どーも
気がつけば9月も真ん中
今月2回目の3のつく日ブログ
お題は
中野の◯◯
中野の…か
良いでしょう
僕が紹介するのは中野の歴史
歴史といってもごく一部をピックアップしますが、
まず一つ目は江古田原沼袋合戦
室町時代の末期、関東管領を上杉氏の内部争いが勃発し
扇谷上杉氏の太田道灌と山内上杉方の豊島氏が合戦を広げたのが
江古田原沼袋合戦
江古田も沼袋も今尚ある地名ですね、
おひさまとも繋がりのある地域です
そして管領(かんれい)とは
室町時代では将軍の次席に当たるすごく偉い役職です
鎌倉では執事と呼ばれたものですね
今の時代でいう、知事と思ってもらうと良いかと思います。
まあ当時の特に地方の管領は、いわばある意味やりたい放題ですから
ある種憧れの役職だったのでしょう
この合戦の結果だけ端的に申しますと
前者の太田道灌が勝利
関東管領の座は扇谷上杉氏が担うこととなりました
因みにこの合戦ののち
太田道灌は、その力を恐れた主家である扇谷上杉氏に殺されてしまいます
なんてっこったですな
時は移り、江戸時代
1603年に徳川家康により江戸幕府が開かれ、それにより江戸即ち今でいう東京の村や町が整備されました。
当然中野も。
中野は幕府の直轄領となり、まぁつまりエリートですね。
どんどん栄えます
江戸城建設の際は石灰を青梅から運ぶために、皆さんご存知
青梅街道が開かれましてそれに伴い中野宿が置かれました。
つまり宿がたくさん立ち並ぶメイン通りの休憩所ですね
素晴らしい
江戸中期以降は集荷地として人々の往来も凄かったみたいです
そして何と言っても五代将軍徳川綱吉。
「生類憐れみの令」生き物殺し禁止令ですねー、これを発布。
江戸の野犬を収容するためのお囲いを、中野につくりました。
何故中野…
江戸からもちょうどええ距離だったんでしょう
嘘です、理由がありますきっと
今の中の区役所を中心に28万坪の超でかいもので、8万頭ほど収容されたそうです
こちらの方がわかりやすいかな
えらいこっちゃです。
管理大変。
どうでもいいけど、
こういう広さの例え、
東京ドーム多すぎ説
甲子園じゃダメなのかな…
はいっ
綱吉の死後、これは廃止されますが
8代将軍徳川吉宗公によりその一部に桃が植えられました。
そう、これが桃園
中野駅南口を出てマルイの裏一帯ですね
これは日本において公園の先駆け的な要素を持ち
江戸後期に、庶民に解放されてお花見の始まりになったとも言われてるようです
中野すごー
吉宗すごー
以上、どんな地にも歴史がある
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