不明・譲渡・新居へ同行・帰村などの理由でボランティアの関わる頭数は大幅に減少した。またその関わりの内容も給餌から散歩など飼主の補完へと変化している。

 

 

 

 猫はどうか?推計するに少なくとも500匹は残されただろう。その裏付けになる貴重なデータがある。

 

 それは第一に、2012年9月16日から2015年1月18日まで福島県白河市で開設されていた犬猫の繁殖予防専門病院「フクシマスペイクリニック」が行った飯舘村409件の不妊去勢手術件数だ。

 

 第二には、スペイクリニック閉鎖後に給餌ボランティアが取り組んだTNRの件数だ。その件数は以下に記述するが、私が個人的に知りえた情報に基づいているので、実際はその数値以上の件数であることは間違いない。特に2011年当初からTNRを先駆的に取り組んでいた「ニャンダーガード」さんなどの件数を加えれば500件は優に超えることだろう。その結果飯舘村の飼い主の居ない猫たちは、90%以上がサクラ耳となっている。

 

 2015年2月~12月  45件

 2016年         12件

 2017年          6件

 2018年          0件

 合計            63件

注:2016年頃からTNRより保護を重視している

 

 

 

 7年半の間に犬と同様に、ボランティアの関わる飼い主の居ない猫も大幅に減少して100匹を下回るようになった。

 

 第一に、TNRにより新たな命の誕生を阻止していること。第二に捕獲・保護を集中的に取り組んだことが大きな要因だろう。私がデータを取り始めたのは2014年7月からだが、2018年9月までの4年2カ月の間に、376匹の飼い主の居ない猫が保護された。

 

 2014年7月~12月  44匹

 2015年          93匹

 2016年        122匹

 2017年         85匹

 2018年1月~ 9月  32匹

 合計           376匹

 

 この集中した保護に因って、飯舘村の猫たちを受け入れている預かり様やシェルターさんは、どこも手いっぱいの状態が続いている。保護対象の猫が50匹を下回っているところまで来ている残されている被災猫たち、どこの餌場にどんな猫が残されているかも分かっている。命のあるうちに保護したいものだ。

 

 

 

 ボランティアを続けていると清貧になる。TNRには手術代がいる、保護するには初期医療費がいる、時にケガや病気の猫を見れば病院に連れて行く、給餌するにはえさ代も、シェルターともなれば底なし・・・

 

 やむを得ずボランティアから足が遠のく。「今までのように飯舘村に通えなくなる。ごめんなさい」と云われる。誰も責められない。被災者と被災ワンニャンの行く末は見とどけたいと思っている。

 

 

 

 (大きな役割を果たしたスペイクリニックとは)