結婚して後、近所のお節介な親友←(思い込んでいた)

から誘われて、嫌々ながらも、

一縷の希望もあり

とある宗教に入信する事になったのが

キンモクセイの咲く頃


入ったとたん、止めときゃ良かったと

おもうことばかりで、

客観的に宗教をやる人たちの集まりを眺め

信心する人たちの不思議な理解し難い行動を

懐疑的に眺めていた。


それでも、やってみなきゃわからないかと

前向き←笑

なんらかの

活動を強いられたので

親友と行動を共にした。


選挙活動が、信仰の中心にある気がした。

世界の平和のため

信仰なの?これ

いや、洗脳じゃないか


選挙の票をとるひとは、皆の前で喜ばれ

選挙があるたび、勝っても負けても

拍手と高揚感で包まれた大勝利!


なぜ、勝利なのか、私にはわからなかった。

会場のすみっこで、気持ちと現実が一致できなくて、

いたたまれない気持ちでたたずんでいた。


高揚感によって、自分で考える力を奪っている

古典的な宗教。


そんなこんなで、段々と

活動と言われるものから、

あっという間に遠ざかってしまった。

しかし、親友らしき人との関係もあって

事態はややこしいことになっていた。

私にとって、親友は、依存物質となっていて

また、親友は、私を外の世界から

囲っていった。

信仰(親友)がいないと、人生で生きていけない

状態になってしまった。

私にとって信仰よりも、

親友との関係を通しての

信仰に近かった。


信仰って、選挙なのか???

信仰って、共依存関係なのか?


何を信じているのだろう

最後まで分かることはなかった。


私のまわりには、2世、3世さんが多かった。

必死でお題目唱える姿が

こっけいにみえた。が、2世3世さんにとっては、

身体に染み付いたものだから

疑問を抱かないのだろう。

信仰は、毛穴からとよく言われた。


そうこうして、幽霊会員になっていったが

相変わらず親友は、領域を侵入してくる。


その頃は、親友には、悩みの相談などしなくなった。

誰にも相談できない状態になり

私はネットに希望を見出した。


ネットには、その宗教を

どう脱会するか、したか、

体験者の掲示板には、たくさんいた。

仲間を得たような気持ちになった。


脱会も、ひと苦労なのが、この宗教

大方の宗教もそうだろうと思う。


結局活動っぽいことを1年くらいして

身になることはなく、

そのご、脱会するまで9年を要した。


今思うと、人生無駄にしたなあと

しみじみ思う。

この失われた10年

子供たちは、放置だったからだ。


いや、むしろ過保護の私には、

放置の方が良かったのか?

それも、今となっては分からない。


脱会のキッカケになったのは、

子供の不登校だった。


アダルトチルドレンである私の家庭と

宗教は、非常によく似ている。


お互い監視しあって、

同じ方向を向かなければならない。

自己犠牲、発言の自由が許されない

行動の制限、存在の否定。


自分の意思を持ってはならない。

脱会するとなると、みんなで引き戻しにくる。


宗教が必要な人もいるだろう。

が、アダルトチルドレンだった私は、

まさに、実家と同じ関係性を

宗教に入ることで、追体験した。


10年にわたる、脱会劇は、宗教と人間関係の共依存からの、脱却でした。


もし、脱会で悩んでる方いたら

私の経験を

役立てて欲しい。

限りある人生の時間を無駄にしないで欲しい。

自分の意思を取り戻して欲しい


内容証明を、本部に送り付けました。

引き止めにきたときは、警察に通報します。

本尊は、郵送で送り返しました。

捨てても良かったのですが、意思を表明するために、意図的に送り返しました。

そして、関係者の電話番号を全てブロック


宗教とアダルトチルドレンの関係は

ほんとに似ている。