こんばんは。

 

ピュアコミュニケーション協会 代表

 

真弓ちゃんの夫 たいひーです。

 

 

 

 

 

最近、考えていることがあります。

 

 

 

 

 

衣食住が確保されていて

 

 

 

食べるのには困らない、健康も大丈夫

 

 

 

経済的に不都合を感じることもあまりない状況で

 

 

 

どんな時に満足、幸せをを感じるか?を

 

 

 

考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

考えるきっかけになったものは

 

 

いろいろありますが、

 

 

衣食住、そして仕事、健康に不自由がない状況で

 

 

自分の意志で人生に見切りをつけた著名人の存在は大きいです。

 

 

 

 

 

 

家族関係に「問題」を感じているか

 

 

それとも、家族関係に「満足」しているか

 

 

↑は、非常に大きな分岐点です。

 

 

 

 

 

 

「家族関係」に問題がある場合、

 

 

自分自身で人生に見切りをつける決断をしたとしても

 

 

心理的に「納得」できます。

(感情は到底、納得できませんが!)

 

 

 

 

 

 

 

ここで、考えてみたいのは

 

 

家族関係も良好で

 

 

心から幸せ、愛情、満足を感じている状態で

 

 

「自殺」するのか?ということ。

 

 

 

 

 

 

 

自殺するなら、これから⇂の私たいひーのブログは

 

 

全く意味を成さなくなります。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、個人的には

 

 

心からの愛情、満足、幸せを感じてる状況では

 

 

人は自殺しないと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

心からの愛情っていうと具体的にどんな愛情かといえば

 

 

 

一番は、「家族」からの愛情でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

「家族」でないなら

 

 

 

その人にとって一番「近くにいる人」です。

 

 

 

 

 

 

「家族からの愛情」って、はっきり言って

 

 

 

かなり厄介な代物です。

 

 

 

 

 

 

なぜなら、自分の心を最大限に生かすこともできるし、

 

 

自分の心を殺してしまう「諸刃の剣」にもなり得るからです。

 

 

 

 

 

 

家族からの愛情、特に両親(親代わりの人)から

 

 

幼少期から愛情を感じずに育ってしまうと

 

 

 

 

その人の根本、核となる心の部分に

 

 

ポッカリと穴が空いているような、そんな感覚にハマります。

 

 

 

 

 

 

「どうせ、私なんて必要とされていない、いてもいなくてもどっちでもいい」

 

 

 

 

ふと我にかえったときに

 

 

こんなマインドになっていしまう原因は

 

 

家族、特に両親(親代わり)と

 

 

「良好な関係性を築けなかった、築いていない」からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極端な話、

 

 

両親から「〇〇なんて生まなければよかった」というニュアンスなことを

 

 

伝えられてしまうと

 

 

もう心はズタズタ。

 

 

 

自分がここにいて良いんだ!という

 

 

自分の存在意義を認めることが、すっごく難しくなります。

 

 

 

 

 

やる気も、元気も吹き飛び

 

 

 

 

元気そうに見えても、カラ元気。

 

 

 

フッと冷静になったり、気分が落ち込んだときに

 

 

 

「どうせ、私なんて必要とされていない、いてもいなくてもどっちでもいい」的な考えが

 

 

 

頭に浮かびます。

 

 

 

 

 

これはコワイ!!!!

 

 

 

 

 

 

それでは次に、冒頭でもお話した

 

 

 

前提として、衣食住が確保されている状況で

 

 

 

家族からの愛情も十分に感じられている状況

 

 

 

そこから、+アルファで、愛情、満足を感じるためには

 

 

 

どうすればいいのか?について考えてみます。

 

 

 

 

 

言い換えれば、

 

 

 

「めっちゃ贅沢な、究極な幸せ」とでも表現しましょう。

 

 

 

 

 

気になりますよね。

 

 

 

 

 

 

その答えは、次回のブログにてお伝えします。